第7話

       ◆



 信じられんな、と早朝の空気にユルダのかすれた声が流れる。

 僕も息を乱して、ショベルで地面を掘っていた。特別な意味はない行為なので、虚しさしかない。

 すぐそばには形だけの中が空の棺桶がいくつも積まれていた。墓標を意味する十字架もある。

 メディア向けに死者の数を捏造し始めて半月が過ぎていた。リューゼス連邦の電撃的な侵略からダァナ市のような小さな街が完全に孤立した状態で、一ヶ月も生き延びているのは驚異と言える。

 しかし当のダァナで暮らす僕たちからすれば、どんな奇跡でも地獄を継続させるだけに過ぎなかった。

 食料は完全に統制され、配給制が敷かれるようになっていた。そこに至るまでに僕たちは寝る間もないほど忙殺され、市中の備蓄食料を一挙に掌握することに奔走した。

 うまくいったからいいようなものを、一つでも失敗すれば今はないだろう。

 その間にも報道官役のマムクは何度も記者会見を開き、さらに情報ネットの復旧を活用して、世界向けに情報発信を行った。

 その中で死者数の捏造は継続され、日を追う毎にいもしない死者の数は増え続けた。

 ダァナ市に滞在している報道関係者は多くない。多くないが、皆無ではない。マムクの記者会見には席が十ほど用意されているが、満員にはならない。しかしそこに顔を見せるものはある種の常連客のようになっていた。

 今のところ、マムクと接している彼らは死者の数に疑いを抱いていないようである。

 それでも、と提案してきたのはガルダ大尉だった。

 大尉は「もしもの時のために、墓標を立てるというのはどうですか」と言い出した。僕はそれに乗るしかなかった。確かにダァナの街の外れに自然発生した墓地に、あまり墓標の数が少なすぎるとそこを咎められるかもしれなかった。

 僕が大尉の提案に乗ったことをユルダに伝えると、彼は舌打ちをしてから答えたものだ。

「そんな小手先の細工で騙せるものかね。で、誰がその作業をするんだ?」

 まさか市民を動員するわけにはいかなかった。かといって、市庁舎職員の生き残りを総動員すると、この死者数捏造に関与するべきではない人を巻き込んでしまう。

 僕は死者数に細工をすることに関わる仲間を、できるだけ少なくしていた。偽善と言われても仕方がないが、それが僕の精一杯だった。

 結局、軍というより僕が主導する形になっている死者数捏造の事実を知っている数人が、人目につかない早朝に墓地へ行き、手を回して密かに用意した棺を埋める穴を掘り、棺を埋め、墓標を立てる作業をすることになったのだった。

 僕たちが空の棺を埋めている墓地は、十字架が無数に並んでいるが、その墓標の下に棺はないのだった。今のダァナ市の状況で棺を用意する余地などない。ただ遺体を埋めてあるのである。

 だから下手なところを掘ると、墓標を用意できないままに埋められた遺体を掘り起こしてしまうことがあった。

 見るに堪えない光景、そして激しい異臭に僕は何度か嘔吐していた。仲間も似たような有様だった。

 何度繰り返しても、慣れることはなかった。

 その朝も棺を五つほど埋めた。最後の一つを埋める前に墓標に祈りを捧げに来たらしい老婆が、うろんげに僕たちを見て通り過ぎて行ったのが目についたが、どうしようもない。

 帰り道に、疲労を隠せない仲間たちの最後尾を並んで歩くユルダが言った。

「こんな、一日に五つや六つの棺を埋めても増える数字に追いつけないのを、軍は気づいているんだよな?」

「報告はしているし、ガルダ大尉は把握しているはずだよ」

「大尉殿じゃなくて、その上の、なんとかいう大佐殿は知っているのか?」

「ミリュー大佐? いや、どうだろう……。ガルダ大尉は報告を上げているはずだから、知っていると思う」

 ユルダが大げさにため息を吐いた。

「はず、はず、思う、か。何もかもが推測だな。お前は何も知らないんだな?」

「知っているのは、死者の数を捏造していることだよ」

「それを知っているのは、俺にはだいぶ危なっかしく思えるよ」

 まさか、と僕は反射的に笑うことでもないのに笑っていた。

「ユルダは、ガルダ大尉も、ミリュー大佐も、何も知らないと言いたいのか? 何も知らなかったという態度をとるとでも? 僕は梯子を外される?」

「そうならない自信があるか?」

 鋭い口調の指摘に僕は言い淀んだ。

 ありえないことではない。しかしミリュー大佐はともかく、ガルダ大尉は無事では済まないだろう。僕やガルダ大尉が何かを漏らせば、ミリュー大佐なのかもっと上の立場の人間か、そうでなければメリダ国が告発される事態になる。

 それを避けるためには、知っているものを、一人も残さず……。

「ま、俺はもう死んだも同然というつもりでいるよ」

 隣でユルダが言う。

「最初の空爆で、俺は市庁舎の瓦礫の下に埋まるはずだった。それが今、こうして生きているんだから、全ての運を使い果たした上に借りがあるくらいだ。どんな形で取り立てられても驚かんよ」

 僕は何も言えずに歩き続けた。

 僕もユルダに負けず劣らず、強運なのだ。

 マンションの階段でミサイル攻撃を受けた時、あの時に僕は死ぬはずだった。それが今、こうして生きているのは何故だろう。運というものを超えているのではないか。

 運命論者ではないが、こうなると運命と呼ばれるものを信じてしまいそうになる。

 僕が生き延びたのはダァナの街を救うためなのではないか。

 いや、違うか。

 ダァナの街を救うためであって欲しい、と僕は思いたがっている。

 僕が生き延びた理由が、悪事に手を染め、世界を騙すことであって欲しくない。

 でも現実は……。

 今日より明日、明日より明後日と、僕は悪の道へ歩を進ませている。

 ユルダが取り立てなどと表現して、もしかしたら死を覚悟しているとしても、僕はそこまで割り切れない。

 まだやりたいことはある。

 特別なことなんてなくていい。攻撃がなくなったダァナの街でひたすら復旧作業に打ち込みたい。またダァナの街を人の住む街に戻したい。

 そのためならどんなことでも投げ出せる気がする。

 でも、死にたいとは思えなかった。

 僕はまだ生きていていいのだろうか。

 僕が生きている限り不正は継続され、この街は被害者の街ではなく、誰も知らないうちに嘘つきの街へとゆっくりゆっくり変貌している。

「飯でも食って、忘れようぜ」

 ユルダが言った時、僕たちは生活拠点のシェルターにたどり着いた。既に朝食どきで、シェルターのすぐそばの食料の配給所は混雑していた。すぐには数が数え切れない大勢がいる。

 何か違和感を感じながら、僕はシェルターに入る前に配給の食事を受け取った。ユルダもついてきて自分の配給票で受け取っている。

「いつまでこうやって飯にありつけるかな」

 ユルダの言葉に、僕は備蓄量を詳細に把握しているので、すぐ答えることができた。

「街が陥落しなければ一ヶ月はなんとかなる」

 ありがたいこと、と言いつつ、今度こそ僕らは料理を手にシェルターに入った。

 この時の会話の内容の、思わぬ見落としに気付いたのは十日ほどの後だった。



(続く)

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