第22話
朝の通学路、いつものように着流し姿のマスターが私を待っていた。
「マスター、いつも何時から待ってるの?」
「んー?
「え?! そんなタイミングがわかるの?!」
マスターがニコリと微笑んだ。
「神様だからね。それぐらいは簡単だよ」
凄いな、神様……。
私はお弁当の青い巾着袋を受け取り、マスターに告げる。
「今日はバイトにいけないけど、大丈夫?」
「ああ、問題ないよ。
む。なんだかまた胸がモヤモヤしてる。
「あっそう! じゃあ
私はマスターに舌を出して、そのまま振り切るように通り過ぎた。
その瞬間、クスリとマスターが笑った。
――また、遊ばれてる?!
私はずんずんと足音がするくらい、乱雑に学校に向かって歩いた。
****
授業を上の空で受けながら、このモヤモヤは何だろうな、と考える。
子供っぽい独占欲なのかなぁ。
それとも嫉妬なのかなぁ。
『私だけのマスター』であって欲しいとは、思ってない気がする。
でも『マスターだけの私』であって欲しいとは、思ってるかもしれない。
だってマスターは神様で、誰か一人が独占して良い存在じゃない。
でももっとマスターに近づきたいって思いは、持ってるかもしれない。
相手はとってもすごい力を持ってる存在で、人間じゃなくて、恋愛とかそういう対象にはならないんじゃないかな。
そこまでわかってるのに、朝みたいなモヤモヤを感じてしまうのは……やっぱり私がお子様なのかなぁ。
なんだかもう少しで答えが出そうなのに、喉に詰まった小骨のように出てこない。
そんな気持ち悪さを感じながら、私の時間は過ぎていった。
お昼休みになり、お弁当を広げながら、
「二人はどう思う? この気持ち」
「えー、そんなの嫉妬に決まってるじゃん。
私たちだって、マスターと
名前呼びしてもらえるようになったんだし、あと一息じゃない?」
そう……なのかなぁ?
「でも神様なのも本当なのよね。
きっとマスターは年も取らなくて、一緒に生きていける存在じゃない。
見た目は良いし、優しいし、大人だから、一緒にいると心地良いのも確かなんだけど」
私は試しに
「
神様と知ってから、何か変わった?」
「んー、やっぱりそばにいて欲しいとは思うかな。
『マスターにとっての特別』になりたいとは、思ってるかもしれない。
それが恋愛感情なのかは、私にもよくわからないかも」
あー、『マスターにとっての特別』か。
それはきっと『独占したい』って気持ちと似ていて、ちょっと違う感覚。
でも『特別な存在』になったらマスターの心はその人のものになるわけだから、やっぱり独占欲なのかなぁ。
もしもこれが恋愛感情だったとして、私はこの気持ちをどう処理すればいいんだろう。
「神様相手に恋愛とか、二人はやっていけると思う?」
「私はバイトの時間だけ目の保養ができれば充分かな。
自分だけが年を取って、いつまでも若いままのパートナーとかちょっと嫌だし。
でもマスターのそばは心地いいから、高校生の間はそれを楽しもうと思ってるよ」
『今だけの関係』か。
もしかして私たちも、『宝石のような時間』を味わってる最中なのかもしれない。
女子高生の間だけ味わえる、特別な体験。
高校を卒業したら、それで終わってしまう時間。
でも大人になって、またあのコーヒーを味わいたくなったら、またふらりと訪れたい。
そう思わせるお店が『カフェ・ド・ビジュー・セレニテ』なのかなぁ。
私たちはそのあとも、だべり合いながら心の中でひっそりと今の気持ちを見つめていた。
****
放課後になり、重箱の入った青い巾着袋を
「それじゃあ、今日のバイトは頼んだよ」
「だーいじょうぶ!
私はムッとしながら応える。
「ちゃんと接客してよね?!」
「昨日あれだけ大忙しだったんだよ?
今日はたぶん暇でしょ。
ずっと店長をだべってるんじゃない?」
「
あなたが計画の要だって、マスターも言ってたんだし」
「わかってるよ!
家に帰ってのんびりしてまーす!」
私たちは笑顔で「また明日!」と言いあって、学校前で別れた。
****
久しぶりに通学路を使って駅まで向かう。
なんだか世界でひとりぼっちになったみたいで、ちょっと寂しい。
てくてくと歩きながら駅を目指していると、遠くになんだか見覚えのある人影。
その人もこちらに気付いたみたいで、こちらに向かって歩いてきた。
目の前にやって来たのは浜崎さん。
Tシャツの上からチェックのシャツを羽織ったラフな格好で、私に向かって笑いかけてきた。
「丁度いいところで会ったな。
これから少し、話さないか?」
「話ですか? 少しくらいならいいですけど」
「立ち話もなんだし、その辺の店にでも入ろうぜ。
なんでも好きなもんを頼め。おごるよ」
私たちはファーストフードの店に入り、浜崎さんはハンバーガーのセットを頼んだ。
私はコーラとアップルパイを頼み、二人席へ移動する。
ハンバーガーを頬張る浜崎さんに、私は尋ねる。
「それで、話って何ですか?」
「んー、あんた
むむ、いきなり名前呼びか。
「ちゃんと
私は浜崎さんと親しい訳じゃないですよ」
「会って、話して、名前を知った。
それならもう仲間だろ?
細かいことを気にするなよ。
俺の仲間はみんなそう呼んでくる」
ああ、そういう距離感の人なのか。
友達は多いんだろうな。
私は小さく息をついて応える。
「じゃあ孝弘さん、私の将来設計の話でしたっけ?
私は勉強して、できるだけ良い大学に行って、できるだけ良い就職を目指してます。
たくさん働いて、お母さんを助けるんです」
孝弘さんはコーラを飲みながら、何かを考えてるみたいだった。
「なんだか面白みのない人生だな。
将来の夢とかないのか?」
私はため息をついて応える。
「ですから、そういうのは生活に余裕がある人の特権ですよ。
庶民は生きて行くので精一杯なんです。
その場限りの仕事で時間を浪費して、年を取ってから何も残らないとか、馬鹿のすることです」
孝弘さんが苦笑を浮かべた。
「あいかわらず、耳が痛い言葉を遠慮なく放ってくるな。
確かに俺は親父のすねをかじって生きてる。
このままじゃ何者にもなれないってのも、理解してる。
だけど『自分だけの特別』を見つけたいとは思わないのか?」
『自分だけの特別』……。
それはきっと、たぶん見つけてしまっている気がする。
『カフェ・ド・ビジュー・セレニテ』は、特別な場所。
あそこを守るためなら、私はいくらでも頑張れる気がした。
だけどあそこは、いつまでも居られる場所じゃない。
それもうっすら理解してる。
私はこれから、どうしたらいいんだろう。
アップルパイにかじりついて黙り込んでいた私に、孝弘さんが告げる。
「せっかく出会った
それが今だけの思い出だとしても、後悔がないくらいにさ。
俺も
「力が足りないんですか?」
「俺は自力で店を見つけることができないからな。
俺の
宮司なんて、務まるとも思えねぇ。
――なのに、クソ爺は何を考えて
「……きっと浜崎のお爺さんにとっても、あの神社は特別なんじゃないですか?
いつまでも残っていて欲しいって思うから、マスターを怒らせてまであんな話をした。
その気持ちだけは、ちょっとだけわかります」
「そうか……」
孝弘さんはあっという間にハンバーガーのセットを食べてしまった。
私はちまちまとアップルパイを食べながら、孝弘さんの視線に耐えていた。
……なんで私の顔なんてみてるのかなぁ?
お店を出たところで孝弘さんに告げる。
「ごちそうさまでした。
それじゃあ明日、よろしくお願いしますね」
「ああ、任せとけ。
クソ爺も大乗り気で張り切ってる。
なんとかしてクソ親父を説得しないとな」
明るい笑顔で手を振って去っていく孝弘さんを見送ったあと、私はひとりで黙って改札を通った。
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