閃光
1.
この世界に来てから約2ヶ月が経つ。謎の原理によって村を覆う、景色とはかけ離れた暖気にも慣れた。言語の習得も、会話に不自由なく、ある程度の文なら書ける程にもなった。イーガス曰く、この国の初等教育で学ぶことのできる範囲は既に網羅できているらしい。
村に来てからのことを頭の中でなんとなしに再生していると、ざふ。と片足が雪に深く埋もれる。
退院して2日目。俺はリハビリ目的に森へと狩りに出ていた。当初は森の浅いところで獲物を探すつもりだったが、どうやら深くまで来てしまっていたらしい。
「しまったな...」
呟き踵を返す。
ふと、木の下に広がる白に違和感を覚える。
「足跡...?」
直後、甲高い音に、森が振動した。
2.
青白い光に目が覚める。サロスが身体を起こし窓から空を覗き見上げると、日は既に天辺へと昇っていた。
最近、徐々に自身の起床時間が遅れていっている。目が覚めても再び瞬時に意識が落ち、次に起きるのはその数時間後だということが多くなってきた。医師である父親にこのことを相談してみると、何か不安に思うことでもあるのか、遅くまで起きていないかなど質問攻めにあい、うんざりしてその場から逃げ出した。
別に寝る時間が遅くなったわけでもないし、不安に思うことなんて言うほどのモノはない。
父親による授業も午後からなので別に支障は無いため、遅く起きるからといって叩き起こされることもなかった。
朝食──今は昼だが──を摂るために階段を下る。いくら寝ても取れない倦怠感に、足取りが重い。
ハルトに今日は会いに行こうかな。そう考えると、少しこの重りも軽くなったように感じた。
階段を降りて扉に手をかけたその時、聞き慣れない声が玄関の方から聞こえてきた。
忍足で玄関へと向かう。玄関に近づくにつれ、冷気が強くなっていく。曲がり角に差し掛かり、壁に背をつけその先を覗き見る。
「──ひ、ぇ?」
赤。床には赤が広がっており、波紋がすぐそこまで伝ってくる。開け放たれた扉の横には、男が一人。その手には、斧が握られていた。
そして、赤の中心には──
「う──」
中心には、父親と母親が力なく横たわっていた。
目が熱い。脳が揺れている。平衡感覚を失い、見えているのに自分が何を、どこを見ているのか分からない。膝から力が抜け、身体が地面に放り出された。
「ん?なんだ、ガキ?」
「ぐ」
気づかれた。呼吸が荒い。男は父親と母親を跨いでこちらに向かってくる。その面には、なんの感情も浮かんでいない。
「運がなかったな、坊主。目に映った奴は皆殺しだ」
その男の背後にはもう二人、獣の耳の生えた男が二人いた。
男は悠々と、血のついた斧を片手に向かってくる。その奥で倒れている父と母。間違いなく、両親はこの男に殺された。二人とも、この男に──
「あ、あああああ!」
「どうした、キレてんのか?」
口の端を歪ませる男。その所作に脳が沸騰する。だがそれと同時に、恐ろしく冷静な自分がいた。下唇をかんで考える。これ以上、みんなを殺させるわけにはいかない。どうすればこの男を止められる?
「!」
「おい!...チッ」
リビングへの扉を開け、キッチンへと駆け込む。引き出しを乱雑に開けると、果物ナイフが目に入った。
「これで、」
「逃げれねぇよ。そのタッパじゃ」
背後から男の声がする。自分が狩る側だと疑わない声。
「どこだー?ガキィ。俺も仲間一人持ってかれてんだ。頼むからこれ以上苛立たせんなよオイ」
キッチンの下で丸くなって機を伺う。ナイフを持つ手は震えている。
「いい加減にしろよ、なぁ。じゃないとお前を殺した後、この家のモン全部ぶっ壊してやるぞ、なぁ!」
ガァン!大声と炸裂音が響く。足音が徐々に近づいてくる。
「この斧で一発で──」
「──っ!」
男の足がのぞく。瞬間、飛び出し、男の胸にナイフを突き立てた。
「ッグ、クソガキ──!」
「ぶ──」
顔面を蹴られ吹っ飛ぶ。背中を打ちつけ、激痛に身を捩るも、濡れたナイフはまだ持っていた。
「クソ、い、痛ぇ。一矢報いようってか。ふざけんじゃねぇ」
致命傷にならなかったのか、男はふらつきながらも斧を引きずり此方に向かってくる。
ナイフを握る手に力を入れて、なんとか立ち上がり構える。本で見た、騎士が剣を構えたように。
「あああああ!」
「調子、のんな!」
無我夢中で走り、男との距離をつめる。ナイフを突き立てるのは、もう一度胸に──
ガチン!視界が揺れ、地面に叩きつけられる。低い耳鳴りが、頭の中で響いている。男が何か叫んでいるが、何も聞こえない。
ハルト。最期の一瞬、無意識に手が伸びた。指先がオレンジ色に光る──
3.
辺り一面雪景色。温暖な地域で育った人間なら数秒とも保たないであろう森の中を、汗を垂らし全速力で走る。
イーガスは言っていた。この村にはまず、他所から人が訪れることはない。ならば、あの足跡は──。
青年は走る。持ち歩いていた武器は雪に捨て、木を手でかき、雪を蹴って。そうやって、地獄へと。
「っ──あ」
舞い上がる火の粉。白は唐突に真っ赤に変貌する。
ただ、目の前の光景を理解できず呆然と立ち尽くす。
「は?な、なん─」
村が、燃えている。家の一軒一軒から火が上り、天まで届くような黒い煙をあげている。
そしてそれらにもたれかかる人形のような黒い何かが見えた。
「う、ぐ、おぇ」
びたびた。膝から崩れ落ち、胃の中のものが衝撃に耐えられず口から吐き出される。全身の震えが止まらない。
「は、あ、う、っぐ」
今朝、出る時に通った道が、一瞬にして豹変した。荒廃した現実に、それを信じたくなくて頭を掻きむしり地面に打ちつける。
「な、んで──」
なんで。何故?なにが?無理だ無理。これはほんとうに無理むりむり──
「だって、きのうまで──」
ポタリ。乾いた地面を血が潤す。爪を立てた腕から、血が流れていた。
村に来た自分に知識と力を与えてくれたイーガス。傷だけでなく、専門外であるはずの記憶に関しても全力で協力してくれたアナグネーシス。嬉々としてこの世界について語ってくれたサロス。余所者である俺を受け入れてくれた人々は、今、薪にくべられている。それを自分は、見ていることしかできない。
「───、」
掠れた音が、喉から出る。もう、何も。
無力感からその場に身を投げる。
それを、何かが見下ろしていた。
「お、お、あ、え、ゆゆゆゆやら」
「───は、?」
それは、理解のできない音を発している。輪郭はあるようでなく、背後の闇と同化しており目でうまく捉えることができない。
こいつが元凶なのか。だとして、自分に何ができるというのか。これを相手に復讐を成す気力すら、今は起きない。
「え、イイイイうう、う、う」
「──」
歪みが肥大し、頭上に影がおちる。しかし、目の前の何かがこれから何をするかなどどうでもよくて──
「伏せて!」
その声が最後、五感の全てが消し飛んだ。
天蓋の賢者 上壱余楽 @Rkid-3
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