第9話

 歩美あゆみがコーヒーを一口、二口と飲んでため息をついた。


「――駄目ね。私にコーヒーは、まだ早かったみたい」


 辰巳たつみがニコリと微笑んで応える。


「そうかい? ならそこまでにしておきなさい。

 無理をして飲むものじゃないからね」


 歩美あゆみが諦めてフッと笑みをこぼした。


「そうしておくわ。

 コーヒー、ごちそう様」


「――このコーヒー、僕がもらってもいいかな?

 ほとんど飲んでないんじゃ、もったいない」


 歩美あゆみの顔がカッと真っ赤に染まった。


「ちょっとマスター!

 それはデリカシーが無いんじゃないかしら!」


「ハハハ! 冗談だよ!

 きちんと捨てておくから、安心しなさい」


 歩美あゆみは真っ赤になりながら、辰巳たつみに背を向けた





****


 テーブルに返ってきた歩美あゆみを、私と早苗さなえはニヤニヤと見守っていた。


「どうだった~? 『大人の味』は?」


「うるさいわね! どうだっていいじゃない!」


 早苗さなえがニンマリと告げる。


「ほーら、やっぱり歩美あゆみだってお子様だったじゃん。

 見栄を張って大人ぶるから、マスターにからかわれたんだよ」


 確かに、あんなに人を翻弄する姿は初めて見たな。


 いつも私には優しく接してくれてたし。


 椅子に座った歩美あゆみが紅茶のカップに口をつける――。


「なにこれ! 美味しい!」


 私はきょとんとして歩美あゆみに尋ねる。


「突然どうしたの?

 コーヒーを飲んだ後で、味が変わって感じるの?」


「違うわよ!

 香りから何から、この前の紅茶と全然味が違うじゃない!

 銘柄を変えたの?!」


「えー? そんな話は聞いてないけどなー?」


 早苗さなえもあわてて紅茶に口をつける。


「――すごい! フルーティーで甘くてコクがある!

 これ、朝陽あさひが言ってた紅茶の味じゃない?!」


 あ、そういうことか。


 なんて説明しようかな。


「んーとね、今の二人は『お守り』の力で、このお店のメニューを美味しく感じられるんだよ」


 二人がきょとんと私を見つめてきた。


 早苗さなえが私に告げる。


「それ、どういう意味?」


 歩美あゆみも困惑してるみたいだ。


「お守りで味覚が変わるってこと?」


 カウンターからトレイにケーキを乗せて、マスターがこっちにやってきた。


「その辺り、そろそろ説明しておこうかな?」


 私は思わず尋ねる。


「マスター、説明しても大丈夫なんですか?」


「ダメだったら、お店を出た時に忘れるようにしておくから大丈夫」


 早苗さなえ歩美あゆみが、きょとんとしてマスターを見つめて居た。





****


「甘い! とろける! なにこれ、ショートケーキだよね?!」


 早苗さなえが感激したように体を震わせていた。


 歩美あゆみもたっぷりと味わってから飲み込み、ため息をついた。


「――ふぅ。これがお守りの効果なのね。

 でも、マスターが神様って言われてもピンとこないわ」


「ハハハ! それはそのうちわかることだよ。

 ――そろそろ四時か。

 ちょっと早いけど、ケーキを食べ終わったら研修を始めようか」


 早苗さなえたちうなずいた。


 研修、つまりスタッフルームの案内と、業務の練習だ。



 マスターが早苗さなえたちをスタッフルームに案内し、私の時と同じように設備を説明した。


 歩美あゆみが手を挙げて告げる。


「この部屋の清掃はどうするんですか?」


「いつもは僕がやってるけど、代わりにやってくれるなら助かるかな。

 今日は接客に専念してもらって、明日教えることにしようか」


「……じゃあ、トイレの清掃は?」


「もちろん僕がやっていたよ?」


 あわてたように歩美あゆみがトイレに駆け込み、中を確認していた。


「……明日から、トイレのゴミ捨ては私たちが担当するってことでいいですか?」


 マスターがニコリと微笑んだ。


「そうしてくれると助かるよ。

 よろしく頼むね」


 きょとんとする私と早苗さなえは訳がわからず、マスターと歩美あゆみを見比べていた。





****


 マスターは「じゃあ、清水しみずさんと荒川あらかわさんも着替えておいて」と言ってスタッフルームを出ていった。


 私は歩美あゆみに駆け寄って尋ねる。


「どうしたの? 急にゴミ当番をやりたいって」


「……トイレの中、見てみなさいよ」


 どういう意味だろう?


 中を確認してみても、ありきたりのよくあるトイレだ。


 きれいに掃除が行き届いていて、埃一つない。


 私は歩美あゆみに振り向いて尋ねる。


「なにかおかしなところ、ある?」


「……サニタリーボックスがあるでしょ」


 ――あっ?!


「まさかマスター、サニタリーボックスの掃除までしてたの?!」


「見たところ新品だから、朝陽あさひのために用意したのでしょうね。

 でもお客用のトイレにも多分、あるんじゃない?」


 うへぇ、そんなものをマスターに掃除させたくはないなぁ。


 早苗さなえがのんきな声で告げる。


「別に気にしなくたっていいんじゃない?

 そんな細かいこと気にしてたら、長生きできないよ?」


 歩美あゆみが猛然と早苗さなえに食って掛かった。


「いいわけないでしょ! 男性にこれの処分なんてさせられないわよ!」


歩美あゆみは気にし過ぎだよ~。

 それに神様なんでしょ? 男性の姿をしてるだけで」


「それでもよ!」


 私はあわてて二人の間に割って入った。


「まぁまぁ、落ち着いて歩美あゆみ

 とにかく、女子がトイレのゴミ掃除をする。それでいい?」


 歩美あゆみはしっかりと、早苗さなえは渋々とうなずいていた。





****


 私たちは割り当てられたロッカーを開け、喫茶店の制服に着替えていく。


 歩美あゆみがスカートを履きながら、不思議そうに小首をかしげていた。


「サイズぴったりね……どうやって私たちのサイズを知ったのかしら」


 早苗さなえも不思議そうに、シャツを着て胸元を見ていた。


「胸のサイズも丁度いい感じだね。

 肩も苦しくないし。どういうこと?」


 そう言われれば、私も苦しくなかったな。


 私が小首をかしげていると、歩美あゆみがハッとしたように告げる。


「まさか、私たちの体のサイズを知ってるの?!」


「まっさかー。マスターはそういうこと、しない人だと思うけど。


「……わかんないわよ。

 神様だから、感覚がずれてるのかもしれない」


 そうかなー?


 少し警戒してるような歩美あゆみを連れ、私たちはスタッフルームを後にした。





****


 スタッフルームの外ではマスターが待っていて、穏やかに微笑んでいた。


「賑やかだったね。

 君たちに余計な気を使わせてしまったかな?」


 歩美あゆみが頬を赤らめながら応える。


「いえ、女子の尊厳の問題ですので。

 用意をしてくれたことはお礼を言います」


 マスターがニコリと微笑んだ。


「トイレの拭き掃除が僕がやっておくから、君たちはゴミ掃除だけでいいよ。

 それでも汚れが気になった時のために、やり方だけは明日、教えておこう」


 スッと歩美あゆみが手を挙げた。


「それで、なぜこの制服が私たちにぴったりなのか、教えてもらえますか」


 睨み付けるかのような歩美あゆみの視線を、マスターは穏やかな微笑みで受け止めていた。


「ああ、気になったのかな?

 大丈夫、僕が君たちの体のサイズを知ってる訳じゃないよ。

 その制服は、自然と体に合った大きさになる。そういう服なんだ」


 早苗さなえが感心したようにうなずいた。


「へぇ~、さすが神様なんだね」


 クスリとマスターが笑って告げる。

 「じゃあ、接客のやり方を教えるね」



 それからマスターは、基本的な業務内容を私たちに教えていった。


 とはいえ、お客さんを出迎えて席に案内し、水を出す。


 注文を取ってマスターに伝え、メニューができたらテーブルに運ぶ。


 そしてお客さんが帰ったらテーブルを片付ける。


 基本的な接客はこれだけだ。



「――わかったかな?

 疑問があれば、遠慮なく言って欲しい。

 ……ないみたいだね。

 それじゃあ伊勢佐木いせざきさんをお客さん役にして、練習してみようか」


 私たちはマスターにうなずいた。

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