第2章:クラスメイト

第5話

 喫茶店『カフェ・ド・ビジュー・セレニテ』は不思議なお店だ。


 ここには風変わりな人間も、人間ではない『もの』もやってくる。


 ドアベルを鳴らして入ってきたのは、顔が真っ赤な天狗だった。


 確か、山伏とかいう恰好だったかな、これは。


 一本下駄で、器用に立っていた。


伊勢佐木いせざきさん、席にご案内して」


 マスターに言われてハッと我に返った。


「ご案内します、どうぞ」


 ……天狗って、本当にいたんだ。


 ドカッと椅子座った天狗が、メニューを眺めてから私を見る。


「シーフードパスタとブレンド」


 今時だな?!


 私は振り返ってマスターに告げる。


「シーフードパスタとブレンド、お願いしまーす!」


 伝票にメニューを書き記し、カウンター席へ戻った。


 カウンターの中ではマスターがコーヒーを入れ始めていた。


「悪いけど、パスタを茹でてもらえる?」


「あ、はーい」


 これぐらいなら、私でもできるはず!


 マニュアルを見ながら、鍋にお湯を沸かす。


 三分もしないうちに、寸胴鍋を満たした水が沸騰しだした。


 ……お湯が沸くの、早くない?


 水に合わせて塩を投入!


 えーと次は、『パスタを一人前』……。


 分量をはかる器具にパスタを通してっと……これぐらいか。


 寸胴鍋にパスタを投入!


 あとは『くっつかないように混ぜる』、か。


 パスタをトングでぐりぐりと混ぜ混ぜして……あれ?


「マスター、パスタが絡まっちゃいました!」


「ハハハ! 混ぜ過ぎだよ!

 ――どれ、代わるよ」


 マスターがパスタをほぐしながら茹でていく。


 ふわぁ、簡単にパスタがほぐれていった。


「ブレンドできてるから、テーブルに持っていって」


「はーい」


 私はトレイにコーヒーを載せ、天狗のテーブルへと運んでいく。


 コトリとコーヒーを置くと、天狗は楽しそうに微笑んでいた。


「随分と賑やかな子が来たもんだ。

 きっとそれだけ、コーヒーの味も上がってることだろう」


 そう言って一口飲んで、満足気にうなずいていた。


「あのー、私が賑やかなのと、コーヒーの味って関係するんですか?」


 天狗が私をチラッと見てフッと笑った。


「なんだ、まだ教えられてないのか。

 ここのウェイトレスはな、巫女の資格がないとなれないんだ。

 元気な巫女は、提供するメニューの味を上げてくれる」


 巫女? はて、それはどういう意味だろう?


 私が小首をかしげていると、背後からマスターがパスタを持ってきた。


「はいお待ちどう。

 ――巫女のことは知ってるよね? 伊勢佐木いせざきさん」


「そりゃ、神社には巫女さんがいるものですし……」


「どうして巫女が居るんだと思う?」


 どうして? それは考えたことがなかったな。


 だって初詣に行けば、神社には巫女さんがいるし。


 天狗がククッと楽しそうに笑っていた。


「巫女は神と人を結ぶ職業、神の声を地上に届けるんだ。

 今のあんたは、『神の力をメニューに込める』役目を負ってる。

 だからあんたが店にいると、メニューの味が上がるんだよ」


「ほぉー、なるほどー」


 でも、私は巫女じゃなくて、ただの店員なんだけど?


 私がまたも小首をかしげていると、マスターが優しい声で教えてくれる。


「僕と『雇用契約』を結んだでしょ。

 あれで『君が神に仕える』ことになったんだ。

 実質的に、今の君は僕の巫女として働いてるってことだよ」


「あー、それであの時、契約書が光ってたんですか?」


「そういうこと」


 天狗が美味しそうにシーフードパスタを食べ始めたので、私たちはカウンターへと戻った。





****


 天狗がレジの前に行き、マスターがレジカウンターに入った。


 また不思議なキーの叩き方をして、決済キーを押すと天狗の体から見えない『何か』がレジに吸い込まれて行く。


 天狗がニカッと笑顔で告げる。


「ごっそーさん、美味かったよ」


 そう言って笑顔で去っていった。



 私は閉まる扉を見ながらマスターに尋ねる。


「ねぇマスター、天狗は何を払っていったんですか?」


「あやかしの類は、ここのメニューを食べて霊力を回復させる。

 そうして回復した霊力を分けてもらうんだ」


「へぇ~、それで赤字にならないんですか?」


 だって、料理に込めた力で回復して、回復した分から分けてもらってたら、マスター大赤字じゃ?


 マスターがクスリと笑った。


「僕の神通力は、あやかしの霊力を大きく回復させるんだ。

 普段は与えた分だけ、回復させる程度しかできない。

 だけど『力ある巫女』が仲介することで、その神通力を増幅させることができる。

 伊勢佐木いせざきさんが居てくれるだけで、うちは黒字になるんだよ」


 そうなのか……。


 しかし『天狗』が『シーフードパスタ』を食べるって、シュールだな……。


 私は天狗のテーブルの清掃を終えると、カウンター席で学校の予習を再開した。


 マスターがクスリと微笑んでコーヒーを差し入れてくれる。


「随分と頑張るね」


「そりゃあもう! 大学は推薦枠で、給付奨学金狙いですから!」


「無理はしないようにね」


「はーい」





****


 壁時計が十二時を知らせた。


 いつの間にか、なんだか良い匂いがしてる。


「マスター、これは何の匂い?」


 コトリと私の前に、オムライスのお皿が置かれた。


「『カフェ・ド・ビジュー・セレニテ』一押し、チキン・オムライスだよ」


 教科書とノートを片付けて、お皿を手元に持ってくる。


 ふんわり香る、卵とチーズの香り――!


 スプーンですくって一口食べてみると、濃厚な味わいが口の中に広がっていった。


 これ、チキンピラフ?!


「おいひー!」


「こらこら、口の中に物を入れてしゃべっちゃダメだよ?」


 マスターが楽しそうに笑いながら、コーヒーも出してくれた。


 バターとチーズのコクが絡み合って、大皿いっぱいの大きなオムライスは、あっという間に私のお腹に収まっていた。


 私は満足感で至福を味わいながら、甘いコーヒーをぐびぐびと飲んでいく。


「マスター、コーヒーのおかわりちょーだい!」


 彼は嬉しそうに微笑んで応える。


「おやおや、そんなにお腹が空いていたのかい?」


「んー、なんだかそうみたい」


 二杯目のコーヒーは、ゆっくり味わうように飲んだ。


 マスターもストレートのまま、カウンターの中で静かにコーヒーを口にしている。


「ねぇマスター。お昼は食べないの?」


「神様だからねぇ。

 ご飯は食べなくても大丈夫なんだよ」


 私は微笑んで私を見つめてくるマスターの姿を、カップで隠れながらそっと盗み見る。


 線が細いように見えて、よく見れば体付きはしっかりしてる。


 そういえば先日、うっかり上半身を見ちゃったっけ。


 思わず恥ずかしくて、顔が熱くなった。


 神様って、体を鍛えるのかなぁ?


 優しい微笑みを浮かべる顔はしゅっとしていて、『ザ・優しいお兄さん』という様相だ。


 私は静かにコーヒーを口にするマスターに、試しに尋ねてみる。


「ねぇマスター、前のバイトの子はどんな子だった?」


「んー、大人しい子だったなぁ。

 でも一生懸命なのは、伊勢佐木いせざきさんと変わらないよ。

 最後は『結婚するから』と言って、東京に行ってしまった」


「それってどれくらい前?」


「ほんのちょっと前だよ。

 えーと、人間の感覚だと……三百年前って言えばわかる?」


 神様の時間感覚、違い過ぎない?!


 でもそっか、そのくらい前か。


 そんな前からお店をやってたのかー。


「三百年前って、どんなお店だったの?」


「お団子屋さんだったよ。

 あの頃は手伝ってくれる子も、本職の巫女だったかな」


「へぇ~、巫女さんって結婚するんだ?

 私、結婚をしないものだと思ってた」


「ハハハ! 西洋のシスターが混ざってないかい?

 別に結婚をする巫女は珍しくはなかったさ。

 特にあの子は、裕福な家の子だったからね。

 裕福な家に嫁いでいったみたいだよ」


 そっかー、三百年前かー。


「じゃあ三百年間、マスターはひとりでお店をやってたの?」


「そうだよ? 細々とね。

 最近――ああ、二百年近く前だったかなぁ?

 『喫茶店』ってものを知って、それから少しずつ情報を集めていったんだ」


 二百年間、みっちり勉強してるの?!


 このお店、現代様式の喫茶店だよね?!


 どんだけ気長なの?!


 私は神様の時間感覚に翻弄されつつ、食後のコーヒーを飲み干していった。

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