第12話
海難、事故……。
それで全身が濡れてるってこと?
マスターが私たちに、少し厳しい目を向けて告げる。
「先に言っておくけど、哀れみや同情を持ってはいけないよ?
幽霊の未練は、そういったものに引きずられてしまう。
ここは明るく心地良い時間を提供する店だ。
だから君たちも、明るい気持ちで接客して欲しい」
明るい気持ち……。
「そっか、お客さんに楽しんでもらおうと思えばいいのかな」
マスターがニコリと微笑んだ。
「うん、さすが
――
「……できると思う?」
「でも、
二人がうなずいてマスターを見る。
「やってみます!」
二人の声が、店内に響き渡った。
土屋さんがクスクスと笑う声が聞こえ、振り返った。
「元気なお嬢さんたちね。
私も学生時代を思い出すわ」
私はカウンター席から土屋さんに尋ねる。
「どんな学生時代だったんですか?」
「私、女子高だったのよ。
そりゃあもう、毎日女子で集まって賑やかだったの。
男子と縁はなかったけれど、あれはあれで青春だったわ」
「女子高って、慎みが無くなるって聞いたんですけど、ほんとですか?」
土屋さんはクスクスと笑みをこぼしながら応える。
「慎みなんて、まるでなかったわね。
ここじゃ言えないような酷い有様よ?
私も例に漏れず、あまり女性らしいとは言えない学生だったわ」
へぇ~、とてもそんな風に見えない。
「でも土屋さん、今は女性らしいですよね?」
「大学でね? ちょっと良い人ができたの。
その人に振り向いて欲しくて、必死に自分を磨いたのよ?」
ほぉ~。恋に生きる女子はタフだなぁ~。
コトリ、と背後で音がして振り返ると、クッキーアソートのお皿が置いてあった。
マスターがニコリと微笑んで
「さっき怖がったお詫びに、土屋さんに出してあげて」
ゴクリと唾を飲んだ
「あ、あの。さっきはごめんなさい。
これ、お詫びのクッキーだそうです」
ことりと置かれたクッキーに、土屋さんが笑顔になる。
「まぁ、こんな裏メニューがあったの?」
マスターがニコリと微笑んで応える。
「内緒ですよ? 僕の手作りクッキーです。
お口に合うと良いんですが」
土屋さんがクッキーを一口かじり、満足気にうなずいた。
「オレンジピールとバターの風味が交わって、とっても美味しいわ。
これは癖になりそう。
ねぇ、次に来たときもお願いして良いかしら?」
「ええ、構いませんよ。
アソートの内容は日替わりですが、そのクッキーは用意しておきます」
美味しそうにクッキーとブレンドを味わう土屋さんを見て、
「ごゆっくりどうぞ!」
そう言ってカウンターに戻ってくる
「なんだ! 普通のお客さんじゃん!」
私は呆れながら応える。
「だからそう言ったじゃん。
ここは『ちょっと変わったお客さん』がくるだけのお店。
怖がる必要、ないんだよ」
ぼんやりと土屋さんを眺めながら、「本当に普通のお客さんなのね」とつぶやいていた。
私たちは土屋さんがメニューを楽しむのを、温かい気持ちで見守っていた。
食べ終わった土屋さんがふぅ、と小さく息をついて立ち上がり、レジに向かう。
マスターもレジカウンターに入り、ポンポンとキーを叩いて行く。
ぶわっと大きな『何か』がレジに吸い込まれ、土屋さんの姿が一気に薄くなった。
「また来るわね。
その時もよろしく」
いつの間にか乾いた姿になっていた土屋さんが、店のドアから出ていった。
マスターがレジカンターから出てきて、私たちの頭を撫でていった。
「今回は本当に上出来だったね。
土屋さんはとても満足して帰っていった。
あと一回か二回来店すれば、彼女の未練も消えるはずだ」
そっか、やっぱりあれでいいのか。
『カフェ・ド・ビジュー・セレニテ』は『宝石のような時間』を提供するお店。
哀れみや同情なんかじゃなく、キラキラと輝く想いで迎えてあげればいいのか。
マスターがカウンターに入って私たちに告げる。
「今夜はまだお客さんが来ると思うから、接客よろしくね」
「はい!」
私たちの元気な声が、お店の中に響き渡った。
****
午後十時になり、マスターが私たちに告げる。
「もう時間だから、三人は上がって」
私は驚いて振り向いた。
「え? でもまだお客さんがいますよ?」
店内では、私服の男性と若い女の子が美味しそうにコーヒーや紅茶を飲んでいた。
マスターが困ったように微笑む。
「午後十時以降は、高校生の労働が禁止されてるからね。
君たちにバイト代を払うためにも、そこは曲げられないかな。
なにより親御さんが心配するでしょ?」
ああ、それもそうだ。
帰りが遅くなったら、お母さんが心配するし。
「わかりました! それじゃあ上がらせてもらいますね!
――行こう!
私は二人を連れて、スタッフルームに入っていった。
****
学校の制服に着替えながら、二人に尋ねる。
「どう? バイト続けていけそう?」
二人はなんだか、ぼんやりとしながら着替えていた。
「
ハッとなった
「なんでもないわ!
――そうね、これなら続けていけると思う」
「おっきな手だったなぁ……」
「あー、さては撫でてもらった感触を思い出してたな?」
ボフっと音がしそうなほど真っ赤になった
「そ、そんなことない! あるわけないじゃん!」
私はニンマリと微笑みながら告げる。
「もっと頑張ると、いろいろご褒美もらえるかもよ?」
「ご褒美……これ以上の……?」
真っ赤な顔でうつむきながら、
****
学校制服になってスタッフルームを出ると、着流し姿のマスターが待っていた。
「駅まで送っていくよ。
忘れ物はないかな?」
三人でうなずき、マスターの後に続いて店を出る。
店を出たあと振り返ると、やっぱり営業中の喫茶店があった。
店内にいるお客さんの姿も見える。
「本当にお客さんを放置してきちゃうんですね……」
「常連さんは待っていてくれるからね。
そこは安心して大丈夫だよ」
「なーに、二人とも。意識しちゃってるの?」
「そんなことないよ!」
二人同時に叫ばなくても……。
マスターがクスリと笑って、着流しの袖口から二通の封筒を取り出し、二人に差し出した。
「これ、雇用契約書ね。
保護者の同意が得られたら、きみたちも正式にバイトとして雇用できるよ。
年齢証明書は、後日でも構わないから」
「あー、私も年齢証明書、用意しなきゃだー」
「そうだよ? 今月中であれば間に合うから、あわてなくて大丈夫だけどね」
「うーん、役所に行くの大変みたいだし、お母さんにコンビニで取って来てもらうかなぁ?」
「うちはそうするつもりよ。
「お母さん説得する時、一緒に頼むかなぁ」
駅に付き、改札でマスターと笑顔で別れる。
私たちは同じ方向の電車に乗りこみ、今日の出来事を小声で話し合って過ごした。
****
カランコロンとドアベルが鳴った。
私はすかさずエントランスに出る。
「いらっしゃいませ!
『カフェ・ド・ビジュー・セレニテ』へようこそ!
一名様ですか?」
三井さんが首を横に振った。
「今日は三名だよ。
あとから二名来る」
「ハイわかりました!
お席にご案内します!」
店内では
私たち三人になってから、お客さんが増えたみたい。
席に案内すると、三井さんが座りながら私に告げる。
「どうやら繁盛してるみたいだね。
仲間内で、君たちバイトのことが噂になってるよ」
「それで来店者が多いんでしょうか?」
「ハハハ! そうかもしれないね!」
カウンターの中のマスターは大忙しだ。
『カフェ・ド・ビジュー・セレニテ』は今日もお客さんに、『宝石のような時間』を提供していく。
私もお仕事、頑張るぞ!
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