第6話
暗くなった帰り道で、潮騒を聞きながらマスターと並んで歩く。
あたりは民家ばかりで、あまり人通りもない。
「ねぇマスター、どうしてあの場所でお店を開いてるの?」
マスターは静かな微笑みで私に応える。
「だって、あそこには僕の
他の場所じゃ、開くのが大変だし」
そういうものなのかー。
神様だから、もっとすごいことができるのかと思った。
物語だと、商店街の中とかに不思議なお店があったりするし。
クスリとマスターが笑った。
「僕も忘れられた神だからね。
そんなに大きな力は使えないのさ」
そういえば、寂れて朽ちた神社が正体だったっけ、あの喫茶店。
「……あれ? 私、声に出してた?」
マスターがにっこりと私に微笑んだ。
「君は僕の巫女だからね。
この距離なら、なんとなく思ってることもわかるんだ」
え゛、プライバシーがないの?!
マスターがクスクスと笑いだした。
「秘密にしたいことは、僕に隠れるように思ってごらん。
君が隠したいことなら、僕は知ることができないよ」
私は、ほっと胸をなでおろしていた。
いくらマスターでも、知られたくないことだってあるし。
これでも十五歳の乙女なんだから、プライバシーは守ってもらわないと!
マスターが私の頭を、ポンポンと手で撫でた。
「大丈夫、君が知られたくないことまで、僕は見たり聞いたりしないから」
おうふ、かっこいいお兄さんに頭を撫でられるとか、これはバイト代以上のご褒美では?!
――と、こんなことを知られる訳には! 鎮まれ煩悩!
チラリとマスターを盗み見ると、変わらず優しい笑顔で私の頭を撫でていた。
知られずに済んだ、のかな?
スッと離れていくマスターの手が、なんだか惜しく感じてしまった。
だけどそろそろ繁華街が近い。
そんな場所で頭を撫でられる訳にもいかないし。
私は頭に残るマスターの手の感触を思い出しながら、駅に向かって歩いて行った。
****
マスターと別れ、電車に乗りこむ。
窓の外は、もう真っ暗だ。
明日は月曜日、学校がある日だ。
マスターが『土日は出て欲しい』と言うから、私のバイト休みは水曜日ということになった。
私は毎日でも構わないと思うんだけど、法律があるから無理なんだって。
高校生って不便だなー。
早く大人になりたい。
そしたらもっとたくさん働いて、お母さんを助けてあげられるのに。
そのためにも! ちゃんと良い大学に進んで、学歴付けないとね!
私は固い決意を胸に、鞄の中から教科書を取り出して読み始めた。
****
学校の昼休み、
「それで、少しはバイトに慣れた?」
「そうだね、少しくらいなら」
バイト中は、人間じゃないお客さんがたまに来るくらいで、ほとんどの時間は暇だ。
その時間は学校の勉強を進めて暇をつぶしてる。
バイト代が出て、勉強もできる!
なんてお得なんだろう!
「いいなぁ、あんなかっこいい人と一緒で。
私もあそこでバイトできないかな」
「んー、今日聞いてみようか?」
「ぜひよろしく!」
「あはは……わかった」
私は焼きそばパンにかじりつきながらうなずいた。
「でもさー、なんで
私は
「んー、お母さんはお弁当作る余裕がないし、私も料理は苦手だもん」
「冷凍食品を使えば、簡単に作れるわよ?」
そうなのか……初めて知った。
なんでも
毎朝一品か二品だけ作って、残りを冷凍食品で埋めるんだとか。
――その! 一品とか二品が! 作れない!
「全部冷凍食品じゃダメなのかなぁ?」
「うーん……寂しいおかずになるけど、無理ではないわね。
最近は色んな種類もあるし」
「……でも、高いんでしょ?」
「おかず全部を冷凍食品にしたら、やっぱり高くつくかな」
じゃあ無理だなぁ。
私は肩を落として焼きそばパンの残りを口に放り込んだ。
****
バイト先で喫茶店の制服に着替えると、早速マスターに話しかける。
「ねぇマスター、もう二人くらいバイトを増やせないかな?」
マスターがコーヒーミルを引きながらニコリと微笑んだ。
「あの友達のことかな?
彼女たちは君が居ないと、この店に辿り着けないからね。
『人じゃない客』にも驚くだろうし、働くのは大変だと思うよ?」
私はぱちくりと目を
「辿り着けないの?」
「まぁ、君が普段いてくれるなら、君の力の残滓で迎え入れることはできると思うけど。
接客ができるかは、難しいんじゃないかなぁ」
うーん、そこはやってみないとわからない気がする。
「そこをなんとか!
神様パワーでなんとかできない?!」
マスターが困ったように微笑んでいた。
「そうだねぇ。
君も一人きりだと、話し相手が僕しか居なくなってしまうし。
それだとやっぱり寂しいかな?」
いえ、どちらかというと独り占め……いけない、こんなやましい考えを読まれる訳には!
焦ってマスターの顔を見ても、彼は変わらず悩まし気に微笑んでいた。
「そうだなぁ……ダメだったら彼女たちの記憶を消してしまうけど、それでもいいかな?」
「そんなことできるの?」
「彼女たちから、この店に関する記憶をすべて消してしまうことならできるよ。
人間界の都合は、なんとか折り合いをつけてみようか。
あちこちに協力してもらえば、大丈夫だと思う」
「え、そこまでしないといけないの?!」
そこまでしてもらう訳には――。
「もちろん、彼女たちがきちんと接客できるなら問題はないよ。
学校を卒業すれば、自然とこの店のことも忘れていく。
なんせここは、幻のお店だからね」
私はおずおずとマスターに尋ねる。
「その……無理、させてない?」
マスターはニコリと微笑んだ。
「
君は気にしなくて大丈夫」
ほんとかなぁ……優しい人って、無理をしてる所を見せてくれないからなぁ。
「無理なら無理って、正直に言ってね?」
「大丈夫、初日に思いっきりびっくりさせてみよう。
明日のシフトを午後六時からにするけど、それでもいいかな?
時間が来るまで、店内でおしゃべりしてればいいよ」
――その時間、まさか!
「いきなり幽霊を見せるんですか?!」
「そうだよ?
これで接客ができないようなら、そこでおしまい。
彼女たちの記憶をその場で消せば、どこかの喫茶店で時間をつぶしてた記憶に書き換わるだけ」
大丈夫かなぁ……でも、一番マスターに無理がない方法なら、やってみるか。
「ちょっと二人に相談してみるね!」
私はポケットからスマホを取り出し、グループメッセージを開く。
スマホをポケットにしまい、マスターに告げる。
「二人とも大丈夫だって」
マスターはニコリと微笑んだ。
「じゃあ決まりだ。
――それじゃあ
「へ?」
突然の申し出に、私は意味がわからず硬直していた。
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