3② ー朝食ー

「旦那さん、まったく私のことに気付いてませんよね」


 そもそもクラウディオはセレスティーヌを視界に入れない。透明人間にでもなったかのような気分にさせられた。


 話さずに済んで良かったと安堵したくなるが、クラウディオの態度のせいで美味しい食事がまったく楽しめなかった。

 セレスティーヌがあの無言の状況で朝食を毎朝味わっていたのかと思うと、さすがに同情する。


「旦那様はセレスティーヌ様と朝食以外ご一緒されることは少ないですから。だからといって、このまま気付かれないとは限らないかと。さすがに、別人だとは思われないでしょうが」


 体はセレスティーヌなのだから、別人とは思わないだろう。しかし、顔を合わせて話すことが増えれば、クラウディオもおかしいと思うかもしれない。


「リディさん、旦那さんと一緒の朝食をなしにできないですか?」

「旦那様との朝食でしたら、やめられると思いますけれど」


 廊下を歩きながら、フィオナはリディに問うた。むしろ喜んでやめてくれるだろう。あれは不毛すぎる。それに、一人で食べた方が美味しい朝ご飯もさらに美味しくなるはずではなかろうか。


「では、そうしましょう。私が別人だと知られないように、できるだけ顔は合わせない方がいいでしょうし」

「お話ししなければ気付かれないとは思いますが、今のフィオナ様と前のセレスティーヌ様とではお顔も若干違いますから、会わない方が良いと思います」


 リディは今と前のセレスティーヌの違いを口にする。顔は同じでも雰囲気が違うのだと遠慮がちに言った。


 セレスティーヌはクラウディオの前では緊張するのか、遠慮をしておどおどと話すことが多い。

 弱気で臆病ながらヒステリックであり、時折ひどくしつこく食い下がるセレスティーヌと、はきはき話すフィオナでは顔色すら違うらしい。


 それはなおさら、クラウディオに会わない方が良い。

 決して、日も上らぬ朝に早起きをして、風呂やら化粧やら髪型やらなんやら、整えるのが面倒だからではない。





「フィオナ様。こちらが書庫になります」


 リディに案内されてフィオナは書庫に入った。フィオナの住んでいた町がどこに位置しているのか調べるためだ。

 書庫に行けばなにか知り得るかもしれない。元の体に戻るためにも、原因を調べなければどうにもならない。そのため、書庫にこもることに決めたのだ。


 本来ならば公爵家のなにかしらの仕事をするのが夫人の役目なのだが、クラウディオはそれを許していない。セレスティーヌはここでなにかを行うことはなく、いつもぼんやり庭を散歩し、特に趣味もなく過ごしていたようだ。


 セレスティーヌは毎日余程つまらない時間を過ごしていたのだろう。


「フィオナ様は、文字は読めるのでしょうか?」

「大丈夫です。言語は同じようですし」


 リディが遠慮がちに聞いてくるが、フィオナの家にも書庫があり多数の本があった。

 学校には行っていなかったが、祖父が勉強を教えてくれたので文字を読むのは問題ない。幸い背表紙に書かれた題名は読め、文字は同じだった。話している言葉も同じなのだから、問題はなさそうだ。


「フィオナ様のお家は教育に熱心だったんですね。お食事のマナーも問題なかったので、安心しました」


 リディはクラウディオとの朝食で間違いがないよう、セレスティーヌの真似をさせるため、前日にマナーの練習をさせた。セレスティーヌと同じようなマナーを行えなければ、さすがにクラウディオが変に思うからだ。


 そこでフィオナの動作に安堵していた。体を乗っ取った名ばかり貴族のフィオナが、まともにマナーを学んでいるとは限らないと心配していたのだろう。


「ブルイエ家は没落寸前で、父が花嫁修行の方が大事だと言って学校には通わせてくれませんでした。そもそも私は体が弱いので、寮に入ることもできなかったんですけれど。なので、教育熱心だった祖父がなんでも教えてくれたんです」

「素晴らしいお祖父様がいらっしゃったんですね」


「おかげで本を読むのは大好きです。それに、ブルイエ家では儀式を継ぐ者が必要だったので、そういった伝統も習う必要があるんです」

「儀式、ですか?」


 フィオナの生まれたブルイエ家には、古い歴史があった。古くに王様から賜った広い土地を持ち、その土地を代々守ってきたのである。


 ただし持っていたのは土地だけだ。その土地もお金がなくなるたび売る羽目になり、フィオナが生まれた頃には屋敷が建っている土地と、屋敷の裏にある広い森だけになっていた。


「その森の中に、いわく付きの石碑があるんです。昔の王様からこの石碑だけは守れと言われたとかなんとか。年に一度、お供えをしたり祈ったりする儀式を行うんですが、何百年も続けて行なっているみたいです」

「それは、とても歴史のあるお家なんですね」

「本当かどうか分かりませんけれどね」


 父親はその儀式になど目も向けなかった。本来ならば妹も学ぶべきだったが、そんなことを学ぶくらいならば刺繍でも学べとののしった。もともと、妹に学ぶ気はなかったが。


 祖父は厳格に儀式を行なっていたが、それも自分の代で終わるのではないかと恐れていた。フィオナの体力ではその儀式が行えなかったからだ。

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