第21話
服を整えたマスターと一緒にスタッフルームを出ると、お店は大賑わいだった。
大きい人や小さい人、体の一部分が動物の人。みんな近代的な服装でコーヒーや紅茶を飲んでいた。
犬や猫、狐や狸、鳥や猿、変な牛までいる?!
それに、もう人だかなんだかわからないものまで。
それぞれが店の中に溢れるようにして、思い思いに過ごしているみたいだった。
「やっと出てきた! 早く助けてよ! もう限界!」
「コーヒーのお客様ー! 次は誰だっけー?!」
私はマスターと顔を見合わせ、ニコリと微笑んだ。
二人でカウンターに駆け込みながら、袖まくりをして声を出す。
「手伝うよ! これはどこに持っていけばいいの?!」
****
マスターが入ると、不思議とあわただしかった店内が静かになっていった。
マスターの指示でオーダーをテーブルに運んでいき、カウンターに戻ると次のオーダーが待っている。
しばらくすると、来店者全員が静かにコーヒーや紅茶を楽しむ空間になっていた。
「ようやく落ち着いた……なんなの、この来店者数」
マスターがクスリと笑った。
「今回の協力者、ほぼ全員だよ。
土曜日の夜、ここに居るみんなで健二を説得する。
その前払いとして、今日は飲み放題って奴さ」
私はマスターの顔を見て尋ねる。
「そんなことして、力は足りるの?」
マスターはニコリと微笑んで応える。
「そのための儀式だからね。
でも
明後日の土曜日、夜になってからが本番だ」
「……
マスターが「ん? なんか言った?」と応えた。
「あんだけ頑張ったんだから、ご褒美くらいくれてもいいじゃん。
だから私のことも――その、
恥ずかしくて、マスターの顔を見れない。
私、なんでこんなことを言ってるんだろう?!
クスリというマスターのこぼした笑みが聞こえ、そのあとに穏やかな声が聞こえる。
「わかったよ、
「~~~~っ! それで我慢してあげる!」
「あー、ずるいんだー。抜け駆けじゃない?」
「私たちだって、下の名前で呼んで欲しいなー」
マスターの楽し気な声が聞こえる。
「じゃあ公平に、
これで満足した?」
そんな、ガッツポーズするほどのことかなぁ?
「これで
見てなさいよ、あの女!」
「いや~? まだ子ども扱いは抜けてないよ?
並ぶのはもう少し先じゃない?」
チラリと横目で見ると、マスターは幸せそうな微笑みを私に向けていた。
あわてて目をそらし、マスターから顔を隠す。
なんでこっちを見てるのかなぁ?!
****
午後八時になり、いつものようにマスターに駅まで歩いて送られて行く。
「マスターは車は持ってないの?」
「免許証がないからねぇ。
車を用意することはできても、運転ができないんだ。
ほら、無免許運転で捕まっちゃうだろう?」
闇医者は利用するのに、変な所が律義だな。
「車が使いたくなったら、
昔だとなんていったかしら。『アッシー』だったっけ?」
私は小首をかしげて尋ねる。
「なにそれ? 聞いたことないけど」
マスターがクスリと笑った。
「よくそんな言葉を知っているね。
車を運転させるボーイフレンドのことを、そう呼んでいたらしいよ。
君たちが生まれる前の言葉だ」
私はさらに首をかしげた。
「えー? 恋人同士なら、車でどこかに連れていくのなんて普通じゃないの?」
「それがね? 『車を運転させるだけ』の男友達をそう呼んだんですって。
前にテレビで言ってたのを、チラッと見たのよ」
「――それって、友達なの?!
どうして男性はそれに応じちゃうの?!」
「私にわかるわけがないじゃない。
そんな歪んだ関係、どうして生まれたのかしらね」
「ちょっと! 『歪んだ関係』ってわかってるなら、私と浜崎さんをそんな言葉に巻き込まないで!
浜崎さんは会ったばかりの人で、使いっ走りにしていい人じゃないよ!」
「でも知り合い含めて、この辺りで車を出せるのは浜崎さんだけじゃない?
車が必要になったら、お願いすることになると思うなー」
マスターが楽し気に告げる。
「孝弘も免許は持ってないからね。
車を出すだけなら、別に源三でもいい話だ。
必要になったら、僕が浜崎家に頼んでおくよ」
浜崎のお爺さんかー。
あの人に頼むのも気が引けるけど、マスターが頼むなら……いいのかなぁ?
駅に辿り着き、マスターに笑顔を向ける。
「それじゃマスター、また明日!」
「うん、帰り道に気を付けてね」
私たちはマスターに手を振りながら、改札を通過した。
****
髪を丁寧に後ろに撫で付け、神経質そうな四角い輪郭と意志の強い眼差しを持った男だ。
源三が神妙な顔で口を開く。
「健二、土曜日の午後六時からの予定を開けておけ。
これは会長命令、最優先だ」
男性――浜崎健二が眉根を寄せて応える。
「その日は重要な取引先との会合があります。
午後六時は不可能です」
源三がニヤリと口角を上げた。
「
先方には改めて日程を伝える手配をしてあるから安心しろ」
健二がイラつきを隠さぬ表情で顔をしかめた。
「代表取締役は私だ! 親父じゃない!
何を勝手なことをしてるんだ!」
源三が白い目で健二を見据えながら応える。
「尻の青い青二才が、何を一丁前に抜かすか。
未だに儂の支援がないと、大口の取引もまとまらんではないか」
「あんたが引退しないからだろう?!
親父が引っ込めば、もっと早く話がまとまるんだ!
なんでそう、私の邪魔ばかりする!」
ギシリ、と源三が背もたれに体重を預けた。
「お前は金勘定だけは巧くなったが、『街を良くしよう』という理念が足りん。
『人のために企業がある』。その前提を忘れたら、凋落する一方だといつも言っているだろう」
「企業が利益を追求することの、何が悪い!
資本主義の本質だろうが! 利益を上げ、株主に還元し、さらに投資を募って利益を拡大する!
そのどこに問題があるっていうんだ!」
「お前は『人の心』をおざなりにし過ぎる。
それでは部下も付いてこないだろう。
息子一人育て上げられなかったのが、いい証拠だ」
――それは、親父が言っていいセリフじゃ無いだろう?!
健二はぐっと言葉を飲み込んだ。
自分が至らない自覚はある。
そんな自分を育んだのは、目の前の源三だ。
子供の教育に失敗したのは、源三も同じ――そう突き付けてしまえば、自分が三流の経営者だと認めるようなものだった。
それだけは、健二にとって認めることができない事実。
言い返せない悔しさを噛み締めている健二に、源三が笑いかける。
「ハハハ! そこで口に出せぬから『小物』と評されるんだよ、お前は。
自分を認めることもできない男に、誰が付いて行こうとするものか。
このままではお前の代で、浜崎家も没落するだろう。
――だが、それを回避する策があるとしたら、お前はどうする?」
健二の片眉がピクリと動いた。
「……その話を、土曜の夜に行うということですか」
源三がうなずいて応える。
「そういうことだ。納得したなら土曜日の午後五時、ここにまた来い」
「……失礼します」
身を翻し、乱暴に扉を開けて健二は会長室をあとにした。
源三は健二が閉めた扉を見つめ、ニヤリとほくそえんでいた。
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