第3章:神社の危機

第13話

 がらんとした店内で、私は早苗さなえ歩美あゆみとカウンターに入り、コーヒーの入れ方を教わっていた。


 ドリッパーの上から丸く円を描くようにお湯を少し注いで、コーヒー粉が蒸れるのを待つ。


 ふわりと濃厚なコーヒーの香りが鼻をくすぐってくる。


 注いだ分がしたたり落ちてきたら、また円を描くように――。


「そう、その調子だ。

 だいぶ慣れてきたね」


「えへへ。いつもマスターがコーヒーを入れるところを見てますから。

 真似をしてるだけですよ」


 歩美あゆみが不思議そうに私を見て告げる。


「手順は同じはずなのに、朝陽あさひが入れるコーヒーはずっと美味しくなるのよね。

 なんでなのかしら。気になるわ」


 マスターがクスリと笑った。


「手順が悪いんじゃないよ。

 これはかんなぎとしての力の差なんだ。

 巫力ふりょくを込められる分だけ、伊勢佐木いせざきさんのコーヒーは味が増すんだよ」


 早苗さなえが不満げに唇を尖らせる。


「なにそれ、ずるっこじゃん」


 そう言われても、私自身が何かをしてる訳じゃないし、困ってしまう。


 コーヒーサーバーに一杯分が満たされたところでケトルを置いた。


 マスターが私の頭を撫でながら告げる。


「いいね。これなら僕が入れたのと遜色ない味になってるはずだ。

 今度から忙しいときは、伊勢佐木いせざきさんにもコーヒーを入れてもらおうかな」


 私が照れて顔を伏せていると、カランコロンとドアベルが鳴った。


 入ってきたのは、若い女性。


 透き通ってないから、幽霊じゃない。


 白いブラウスに淡いブラウンのクロップドパンツ、上から薄手のカーディガンを羽織っていた。


 髪の毛はアップにまとめていて、薄い色のサングラス。その奥には切れ長の眼差しが見えている。


 足元はベージュのローファーに、肩からは小ぶりの黒いショルダーバッグをかけていた。


 早苗さなえがカウンターから飛び出してエントランスに出る。


「いらっしゃいませ!

 『カフェ・ド・ビジュー・セレニテ』へようこそ!

 一名様ですか?」


 女性は早苗さなえを見たあと、カウンターにいる私や歩美あゆみを見て、マスターに笑いかける。


「あら、こんな若い子を三人もはべらして、随分と良いご身分ね?」


 マスターが苦笑を浮かべながら応える。


「いらっしゃい、財部たからべさん。

 今日はどうしたの?」


 女性――財部たからべさんは、早苗さなえを手で制して自分でカウンター席に腰かけた。


「ブレンド――ああ、他の子が入れたコーヒーじゃ嫌よ?

 きちんと辰巳たつみが入れてよね」


 ――マスターを名前で呼んだ?!


 コーヒーサーバーを取り換えたマスターが、ドリッパーをセットしながら応える。


「相変わらずわがままだね、財部たからべさんは」


「やあね、子供たちの前だからって他人行儀はやめてよ。

 いつもみたいに『綾子あやこ』でいいわよ」


 ムッとした様子の歩美あゆみがマスターに尋ねる。


「マスター、この人は?」


「――ああ、彼女かい?

 このお店の『協力者』の一人、財部たからべ綾子あやこさんだ。

 お金関係は、彼女が面倒を見てくれてるよ」


 早苗さなえも機嫌悪そうな顔で告げる。


「人間なんですか? それとも、『人ではないお客さん』?」


 財部たからべさんが早苗さなえに振り向いて応える。


「『どちらでもない』わね。

 この回答で満足? お嬢ちゃん。

 ――それより辰巳たつみ、今夜は空けてあるわね?」


 マスターはコーヒーを入れながら応える。


「そりゃあ月末だからね。

 そろそろ財部たからべさんが来る頃だろうと思ってたよ」


「だから、その他人行儀はやめてよ。

 いつもみたいに『綾子あやこ』って呼んで。

 じゃないと意地悪するわよ?」


 ふぅ、とマスターが小さく息をついた。


「――綾子あやこ。子供たちの前で何を見栄の張り合いをしてるんだ?

 いつものお前らしく、可愛い女でいなよ」


 こ、これは『見たことのないマスター』?!


 私や早苗さなえ歩美あゆみは、突然の『大人の空気』に気圧されていた。


 マスターが財部たからべさんの前にコーヒーを置いた。


「こんな時間から来るなんて、何がしたいんだ?」


 財部たからべさんは可愛らしい笑顔でコーヒーを受け取り、一口飲んだ。


「――うん、いつもいい味ね。

 いえ、巫力ふりょくが随分と高いわ。

 これは……そう、あなたの力ね」


 財部たからべさんは、私を見てそう告げた。


 私は思わず尋ねてしまう。


「コーヒーを飲んだだけで、わかるんですか?」


 財部たからべさんがクスリと笑みをこぼす。


「これでも神のはしくれだもの。

 そのくらいはわかるわよ」


 ――マスター以外の神様?!


 財部たからべさんがカップを置いてマスターに告げる。


「今夜は何時から来てくれるの?」


「いつも通り、午後十時からじゃダメなのか」


 財部たからべさんがニンマリと微笑んだ。


「もう少し早い方が良いわね。

 ――午後八時。これでどう?」


 マスターがあきれたような表情で財部たからべさんを見つめた。


「『いつものお前になれ』とは言ったが、『甘えん坊になれ』とは言ってないぞ。

 その時間だと、店を早く閉めなきゃならない。

 一度、どこかで時間をつぶして来てくれないか」


「いいわよ? そのあとの辰巳たつみを独占できるなら、それぐらい待ってあげる」


 歩美あゆみがあわてて口を開く。


「独占って、あなたはマスターのなんなんですか?!」


 財部たからべさんがサングラスを少し下ろして、宝石のように輝く赤い瞳で歩美あゆみを見た。


「――パトロン、と言えば伝わるかしら?

 この店を維持する手伝いをする代わりに、辰巳たつみの時間をもらってるの」


 マスターが鋭い声で告げる。


綾子あやこ!」


「あら、別にいいじゃない。

 子供とはいえ、もう高校生なんでしょ?

 女子なんだし、私たちの関係ぐらい想像がつくんじゃない?」


 マスターが疲れたようにため息をついた。


「いい加減にしないか綾子あやこ

 子供相手にみっともない。

 ――ごめんね伊勢佐木いせざきさんたち。

 そういうことだから、今日は午後五時でお店を閉めるよ」


 私たちは戸惑ったまま、マスターにうなずいた。





****


「ごちそうさま、また後でね」


 財部たからべさんは会計もせずに、そのままお店を出ていった。


 歩美あゆみが金切り声を上げる。


「何なのあの女! いちいちイラつくわね!

 なんでこれみよがしに『私、マスターと親しいのよ』って空気を押し付けてくるの?!」


 早苗さなえがおそるおそるマスターに尋ねる。


「ねぇマスター、財部たからべさんとどういう語関係なんですか?」


 マスターは困ったような笑みで早苗さなえに応える。


「彼女は古い知り合いなんだ。

 持ちつ持たれつの関係、といったところかな。

 でも、君たちが心配するような関係でもないよ」


 私もおずおずと尋ねる。


「でも『パトロン』って言ってましたよ?

 金銭的な援助を受けてるんですか?」


「知っての通り、このお店は生きてる人間のお客がほとんど来ないからね。

 お金を払う必要があっても、払うものがない。

 だから僕が財部たからべさんを助ける代わりに、お金を受け取ってるんだ」


 ――それって?!


 マスターがクスリと笑った。


「だから言っただろう? 『君たちが心配するような関係じゃない』って。

 僕の力を、彼女に渡すだけさ。

 一度にたくさんの量は渡せないから、その間は一緒にいる。

 そのことを彼女が意味深に言っただけだよ」


「……その『一緒にいる間』って、何をしてるんですか?」


「んー、映画館に行ったりとか、レストランに行ったりとか。

 財部たからべさんの家で、一緒にお酒を飲むこともあるかな」


 デートじゃん?!


 歩美あゆみがあわてたように口を開く。


「それでも、付き合ってるって訳じゃないんですよね?!」


 マスターがニコリと微笑んだ。


「違うね。時間をつぶせるなら何でもいいんだ。

 月末になると、二時間ぐらいかけて力を渡す。

 その報酬として、僕はお店の運転資金を得る。

 持ちつ持たれつのドライな関係だよ」


 私は疑問に思ったことを尋ねてみる。


財部たからべさんって、どんな神様なんですか?」


「サラスヴァティ――君たちには、『弁財天』って名前の方がわかりやすいかな?

 七福神の一人だよ」


 ――超大物だったー?!

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