第14話

 言葉を失ってる私たちに、マスターが楽しそうにクスリと笑った。


「君たちに少し説明しておくと、財部たからべさんは『弁財天』本人じゃない。

 『分霊』って言葉は知ってるかな?」


 私たちは首を横に振った。


 マスターが穏やかに言葉を続ける。


「神様本人じゃない神様のことだよ。

 僕や財部たからべさんは、神の分身なんだ。

 だから本質は本体と同じだけど、力が弱い。

 日本に来てからは、だいぶ弱くなってしまったね」


 それって――。


「マスター、もしかして日本で生まれた神様じゃないの?」


「そうだよ? 僕たちの生まれ故郷はインドの辺り。

 そこから中国を渡って日本にやってきた神だ。

 僕は財部たからべさんと一緒に、そうやって日本にやってきた神なんだ」


 歩美あゆみがマスターに尋ねる。


「じゃあマスターも、有名な神様なんですか?」


 マスターが妖艶な笑みを浮かべた。


「それは内緒。

 日本では竜神として敬われていた神――それで充分だろう?

 ――さぁ、お店を閉める準備をするよ。

 掃除を手伝ってくれるかな?」


 私たちはうなずいて、指示された通りに閉店準備をしていった。


 フロアの清掃も教わりつつこなしていく。


 一通り終わると、着替えるためにスタッフルームに入った。





****


 歩美あゆみが機嫌悪そうに口を開く。


「弁財天だか知らないけど、あの財部たからべって人は感じ悪いわ!」


 早苗さなえもむすっとしながらうなずいていた。


「子供っぽいよね、あの人。甘えん坊だし。

 本当に弁財天なのかな」


 私も戸惑いながらブラウスに袖を通した。


「マスターが私たちに意味のない嘘なんてつかないと思うし。

 そこは多分、本当なんじゃないかな」


「バイト代が出ても、そのお金が財部たからべさんから出てるって考えると気分が悪いよ!」


「そうだね……でもお店を維持するのを手伝ってくれる人だし、悪い人じゃない気もする。

 マスターを好きな人なのかもしれないけどさ」


 持ちつ持たれつって言ってたし。


 きっとマスターの力がないと、財部たからべさんも困る人なんだ。


 ちょっと私たちに対する当てつけはイラっとしたけど。


 バタンと大きな音を立てて、歩美あゆみがロッカーを閉めた。


「ねぇ、今夜マスターを追いかけて見ない?

 本当に恋人同士じゃないのか」


「ええ?! そんなことできないよ!

 お酒を飲むお店とか、高校生は入れないし!」


「追いかけられるところまででいいのよ。

 お店に入ったら、外で待ってればいいじゃない。

 二時間くらいなら、九時までには終わるし。

 親には怒られない時間よ」


 早苗さなえがパタンとロッカーを静かに閉めた。


「私は乗った――朝陽あさひはどうする?」


「え、マスターたちを追いかけるの?!

 本気?! やめようよ、プライベートの時間でしょ?!」


 二人は黙って私を見つめてきた。


 この流れは……仕方ないか。


 二人がやり過ぎないように、私が止めないと。


「……わかった、私もつきあう」


 私は小さく息をついた。





****


 スタッフルームを出ると、マスターはいつもと違って白いシャツとグレーのジーンズ、その上に黒いジャケットを羽織っていた。


 首には銀のネックレスが見える。


 こうしていると、普通のお兄さんみたいだ。


「まだ明るいけど、駅まで送ろうか」


 歩美あゆみがマスターを手で制した。


「いえ、大丈夫です。

 マスターはこれから『お忙しい』でしょうし、三人いれば怖くないですから」


「そうかい? じゃあ気を付けて帰ってね。

 明日は定休日だし、みんなとは明後日会うことになるかな」


 歩美あゆみの嫌味を、マスターは軽やかにスルーしていた。


 これが大人の余裕か……。


「じゃあ、お先に失礼しまーす!」


 私たち三人は、店長を残して店を出た。



 店が見えなくなってから、私たちはお店の前の通りが見える街路樹の影に隠れた。


 私は思わず不安になって告げる。


「ねぇ、これで気づかれないの?」


「かがんでれば大丈夫よ」


 ほんとかなぁ……。


 スマホを見ると、午後八時を少し過ぎた頃。


 赤い乗用車が遠くから近づいてきて、お店の前にとまった。


 中から降りてきたのは――財部たからべさんだ。


 彼女はさっきと同じ服装で、そのまま店内に入っていく。


 すぐにマスターと一緒に出てきた――腕を組みながら。


「何あれ! なんでマスターに抱き着いてるの?!」


歩美あゆみ! 声が大きい!」


 財部たからべさんの声が小さく聞こえてくる。


「今日は歩いて行きましょう?

 いつものバーでいい?」


 マスターがため息をついていた。


「何を考えてる? 綾子あやこ

 くだらない遊びはやめておけ」


「あら、いいじゃないたまには。

 時間を潰せれば、なんだっていいんでしょ?」


 店長と財部たからべさんが店から離れると、お店が白い霧に包まれた。


 すぐに霧が晴れて、そこには寂れて朽ちた神社が残った。


 初めて見た早苗さなえたちは、その光景に驚いていた。


「なにあれ……なんで神社になったの?」


「言ったでしょ? あの神社が正体だって。

 いつもいるお店は、マスターが作る幻なんだよ」


 閉店処理ってのは、このことなんだな。


 街路樹の裏でかがんだ私たちの前を、マスターと財部たからべさんが通り過ぎていく。


 私たちは見つからないように頭を低くしていた。


 この街路樹の高さなら、財部たからべさんからは見えないはず。


 だけど財部たからべさんがクスリと笑うのが聞こえてしまった。


 二人の足音が遠ざかってから、あわてて頭を上げて二人を探す。


 十数メートル先を、マスターたちは歩いていた。


 財部たからべさんはマスターの腕に抱き着いたままだ。


 歩美あゆみが静かに告げる。


「いくわよ、正体確かめてやる!」


 早苗さなえも立ち上がり、鼻息を荒くしていた。


 ……なーんか、気付かれてる気がするんだけどなぁ。


 私もゆっくりと立ち上がり、マスターたちを追跡する二人の後を追った。





****


 意外なことに、二人は商店街の表通りにあるファミレスに入っていった。


「あれ? バーじゃないの?」


 歩美あゆみ財部たからべさんを睨み付けながら告げる。


「都合がいいわ。私たちも行くわよ」


 ずんずんとファミレスに向かう早苗さなえ歩美あゆみを、私はあわてて追いかけた。



 店内に入り、店員の案内を断ってマスターたちの席を覗ける場所に座る。


 ドリンクバーだけ頼んで、早苗さなえ歩美あゆみ財部たからべさんを睨み付けていた。


 私は小さく息をついて立ち上がり、二人に告げる。


「飲み物持ってくるよ。何がいい?」


「コーラ」


「メロンソーダ」


 私はなるだけマスターたちから見えないようにドリンクバーのカウンターに移動した。



 トレイにコーラとメロンソーダを乗せ、自分の飲み物を選ぶ。


 私は……アイスレモンティーでいいかな。


 レモンのポーションをトレイに乗せ、サーバーからグラスにアイスティーを注いでいく。


 注がれて行く紅茶を見つめながら、小さく息をついた。


 こんなことして、何の意味があるんだろう。


「こぼれるよ、伊勢佐木いせざきさん」


「――っと、危ない! ありがとうマスタ……え?」


 振り向いた先には、穏やかな笑みを浮かべるマスターが立っていた。


「なん……で? だって、マスターと財部たからべさんは早苗さなえたちが見張ってるんじゃ……」


 マスターはニコリと微笑んで応える。


「分身するぐらい、神様なんだから不思議じゃないだろう?」


 ――充分に不思議ですけど?!


 混乱する私の手から、店長がグラスを奪ってトレイに乗せた。


「席まで運ぶよ。行こうか伊勢佐木いせざきさん」


「あ……はい」


 私はマスターの後について、早苗さなえたちが待つテーブルに戻っていった。

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