第37話

 午後三時過ぎになり、ドアがノックされた。


早苗さなえ歩美あゆみ。両親が到着したぞ。

 先に下で待ってるからな」


 孝弘さんの声に応じて私たちもベッドから起き上がり、身支度を整える。


 急いでドアを開けた瞬間、目の前にマスターの背中があって顔をぶつけていた。


「いたっ! ――ってマスター? なにしてるの?」


 マスターが背中を見せたまま私に応える。


「秀一が近づこうとしてくるから、こうして見張ってるんだよ」


 良く見ると、廊下に秀一さんが立っているのが見える。


 私はため息をついてから、マスターの背中を押して部屋から出た。


「はいはい、わかったから仲良くしてね!」





****


 コテージの外では旅行鞄を持った早苗さなえの両親と歩美あゆみの両親がいた。


 四人はお母さんや浜崎のお爺さんと、楽しそうに話しているみたいだ。


 孝弘さんが声を上げる。


「クソ爺! 全員そろったぞ!」


 浜崎のお爺さんがこちらに振り向いて頷いた。


「では、夕食の準備を進めよう」


 湖畔にいくつもの小さなテーブルが用意され、人数分の椅子が置かれて行く。


 大きなバーベキューコンロが二つ用意され、浜崎家の人たちによって火が起こされた。


 食材や飲み物がたっぷり詰まったクーラーボックスが何個も置かれ、まだ明るいうちからバーベキューが始まった。


 マスターや孝弘さんが、お肉や野菜をコンロに並べていく。


 大人席ではお母さんたちが、同じように食材を焼き始めた。


 孝弘さんがマスターに尋ねる。


「なぁ小金井こがねいさん。今回はビールくらいいいだろ?」


 マスターがため息交じりに応える。


「仕方ない奴だな。

 これだけ開けてれば問題ない。

 好きに飲め」


「やったぜ!」


 早速、缶ビールを開けて口をつけた後、引き続き食材をコンロに乗せていく。


 私は呆れながら孝弘さんに尋ねる。


「ねぇ、そこまでしてお酒を飲みたいものなの?」


「美味いものを欲しがるのに、理由なんて必要ないだろ?」


 そう言われると、返す言葉が無いんだけど。


 秀一さんが笑みをこぼしながら告げる。


「俺たち竜神も、本来は酒が好物だ。

 ――どうだ、辰巳たつみ。久しぶりに飲むか?」


 マスターは秀一さんを無視して私に告げる。


朝陽あさひさん、食べたいものがあったら言って。

 早苗さなえさんや歩美あゆみさんも、遠慮はいらないよ」


「はーい」


 私たちは缶ジュースを手に取り、焼けたものをお皿に乗せて食べ始めた。


 秀一さんはお酒が入ったクーラーボックスから何かを二本取り出し、一本をマスターのそばのテーブルに置く。


「孝弘、乾杯しようじゃないか」


「お? 葛城さんはチューハイか」


「本当なら日本酒がいいんだが、ここにはないからな。

 焼酎で我慢してやる」


 陽気な笑顔で孝弘さんと秀一さんが缶を打ち合わせ、ごくごくと美味しそうにお酒を飲んでいた。


「うわぁ、いつの間に仲良くなったんだろう……」


 早苗さなえがぽつりと告げる。


「お酒飲みって、お酒があれば仲良くなれるみたいだよ」


 歩美あゆみが頷きながら告げる。


「便利よね。『飲みニュケーション』とか言うらしいわ」


 何その言葉……。


 マスターを見ると、お酒には目もくれずにバーベキューを焼いていた。


「ねぇ、飲まないの?」


「僕がお酒を飲んだら、朝陽あさひさんを守る人間がいなくなるからね。

 秀一がそばにいる限り、飲む気はないよ」


 秀一さんがマスターの肩に手を回して告げる。


「そう堅いことを言うな。

 何百年かぶりに、一緒に飲もうじゃないか。

 同じ竜神だろ? 遠慮するなよ」


 ふぅ、とマスターがため息をついた。


朝陽あさひの半径五メートル以内に近寄らないと誓え。

 それなら飲んでやる」


 秀一さんがニヤニヤしながら応える。


「いいぜ? 今夜は朝陽あさひの半径五メートルに近寄らん。どうだ?」


 マスターが深いため息をついてから、缶チューハイを手に取った。





****


 マスターから焼き上がったお肉を受け取りながら、ふと気が付く。


 秀一さんは孝弘さんとマスターの間でお酒を飲んでいる。


 私との距離は、どう見ても二メートルぐらいだ。


「神様なのに、約束を破れるの?」


 秀一さんが赤ら顔で応える。


「んー? 『俺は』近寄ってないぞ?

 朝陽あさひが近寄ってくる分には、誓いを破ったことにはならん。

 トリックみたいな話だが、言葉の力ってのはそういうもんだ」


 なんだかずるっこしてるみたいだな……。


 でも向こうから近づいてこれないなら問題ないか。


 マスターもお酒を飲んで、なんだか表情が柔らかい。


「やっぱりお酒は美味しいの?」


「そうだな、俺たちはどうしても酒に弱い。

 朝陽あさひのそばだと気分がいいし、酒が美味くて仕方ない」


 ――『俺』アンド『呼び捨て』コンボ?!


 私との会話でこれは、初めてじゃないかな?!


 ってことはもしかして。


「ねぇマスター、酔っぱらってる?」


「んー? いや、この程度で俺は酔ったりしないさ。

 朝陽あさひが心配するようなことじゃない。

 ――早苗さなえ歩美あゆみ、お前たちも、もっと食べろ!」


 早苗さなえたちがあわてたように駆け寄ってきた。


「マ、マスター! もう一回! もう一回お願い!」


 マスターがきょとんとして早苗さなえを見つめた。


「どうした早苗さなえ、顔を赤くして。

 歩美あゆみも赤いが、酒でも飲んだのか?」


 ――口調がいつもと違う!


 これは、完全に『酔っ払いモード』のマスター!


 呼び捨てにされた早苗さなえ歩美あゆみは、飛び跳ねながら喜んでいた。


「よっし! これで財部たからべさんと完全に並んだわ!」


朝陽あさひとも並んだから、これでイーブンだね!」


 いやー、そこって喜ぶところかな……。


 私は思わずマスターが心配になって声をかける。


「ねぇマスター、酔っぱらってて大丈夫なの?

 火を使ってるのに酔ってたら怪我しない?」


 マスターが私の頭をわしわしと撫でた。


朝陽あさひは心配性だな。

 この程度の火で火傷なんかしないさ。

 お前たちは安心して食事をしてろ」


 おー、これはスキンシップもいつもより激しい!


 私が顔を真っ赤にしていると、秀一さんが楽しそうに告げる。


「ククク……どうだ? 酔った辰巳たつみは面白いだろう?

 どうもこいつは、俺より酒に弱いらしくてな。

 こんな辰巳たつみを肴にするのも、乙なもんだ」


 ――お酒のおつまみに、マスターを酔わせたの?!


 秀一さん、いい性格してるなぁ?!


 でも楽しそうにお酒を飲んでるし、純粋にこの場を楽しんでるみたいだ。


 孝弘さんともすっかり打ち解けて、お酒の減りが早いみたい。


「お? もう最後の一本か。

 ちょっとクソ爺のとこから分けてもらってくる。

 少し待っててくれ」


 孝弘さんは浜崎のお爺さんの方に向かって走っていった。



 新しいお酒が浜崎家の人たちによって手配され、バーベキューは暗くなっても続いた。


 私や早苗さなえ歩美あゆみはもうお腹いっぱいになったので、椅子に座ってのんびり過ごす。


 遠くの大人席でも宴会が始まってるみたいで、明るい笑い声がこっちまで聞こえてきた。


「大人ってよく飲むよねぇ……」


「何がいいのかしらね」


「ちょっと試しに飲んでみたいなー」


 早苗さなえの言葉に、マスターが敏感に反応した。


早苗さなえ! お前はまだ子供だろう!

 俺の見てる前で酒が飲めると思うなよ?!」


 私はその様子を見て、ぼそりとつぶやく。


「口調は変わっても、言うことは変わらないんだね」


「マスターはマスターってことかしら」


「それだけ普段から、嘘をついてないってことじゃない?」



 私たちのバーベキューは、夜十時まで続いた。

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