〈自分で選ぶ〉は遅れてやってくる
- ★★★ Excellent!!!
(本レビューは、本作第一部《Hello, World !》を読み終えた時点でのものです)
肥前ロンズさんが生み出す物語には、勢いを感じます。
登場人物たちの思いが読み手の心をグッととらえ、一話また一話と先を読まずにはいられなくなる――そんな感覚です。
本作の主人公は、ヒムロ・マコト(氷室真斗)さん。若くして事故で命を落とした(元)日本人男性です。
転生した異世界では、宝箱に擬態する魔物(ミミック)としてダンジョンに放置されているヒムロさん。自分ひとりだと移動することも、話すこともできない。たまにやってくる冒険者たちにも素通りされてしまいます。
作者さんのそこはかとなくユーモラスな筆致のおかげで幾分和らいでいるものの、これがとてもキッツい状況であることに変わりありません。
自分自身(=人間)であるより何か他のもの(=宝箱)をマネている姿、ヒムロさんの〈中身が空っぽ〉な姿は、転生前、他人や周囲に忖度し、おもね、流されがちだった氷室さんの人生を簡潔にパラフレーズしているかのようです。
このヒムロさんが発した叫びにならない――口がないので――必死な叫びが、第一部のタイトルになっている《Hello, World !》なのでした(本文のセリフに World はありませんが、「ここにいるよ!」という叫びは世界全体に向けられているのでしょう)。
そんな彼の前にあらわれるのが、冒険者のヒナさんです。
もう一人の主人公と言ってもいい彼女は、親切で快活、めちゃくちゃ強くて、かっこいい。そんなヒナさんに対して、ヒムロさんが、ほとんど憧れに近いような好意をいだくのも不思議ではありません。
その一方で、彼女に苦労や迷惑をかけてばかりなこと、自分が彼女と釣り合いそうにないことに、ヒムロさんは引け目も感じてしまいます。だから彼は「ありがとう」や「ごめん」ばかり口にしている。
日本では一般に美徳とされる謙虚さは、しかし、ヒムロさんが「前に進む」ことを難しくしていました。手も足もない宝箱という姿形より、他者とかかわる怖さが、彼を動けなくしているのです。
ヒムロさんが彼女に親しみを覚えるのは、ヒナさんがどうやら自分と同じく日本からの転生者らしいとわかったからでもあります。
でも、ヒムロさんの孤独な叫びが、どれほどヒナさんを勇気づけていたのか、この時の彼には知る由もありません。
事態はずっと後になって明らかになる――まあ、言ってしまえば、すべての小説は「真相の引き延ばし」なのですが、この物語では〈遅れてやってくる〉こと自体がテーマとなっているように思えます。
作品(第一部)後半は、ヒナさん視点の回想を交えながら、話が進みます(この説明はやや不正確なのですが、理由は作品をお読みいただければおわかりいただけるはずです)。
ある特殊な能力をもって生まれた彼女は、支配欲の強い父親による呪縛のため、従順すぎてほとんど自分の意志を捨ててしまったかのように生きていました。
そんなある日、彼女は「とても大切な人」とめぐり合います。日本から転生した女性なのですが、いわば「事故」のような形で転生させられた人でした。人々から軽んじられ、疎まれる彼女が、ヒナさんの運命を変えることになります。
父の権力の道具として生きることに甘んじていたヒナさん。義母からは「中身も心もない、空箱のような存在」だという呪詛の言葉を投げかけられます。ヒナさんは自分がまさしく「空っぽ」であることを否定できません。
評者(maru)は「自分探し」という言葉、あまり好きではないのですが、ヒナさんが始めたのは「自分探し」と言うほかないでしょう。ただしそれは、なにからなにまで周囲の人によってかき乱され、すっかり荒廃した場所で、まだどこにもいない「自分」を見つけ出すというつらいプロセスでした。
やがて彼女は、すべてのはじまりが父親の「弱さ」であったことを知るにいたります。父は「人の心の機微」がわからず、かつ、それに気づかれることを恐れていた。支配欲は、不安と恐れの裏返しだったのです。
この時、ヒナさんははじめて心の底から怒ります。彼女にとって「自分」を取り戻す第一歩は、このやるせない怒りでした。そしてこの怒りに、彼女の大切な人――転生者ヒナタさん――との別れが続きます。
「空っぽなら、これからいくらでも詰め込めるじゃないか」
ヒナタさんから受けとったこの言葉が、ヒナさんの出発点になる。「空っぽ」であった彼女を肯定し、彼女の進むべき道を示す言葉として。
「全部、自分で選ぼう。[...]名前も、髪の色も、職業も。どうありたいのか、全部自分で決めよう」
こうしてヒナさんはヒナさんになります。彼女の〈自分で選ぶ〉は、決定的に遅れてやってくるのです。
ヒムロさん――お忘れだと困るので言っておくと本作の主人公です――が憧れ、好きになったヒナさんは、空っぽの自分から出発して、いわばようやく自分自身に追いついた彼女でした。
この道のりと似ていなくもないプロセスを、今度はヒムロさんがたどり直すことになります。おそらく平坦な道ではないでしょう。
しかし、ヒムロさんが〈中身のない空っぽ〉な宝箱であればこそ、彼もまた、その道を踏破することができないわけはないのです――たとえ、いくらかの遅れをともなうのだとしても。
この作品はちょうど第一部《Hello, World !》が完結したところです。最初に書いたとおり、一度引き込まれると、一話また一話と先を読まずにはいられなくなります。
作者の肥前ロンズさんは物語がまだまだ続くとおっしゃっていますが、第一部が完結した今こそ、読み始めるのに最適なタイミングです!