第10話

 私はお客さんの役をやるため、一度お店の外に出た。


 振り返ってみても、ちゃんと喫茶店になっていて、扉の奥でマスターが早苗さなえたちに何かを教えてるのが見える。


 ……ここが神社かぁ。


 ちょっとした感慨を覚えながら、私はドアに手を伸ばした。



 私が入店すると、歩美あゆみがカウンター席からこちらに歩いてくる。


「いらっしゃいませ、『カフェ・ド・ビジュー・セレニテ』へようこそ。

 お客様は一名様ですか」


「はい、そうです」


「ではお席へご案内します。

 こちらへどうぞ」


 丁寧に手近な席に案内され、メニューを渡された。


 私は歩美あゆみを見上げて告げる。


「ブレンドを一つ」


「かしこまりました」


 歩美あゆみは伝票に鉛筆で書きこみ、カウンターに向かって告げる。


「ブレンド一つ入りました」


 マスターがうなずいてコーヒーを入れ始める。


 歩美あゆみがカウンターに戻っていき、コーヒーを入れ終わるのを待っていた。


 コーヒーが出来上がると、それをトレイに乗せ静かに歩いてくる。


 コトリと小さな音を立てて、カップが私の前に置かれた。


「ごゆっくりどうぞ」


 カウンターに戻っていった歩美あゆみに、マスターが拍手をしていた。


「よくできてるね。

 未経験者なのに迷いがない。

 普段から店員の動きを見てるんだね」


 歩みが得意気に髪をかき上げた。


「これくらい、当然です」


「――でも、最初にお水を出し忘れてる。

 そこだけが減点かな」


 歩みが「あっ!」と口を手で押さえていた。


 どうやら冷静に見えて、彼女も緊張していたらしい。


 マスターがクスクスと笑いながら早苗さなえに告げる。


「次は荒川あらかわさんだね。

 お客さんの役は、また伊勢佐木いせざきさんにお願いしようか」


「はい!」





****


 早苗さなえはちょこちょこ手順を忘れかけていたけど、ちょっと待ってあげれば思い出せていた。


 マスターがニコリと微笑んで告げる。


「本番でも、今みたいにできれば充分だ。

 少しくらいミスしても、怒るようなお客さんはまずこないからね。

 もし相手にできないお客さんがいたら、僕が相手をするから安心して」


「はい!」



 研修の後片付けをしていると、カランコロンとドアベルが鳴った。


「いらっしゃいませ!」


 私たち三人の声が店内に響き渡る。


 入ってきたお客さん――顔のない和服のお爺さんが、驚いたようにたじろいでいた。


 同時に、早苗さなえ歩美あゆみも悲鳴を上げる。


「キャー! お化けー?!」


 マスターが楽しそうに口を開く。


「二人とも、落ち着いて。

 ――三井さん、久しぶりだね。

 ごめんね、騒がしくて」


 顔のないお爺さん――三井さんが、戸惑うように応える。


わしはかまわんが……しかし、こりゃ人間かい?

 あんたが人間を雇ったって、何年振りだろうねぇ」


「ハハハ! かんなぎ以外を雇ったって意味では、初めてかな?

 ――荒川あらかわさん、接客して」


「――え?! 私ですか?!」


 おどおどとした歩美あゆみが、マスターと三井さんを交互に眺めた。


 マスターが穏やかな表情で歩美あゆみに尋ねる。


「接客は無理? じゃあバイトは諦めるってことで、いいかな?」


 ハッとした歩美あゆみが、マスターの顔を見つめてから自分の頬を両手で叩いた。


「――いえ、できます!」


 ゆっくりと歩美あゆみが三井さんに近づいて行く――やっぱりちょっと、及び腰かな。


「い、いらっしゃいませ。

 『カフェ・ド・ビジュー・セレニテ』へようこそ。

 一名様ですか?」


「ああ、そうだよ、お嬢さん」


 どこから声を出してるんだろう、三井さん……。


 歩美あゆみがぎくしゃくした動きで手で示す。


「お席へご案内します。

 こちらへどうぞ」


 そのまま、三井さんに背中を見せないようにカニ歩きをしながら、席へ案内していく。


 ……背中を見せるのが怖いのか。


 三井さんから楽しそうな声が聞こえる。


「ハッハッハ! 取って食いやしないよ!」


「あはは……」


 三井さんがゆっくりと席に座ると、歩美あゆみはあわててカウンターに戻り、一息ついていた。


 私は歩美あゆみを肘で小突きながら告げる。


歩美あゆみ、お水お水」


「わ、わかってるってば!」


 歩美あゆみが冷たいお水を用意して、三井さんの前に持っていき、コトンとコップを置く――手が震えてるなぁ。


 三井さんが歩美あゆみを見上げて告げる。


「カプチーノ。ダブルで」


 渋いものを注文するんだな?!


 え?! 和服ののっぺらぼうが、カプチーノをダブルで飲むの?!


 歩美あゆみも戸惑いながらマスターに振り向いた。


「マスター、カプチーノダブル、お願いします」


「はーい。ちょっと待ってね」


 カウンターの奥の機械を操作しながらマスターが応えた。


 いつもはブレンドしか出さないから、機械の準備ができてないみたい。


「マスター、このお店のメニューにカプチーノなんてあったの?」


「裏メニューだよ。

 三井さんみたいに頼む人が居るから、機械だけは置いてあるんだ」


 なるほど……裏メニューか。


 カウンターに戻ってきた歩美あゆみ早苗さなえが、心細そうに三井さんを見つめて居た。


 私は二人に明るい声で告げる。


「あんな風に、『ちょっと変わったお客さん』が来るだけの、普通の喫茶店だよ」


「普通じゃないでしょ?! のっぺらぼうって妖怪だよ?!」


 早苗さなえの声に、三井さんが楽しそうに笑った。


「ハハハ! そう呼ばれるのも、久しぶりだねぇ!」


 歩美あゆみが不安気に私に尋ねる。


「本当に危なくないの?」


 私は指に顎を乗せながら考えてみる。


「んー、危ないって感じは全然しないし。

 夜のお客さんに比べたら、全然怖くないよ」


「夜のお客さんって、何者なのよ……」


 私はニンマリと微笑んで応える。


「それは、見てからのお楽しみ!」


 なんだか、私も楽しくなってきたぞ?


 この二人はどんなリアクションをするかな?



荒川あらかわさん、お願いね」


 カプチーノが出来上がり、カウンターにカップが置かれた。


 歩美あゆみは震える手でトレイを持ち、そっとカップを乗せると、ゆっくりと三井さんに近づいて行く。


 三井さんはそんな歩美あゆみの様子を眺めているようだ――顔の向きしか、わからないけど。


 カタカタと音を鳴らしながら、カプチーノのカップが三井さんの前に置かれた。


「ご、ごゆっくりどうぞ……」


「ああ、ありがとう。お嬢さん」


 三井さんはカプチーノを口に運び、泡の突いた口元(?)で満足気なため息をつく。


「凄いね、とても濃厚な味わいだ。

 若いお嬢さんが三人もいるから、それだけ元気になれるのかな?」


 言い方ー?! それだと『女の子が好きなお爺ちゃん』みたいだよ、三井さん!


 マスターが軽やかに笑う。


「あはは! そうだね、友達が揃ったことで、伊勢佐木いせざきさんの力が増したみたいだ。

 やっぱり友達と一緒の方が、心が元気になれるのかもね」


 私はきょとんとしながらマスターに尋ねる。


「私の元気が、そんなに影響するんですか?」


 マスターがニコリと微笑んで、艶めかしい眼差しを寄越してくる。


「もちろんだとも。

 心の力が強いほど、かんなぎの力が増すからね。

 伊勢佐木いせざきさんは最初から心が強い人だったけど、友達と一緒の方が『力が湧く』気にならない?」


 その視線に思わずドキッとした。


 まぁ、一人で接客対応してるよりは頼もしく感じられるけど。


 私が曖昧にうなずくと、マスターが楽しそうにうなずいた。


「細かなことは、わからなくても大丈夫だよ。

 君たちがお店にいれば、それだけ美味しいメニューを提供できる。

 それだけわかっていれば充分さ」


 私は振り返って、早苗さなえたちと一緒に三井さんがカプチーノを飲む姿を見守っていた。


 早苗さなえがぽつりと告げる。


「……どこから飲んでるんだろう、三井さん」


 それは、誰にも答えがわからない疑問だった。

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