第21話

 服を整えたマスターと一緒にスタッフルームを出ると、お店は大賑わいだった。


 大きい人や小さい人、体の一部分が動物の人。みんな近代的な服装でコーヒーや紅茶を飲んでいた。


 犬や猫、狐や狸、鳥や猿、変な牛までいる?!


 それに、もう人だかなんだかわからないものまで。


 それぞれが店の中に溢れるようにして、思い思いに過ごしているみたいだった。


 歩美あゆみがカウンターで泣きそうな声を上げる。


「やっと出てきた! 早く助けてよ! もう限界!」


 早苗さなえも店内を走り回りながら声を上げている。


「コーヒーのお客様ー! 次は誰だっけー?!」


 私はマスターと顔を見合わせ、ニコリと微笑んだ。


 二人でカウンターに駆け込みながら、袖まくりをして声を出す。


「手伝うよ! これはどこに持っていけばいいの?!」





****


 マスターが入ると、不思議とあわただしかった店内が静かになっていった。


 マスターの指示でオーダーをテーブルに運んでいき、カウンターに戻ると次のオーダーが待っている。


 しばらくすると、来店者全員が静かにコーヒーや紅茶を楽しむ空間になっていた。


 早苗さなえが息を切らしながら告げる。


「ようやく落ち着いた……なんなの、この来店者数」


 マスターがクスリと笑った。


「今回の協力者、ほぼ全員だよ。

 土曜日の夜、ここに居るみんなで健二を説得する。

 その前払いとして、今日は飲み放題って奴さ」


 私はマスターの顔を見て尋ねる。


「そんなことして、力は足りるの?」


 マスターはニコリと微笑んで応える。


「そのための儀式だからね。

 伊勢佐木いせざきさんの力をたっぷり受けてるから、大丈夫。

 でも伊勢佐木いせざきさんは、大事を取って明日はバイトを休みなさい。

 明後日の土曜日、夜になってからが本番だ」


「……朝陽あさひ


 マスターが「ん? なんか言った?」と応えた。


「あんだけ頑張ったんだから、ご褒美くらいくれてもいいじゃん。

 だから私のことも――その、朝陽あさひって呼んでよ」


 恥ずかしくて、マスターの顔を見れない。


 私、なんでこんなことを言ってるんだろう?!


 クスリというマスターのこぼした笑みが聞こえ、そのあとに穏やかな声が聞こえる。


「わかったよ、朝陽あさひさん――これでいいかな?」


「~~~~っ! それで我慢してあげる!」


 早苗さなえ歩美あゆみがクスクスと笑っていた。


「あー、ずるいんだー。抜け駆けじゃない?」


「私たちだって、下の名前で呼んで欲しいなー」


 マスターの楽し気な声が聞こえる。


「じゃあ公平に、早苗さなえさんと歩美あゆみさんね。

 これで満足した?」


 早苗さなえたちが頬を染めてジャンプして喜んでいた。


 そんな、ガッツポーズするほどのことかなぁ?


 歩美あゆみが力強く告げる。


「これで財部たからべさんと並んだわ!

 見てなさいよ、あの女!」


 早苗さなえが楽し気に告げる。


「いや~? まだ子ども扱いは抜けてないよ?

 並ぶのはもう少し先じゃない?」


 チラリと横目で見ると、マスターは幸せそうな微笑みを私に向けていた。


 あわてて目をそらし、マスターから顔を隠す。


 なんでこっちを見てるのかなぁ?!





****


 午後八時になり、いつものようにマスターに駅まで歩いて送られて行く。


 早苗さなえがマスターに尋ねる。


「マスターは車は持ってないの?」


「免許証がないからねぇ。

 車を用意することはできても、運転ができないんだ。

 ほら、無免許運転で捕まっちゃうだろう?」


 闇医者は利用するのに、変な所が律義だな。


 歩美あゆみが私に告げる。


「車が使いたくなったら、朝陽あさひが浜崎さんを呼べばいいんじゃない?

 昔だとなんていったかしら。『アッシー』だったっけ?」


 私は小首をかしげて尋ねる。


「なにそれ? 聞いたことないけど」


 マスターがクスリと笑った。


「よくそんな言葉を知っているね。

 車を運転させるボーイフレンドのことを、そう呼んでいたらしいよ。

 君たちが生まれる前の言葉だ」


 私はさらに首をかしげた。


「えー? 恋人同士なら、車でどこかに連れていくのなんて普通じゃないの?」


 歩美あゆみがクスクスと笑みをこぼしながら応える。


「それがね? 『車を運転させるだけ』の男友達をそう呼んだんですって。

 前にテレビで言ってたのを、チラッと見たのよ」


「――それって、友達なの?!

 どうして男性はそれに応じちゃうの?!」


 歩美あゆみは肩をすくめて首を横に振った。


「私にわかるわけがないじゃない。

 そんな歪んだ関係、どうして生まれたのかしらね」


「ちょっと! 『歪んだ関係』ってわかってるなら、私と浜崎さんをそんな言葉に巻き込まないで!

 浜崎さんは会ったばかりの人で、使いっ走りにしていい人じゃないよ!」


 早苗さなえがのんきな声で告げる。


「でも知り合い含めて、この辺りで車を出せるのは浜崎さんだけじゃない?

 車が必要になったら、お願いすることになると思うなー」


 マスターが楽し気に告げる。


「孝弘も免許は持ってないからね。

 車を出すだけなら、別に源三でもいい話だ。

 必要になったら、僕が浜崎家に頼んでおくよ」


 浜崎のお爺さんかー。


 あの人に頼むのも気が引けるけど、マスターが頼むなら……いいのかなぁ?



 駅に辿り着き、マスターに笑顔を向ける。


「それじゃマスター、また明日!」


「うん、帰り道に気を付けてね」


 私たちはマスターに手を振りながら、改札を通過した。





****


 潮原しおはら商事の最上階、会長室で椅子に座る浜崎源三の前に、壮年の男性が立っていた。


 髪を丁寧に後ろに撫で付け、神経質そうな四角い輪郭と意志の強い眼差しを持った男だ。


 源三が神妙な顔で口を開く。


「健二、土曜日の午後六時からの予定を開けておけ。

 これは会長命令、最優先だ」


 男性――浜崎健二が眉根を寄せて応える。


「その日は重要な取引先との会合があります。

 午後六時は不可能です」


 源三がニヤリと口角を上げた。


水津元みずもと建設との会合なら、もうキャンセルさせてある。

 先方には改めて日程を伝える手配をしてあるから安心しろ」


 健二がイラつきを隠さぬ表情で顔をしかめた。


「代表取締役は私だ! 親父じゃない!

 何を勝手なことをしてるんだ!」


 源三が白い目で健二を見据えながら応える。


「尻の青い青二才が、何を一丁前に抜かすか。

 未だに儂の支援がないと、大口の取引もまとまらんではないか」


「あんたが引退しないからだろう?!

 親父が引っ込めば、もっと早く話がまとまるんだ!

 なんでそう、私の邪魔ばかりする!」


 ギシリ、と源三が背もたれに体重を預けた。


「お前は金勘定だけは巧くなったが、『街を良くしよう』という理念が足りん。

 『人のために企業がある』。その前提を忘れたら、凋落する一方だといつも言っているだろう」


「企業が利益を追求することの、何が悪い!

 資本主義の本質だろうが! 利益を上げ、株主に還元し、さらに投資を募って利益を拡大する!

 そのどこに問題があるっていうんだ!」


「お前は『人の心』をおざなりにし過ぎる。

 それでは部下も付いてこないだろう。

 息子一人育て上げられなかったのが、いい証拠だ」


 ――それは、親父が言っていいセリフじゃ無いだろう?!


 健二はぐっと言葉を飲み込んだ。


 自分が至らない自覚はある。


 そんな自分を育んだのは、目の前の源三だ。


 子供の教育に失敗したのは、源三も同じ――そう突き付けてしまえば、自分が三流の経営者だと認めるようなものだった。


 それだけは、健二にとって認めることができない事実。


 言い返せない悔しさを噛み締めている健二に、源三が笑いかける。


「ハハハ! そこで口に出せぬから『小物』と評されるんだよ、お前は。

 自分を認めることもできない男に、誰が付いて行こうとするものか。

 このままではお前の代で、浜崎家も没落するだろう。

 ――だが、それを回避する策があるとしたら、お前はどうする?」


 健二の片眉がピクリと動いた。


「……その話を、土曜の夜に行うということですか」


 源三がうなずいて応える。


「そういうことだ。納得したなら土曜日の午後五時、ここにまた来い」


「……失礼します」


 身を翻し、乱暴に扉を開けて健二は会長室をあとにした。


 源三は健二が閉めた扉を見つめ、ニヤリとほくそえんでいた。

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