第10話
◆
ダァナ市での死者の数は一〇〇三五に達した。
僕はメリダ国国営放送がその内容を封じるのを今か今かと待ち構えたが、ニュース配信はそのことに触れないままに終了した。
「ありえないな」
いつの間にか簡単な仕切りでそれぞれの作業スペースに分割されているシェルターで、僕のブースにユルダが顔を見せた。
「僕もそう思うよ。一万人の死者といえば、元の住民の数の一割を十分に超えているのに」
「実際の死者の数は?」
僕は手元の端末を操作し、表計算ソフトのファイルを開いた。
「六〇〇〇人というところだな」
「発表の四割が捏造だと? 頭がおかしいとしか言えないよ」
「僕も同感だ」
ここ数日、僕たちが必死にこなしている仕事は、配給に関する備蓄物資の融通のための書類偽造だった。
例えば、一つの地区での炊き出しで五〇〇人程度を用意したいとしても、書類の上ではその地区には四五〇しかいないことになっている。五十人分を用意するためには、死者数の数字をいじるように、他の書類をいじるしかなかった。
備蓄物資は僕たちが管理しているし、実際の生存者の数も概算としてはわかりつつある。この二つがあるから、ダァナ市の炊き出しは過不足ないが、しかしもう包囲されてから二ヶ月になろうとしているから、さすがに底が見えつつある。
「それでユルダ、何の用かな?」
「物資をどこかで調達しないといかん。もう長くは保たないんだ。軍に協力してもらえるか、例の大尉を通じて打診してくれ」
わかった、と僕は答えたが、どうなるかは判然としなかった。
運河を越えるための橋がすべて落ちてしまったために、物資の輸送の可能性はもはや空路しかない。東部は完全にリューゼス連邦に制圧されているし、西部にも陣地が構築されている。陸路で物資を運び込むのは無理だ。
国防軍第十一旅団はダァナ市に駐留したままで、防衛戦を展開しているが、リューゼル連邦軍は無理にダァナ市を陥そうとしない。もはや第十一旅団は脅威ではなく、包囲しておけばいずれ干上がると見られているのは間違いない。
無理に押し出して戦闘になれば兵隊も消耗するし、弾薬も消費する。第十一旅団にもはや反撃する能力がないのだから、リューゼス連邦の判断は正しい。
「いつが限度か、教えてくれ。いつまでは保つ?」
僕の言葉に、ユルダは少し斜め上を見た。
「少しずつ炊き出しの量を減らしていけば、あと半月か」
「半月? 目一杯延ばして、半月か?」
そうだ、と唸るような声でユルダが応じる。
僕は彼には何も言えなかった。いつの間にかユルダは体の線が細くなり、頬にも影が落ちるようになっている。僕も似たような有様だろう。
もうずっと、満足いくまでものを食べてなどいない。
今のままが続いて、半月が過ぎたらどうなるのだろう。
食べるものがなくなった僕たちは、どうやって生きていく?
「ハンマさん」ブースの外から声がした。「軍の方から出頭しろと使いが来てます」
僕はユルダと顔を見合わせた。ユルダが皮肉げな笑みを浮かべる。
「ちょうどいいな。大尉殿に、食料のことをなんとか教えてやってくれ。頼んだぞ」
わかった、と僕は席を立ったものの、足取りは重くならざるをえなかった。
これがもし、軍の方から民間へ食料を提供する用意がある、という話ならどれだけいいか。そういう理由で呼び出されるのなら、僕だって喜んで出向くだろう。
しかし実際にはそうではない。
徒歩で移動し軍のシェルターに入り、ガルダ大尉と面会した。話が始まる前のほんの短い時間、大尉も少しはやつれているだろうか、と僕は彼の顔をまじまじと見た。
何事も起こっていないというような超然とした顔つきは、初めて会った時と変わっていない。
「どうかしましたか、ハンマさん」
「いえ……、なんでもありません」
僕の態度に何も感じないわけではないだろうが、外見の上では、ガルダ大尉は僕の態度を完璧に無視した。
「今回のお話は主に二つです。一つは、死者数のインパクトが想定より弱いようだ。もう少し、水増ししていただきたい。それに合わせて、メディアにアピールする機会を作ります」
市民は食べるものにも困るような有様なのに、また死者の数の話か。
僕は怒りがわくのを感じたが、それを抑えて冷静に問いかけた。
「どれほどにすれば良いのですか?」
「三日後には総数が一五〇〇〇を超える程度でお願いします」
自分の耳を疑った。
「一五〇〇〇、ですか? 三日間で、五〇〇〇人が死ぬなど、ありえません。そんな嘘は通じません」
「では、どれほどなら妥当ですか?」
そうガルダ大尉に問い返されて、僕は自分の失敗を悟った。ガルダ大尉は僕を誘導しているのだ。数字を管理している僕の関与を強めさせようとしている。
わかりません、と応じることもできたかもしれない。
でも、僕は今度は激しい恐怖に圧迫されて、思考を巡らせていた。
「七日後に、一三〇〇〇なら……」
「ではそれを目標に継続してください。あと、メディアへのアピールとして、骨壷のようなものを撮影させます」
「骨壷?」
「宗教上、火葬には厳密な決まりがありますが、戦時下ではそれを遵守出来ない、というアピールも含めて、遺体を火葬し、その遺骨を適当な袋に入れて並べます」
僕は何も言えなかった。ガルダ大尉は天気の話をするように自然に言葉にしていく。
「一人分の遺骨を、二つ、ないしは三つの小さな袋に入れます。それが並べられている様を撮影させる。火葬場は軍で管理していますし、そこにいる人員もこちらの意を受けて動いています。ハンマさんが気にすることは書類上の問題だけです」
やはり僕は、一言も発することができなかった。
死体を、焼く? しかも遺骨を分割し、宣伝材料する?
そこまでやるのか? ただ世界に自分たちのことを伝えるために?
いや、世界に伝わるのは僕たちの実際ではない。
虚像だ。
でっち上げの、出鱈目が世界に広まるだけだ。
とてもそれが僕たちにプラスに働くとは思えなかった。
「ハンマさん、よろしいですね?」
ええ、と掠れて聞き取りづらい声が僕の口から漏れたが、ガルダ大尉は鷹揚に頷いた。
「では、帰っていただいて結構です。火葬場と遺骨に関する計画は、明日にでも詳細をお伝えします」
僕は頷いたが、立ち上がれなかった。
そんな僕に初めて、ガルダ大尉が怪訝そうな顔になった。
「どうされました? 他に何か、お話がありますか」
どうしたもこうしたも、このめちゃくちゃな計画になんて、乗りたくなかった。
悪党と同じ船に乗るなど、まっぴらだった。
しかしもう、僕はその船に乗っていた。
「ハンマさん?」
「ガルダ大尉……」
僕はのろのろと顔を上げ、彼の顔を見た。
怒りも恐怖も、何もかもを飲み込んで、僕は友人との約束を守った。
「民間人の食料が不足しています。軍の方から、支援を受けられませんか」
これも珍しいことだが、ガルダ大尉はしばらく黙った。
「何かできるか、検討しましょう。他に何かありますか」
いいえ、と僕はやっと席を立ち、大尉に一礼した。
外に出ると既に夜になっていた。廃墟となった街は静まり返り、無人のように思われた。僕が歩を進めるその足音だけが息がつまるような静寂を乱していた。
翌日、火葬とそれを利用したメディアへの欺瞞の計画が僕のところへ伝えられた。
同時に、食料に関する回答もやってきた。
食料は軍から民間にある程度、融通してもらえる。
その代わり、成人男性を数百人、軍の活動を補助するためにリストアップするように、と求められた。
彼らには塹壕を掘らせ、土塁を作るのを手伝ってもらうと書類にはあったが、要は徴用だ。
僕は目眩がして、気が遠くなった。
もはやこの街は、本当の地獄となりつつある。
(続く)
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