揺れる

1.

 白い世界の中、膝を抱えて座り込む少年の目に揺れる火が映る。激しく揺れるその火に、少年はくぎ付けになっていた。ただひたすらに自分から体温を奪っていく世界の中、目の前のそれは煌々と、自分をまとわりつく凍えから護るように熱を伝えてくれる。

 いつか自分も、この火のように、人に熱を分け与えることができたら。

2.

 目が覚めると、間を置くことなく起き上がりベッドから降りる。大人達やハルトの言う「二度寝の快楽」とは自分は無縁で、一度目が覚めると先まで意識がなかったことが嘘であるかのように、身体が動いてしまうのだ。

 目を擦りながら階段を降りる。スロープに差し掛かった時、父親のともう一つ、馴染みのある声が聞こえてきた。

「ハルト?」

「おはよう」

 振り向き挨拶をしてくる青年の両腕はすでに自由の身となったらしく、昨日までしていたギプスをついさっき外したようだった。

 青年の向かいに座る父親は、難しい顔をしている。

「この間は、ただ少し早いもの程度に考えていたが....。今回は幾らなんでも常人を超えているとしか言いようがないな」

「治療のおかげです」

「もちろん、自分の腕がいいことは自負しているが──」

 そう唸り腕と足を組む父親に、ハルトは苦笑する。

 治療が終わったのだ。良かったと安堵するが、その逆に、寂しいな。と、落ち込む自分もいた。

 ハルトの入院中は彼と会える機会が多く、自室には、本が大量に散らかっている。

 あの日以前のハルトは、あのイーガスに認められたらしく修練に明け暮れ、村に来た頃程高頻度では会えなくなっていた。

「外傷も目立ったものは消えている。まぁ、戻っても大丈夫だろう」

「ありがとう」

「あぁ。そういえば、記憶のことなんだが──」

 なんだか長くなりそうだと察して、リビングへと向かう。次会えるのはいつになるだろうか。

「珍しく遅かったね。ご飯あるから食べちゃって」

「ん」

 黒いソースのかかった、拳二つ分ある肉の塊をぼんやりと眺める。ピュール家の朝食に稀に出るこの肉料理は、寝起きの体に石を落とされるようでサロスは苦手だった。

 食べ終わると、すぐに自分の部屋へと戻りベッドの上へと身を投げる。

 ふと、ベッドの上に散らかった本の一つが目の端にうつる。本の名前は、『騎士の在り方とその歴史』。お気に入りの一冊であったが何故か、これを読み終えると出るのはいつも決まってため息だった。

 ざわつく心を鎮めるために、目を閉じる。

 瞼の裏で、オレンジ色の光が揺らいでいた。

3.

 階段を登り、すぐ右手にある部屋を覗くと、ベッドの上で、散らかった本の中心にサロスが横たわっていた。

 退院の挨拶にと声をかけようと思ったが、邪魔をするわけにはいかない。開いていた扉をそっと閉め、部屋を後にした。

 医者とその妻に感謝を伝え外に出る。久しぶりに肌で感じる外の空気は、少しぬるい。

「アンテバルトか──」

 少し遡り、今朝。

「それと、記憶のことなんだが──」

 身体の治療を終えたことを確認した後、医師がさらっと出した記憶という単語に、身体が強張る。

「この国─オルトバの首都、アンテバルトに私の知り合いがいる。そいつは医師ではないが、『記憶』について人よりも少し詳しい。下手な医者が診るよりも正確に君の悩みを解決してくれるだろう」

 そう言い終えると、医師は眼鏡を外し、服の裾で拭った。

 記憶。今の自分にあるのは、積雪の中目覚めてからの記憶と、元の世界の常識。後者は最早異世界では役に立たない上、何よりも重要な身の回りについてのものが、よりにもよってモヤがかかったようで思い出せない。

 逸る気持ちを抑えるため、握り拳に爪を立てる。

「イーガスが次にアンテバルトに行く時に連れて行ってもらうといい」

「──ありがとうございます。何から何まで...」

「サロスを救ってもらった恩があるんだ。できることはするとも」

 なんでも相談してくれ。そう、医師は笑っていた。

4.

「ならば4日後に出るぞ」

 アナグネーシスは記憶のことを既にイーガスに伝えていたらしく、こちらが話を切り出すと即決だった。

 食事を終え、軽い運動を終わらせた後に寝床で横になる。が、どうも寝付けない。

「──」

 胸の辺りをぐるぐると、何かがかき混ぜられているような不快感。──不快感?

「不安なのか?」

 天井に向かって吐いた疑問が、自分に降って落ちてくる。しかしそれに対する答えは降って湧くわけではない。

5.

「....頭痛いな」

 昨晩は、思考を巡らせている内に意識が落ちていたようで、気づいたら窓から日がさしていた。

 軽く朝食を済ませて村へと出る。昨日、サロスに声をかけずに出てしまったため、そのことを謝罪するためだ。

 村の中を暫く歩くと、すぐにサロスは見つかった。本は持っておらず、隣には友達である、ルクがいた。

「おーい。サロスー」

「──ハルト。おはよう」

「あれ、ハルトじゃん」

 おっす。そう敬礼をしてみせる、サロスよりも少し小さな少年。ルク。彼とは、彼とサロスと大声を出して言い合っている所を仲裁に入ったのが初対面。子供ならではの乱暴、傍若無人な振る舞いは、良くも悪くも彼の周囲を賑やかにする。

 一方サロスは彼の後ろで少し小さくなっていた。

「何しにきたんだ?ハルト。今日はとっくんしなくていいのかよ」

「しばらくはあまり動き回っちゃダメだから。軽い運動にとどめてるんだ」

「なんだ。まだ治んないのか。弱っちぃな」

「──ルク」

「なんだよ」

 まずい。そう思い、何か話題をと視線をあちらこちらに飛ばす。そこで、サロスの指先を意識がとらえた。

「サロス。その指どうしたんだ?怪我?」

「──」

 サッと、サロスは手を後ろに組んだ。

「あ!そうだよハルトこいつさ、やけどしたんだぜ」

 ばかだよなー。無神経にそう言い放つルクに向けられるサロスの視線は、より一層鋭利になる。

「ルク。あまりそういう言葉を使うんじゃない。自分が言われたら嫌だろう」

「知らねーよ。これ以上せっきょうするなら俺はいくぜ」

「あのな──」

「じゃ!」

 ルクは、あっという間に小走りにどこかへと駆けて行く。まさにクソガキだ。

「ハルト」

「サロス。言いたくないなら言わなくていいよ。ごめんな。余計なこと言った」

「ううん。違う。実は──」

 サロスは何かを言い淀むも、こちらの目から視線を逸らさない。

 次の言葉を黙して待つ。しばらくして、サロスが口を小さく開いた。

「やっぱ、なんでもない」

 にへらと笑い、じゃあね。とサロスは去っていった。

 その背に拒絶に近いものを感じ、手を伸ばすことも、声をかける事もできなかった。

6.

 カッ、カッ、カッ、カッ。時計の針の音が家にこだまする。最も、この世界に時計はないのだから、きっと脳みその奥深くにある潜在的な部分から響いて聞こえているのだろうけど。

 『なんでもない』。サロスの去り際の言葉がチラつく。年頃の少年。ちょっとしたことを恥ずかしいと感じ、隠したくなる年齢なのだろう。そう、あの状況を一般論に当てはめて仕舞えば簡単で、考える必要はない。

 だがサロスを、その一般論のマニュアルで扱っていい少年じゃないことは、短くない付き合いで分かっている。

「明日、また話そう」

 そう呟き、1日を終える。今日は、時が過ぎるのを早く感じた。


 

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