異変
1.
矢を番え、息を殺す。目標までの距離は目測約百五十m。目標である雪鹿は、積雪の中、食料を探っている。動きが止まった所で矢を放つ。無風の中獲物めがけて一直線に飛んで行った矢は、見事に雪鹿の胸部に命中した。矢に驚いた鹿はパニックに陥り、その場から逃げ出す。しばらく追うと、鹿は横になり息絶えていた。
雪鹿の死体を背負い森から一時撤退する。イーガスから課せられたノルマは四匹。
最近、雪が解けていくにつれ、森で雪鹿が多く確認されるようになった。そのせいか、村に2日に一回ほどの頻度で雪鹿が入り込むといったことも起きている。その中には角の生えた気性の荒い個体もみられるため、イーガスは雪鹿狩りの頻度を増やしている。
今日はイーガスが都市に出ているため、その分、俺が見回りと鹿狩りをすることになっている。
「後、一匹か...」
小屋の前に雪鹿を並べ、伸びをする。狩りにも慣れたからか、始めてから約3時間で三匹捉えることに成功した。使った矢の本数も五本と、今までと比べて少ない。
(村の方も見に行くか)
イーガスに任されたのは狩りだけではない。休憩がてらにと、村へと足を運ぶことにした。
2.
村に行くと、アナグネーシスがこちらを見つけるや否や駆け寄ってきた。
「ハルト!すまないが、サロスをみてないか?」
「いえ。──何かあったんですか?」
駆け寄ってきたアナグネーシスの焦った様子に、こちらも心臓の鼓動が速くなる。
「朝、遊びに行ってくるといって家を出たのだが、村中を探しても見つからない」
「──」
まずい。直感的にそう思った俺は、分かった、探しておく。そう言い残しすぐさま森へと駆けだす。森は狭くない。一人で探しだせるほど甘くはないが、今、それができるのは自分しかいない。
「おーい!サロスー!」
声を張り上げ名を呼びながら、一心不乱に森を駆ける。そう遠くには行っていないはずだと、自分に言い聞かせるように心の中で何回もつぶやく。
村から比較的近いエリアを超え、森の奥へと捜索範囲を広げる。
「サロス!聞こえたら返事を──」
その時、少し遠くで鳥が数羽飛び立つのが見えた。
(あそこか!)
すぐさま進路を変更し、最短距離で目的地へと向かう。幸い、雪は解け始めていたため、足を取られることはなかった。
「サロス──」
そう呼びかけようとして、その声は途中で止まる。
そこには、サロスがいた。木の枝、というには少し太く大きなものを持ち、何かを守るように中断に構えている。その背後には、怯え、座り込んでいるアザレア。そして、その二人が対峙しているのは──
「マード」
体中を覆うように生える棘。その一つ一つが、不気味に青白く光っている。鋭い目が小さな獲物を見定めるようにギラリと光っている。最悪のパターンだ。
助け出すため動こうとするも、マードと対峙したあの場面がフラッシュバックし、足が竦んだ。
(何やってんだ...俺...!)
「くそ──」
その時、目の端にサロスが映った。彼は決してマードから目を離すことなく、木の棒を握りしめている。その手が、わずかに震えていた。
それを見た瞬間、体が動いた。矢を番え、奴の首を目掛け放つ。矢は逸れ、マードの脇腹にヒットした。弱点は外した。
(いや、充分だ。とりあえず二人から気をそらさせる──!)
矢が刺さるのを確認して、すぐさまマードの背に回り込むように位置を移動する。マードは低く唸ると、矢の飛んできた方向を睨む。だが、そこに俺はもういない。すでに裏に回り込んでいた俺は、無防備な首を狙い再び矢を放つ。風による邪魔もない。
「よし!」
今度こそ殺した、そう思った。安堵し気が緩んだ一瞬、奴が振り向いてこちらを見た。
ぶれることなく飛んでいく矢を、奴は首にとどく直前で腕で防いで見せた。
「うっそだろ!?」
「あ゛あ゛あ゛あ゛!」
見つけたぞ、と言わんばかりにマードが咆哮する。低い爆音に耳なりがした。
仁王立ちをやめ、前足を地につけると、地を蹴りこちらに迫ってきた。
「っ──」
弓を捨て、全力で走り出す。
(どうする?このまま逃げ切ることは出来ないだろ...!)
修練を経て、速度も以前より出るようになったが、それは過去の自分と比べたらの話。俺の積み重ねてきた日数をあざ笑うかのように、木々をなぎ倒し奴は着実に距離を縮めてくる。このままでは追い付かれるのは、火を見るより明らかでありこの距離では隠れることもできない。ならば、
「やるしか、ない──!」
背後を見て、奴との距離を把握する。スピードを徐々に落とし、奴との距離をあえて縮める。
「!!」
射程に入ったと、奴は勢いをそのままにこちら目掛けて飛び掛ってくる。
「今!」
それを確認し、すぐさま地を蹴り横に飛び込む。左肩を鉤爪が掠めるが、ギリギリで回避した。
「っふぅ」
腰に掛けた大き目のサバイバルナイフを抜き、こちらを向き仁王立ちになった巨獣と対峙する。恐らくチャンスは一度。その一瞬を逃したら俺に勝ち目はない。
(奴から目を逸らすな。瞳孔の一瞬の揺れも見逃すな)
周囲の音が消える。ナイフの冷たい感触が、腕を伝って肩へと広がる。
(右か、左か)
一瞬、奴の瞳孔が揺らいだ。瞬間、予備動作ほぼなしの突進が襲い来る。雪を散らし、その巨体にそぐわない速度で目の前まで来ると、木にも負けない太い腕を高く振り上げる。
「右──!」
爪の風を切る音が、頭上スレスレで唸る。回避直後、膝を曲げた反動も利用し、低姿勢右斜め前へと前進。すれ違いざまに、ナイフを全力で奴の足へと突き立てる。
「──!!」
苦しそうなうめき声とともに体制を崩すマード。その瞬間を狙い、引き抜いたナイフをそのままに、首へと深く突き立てた。
「──!──」
立てたナイフを、かき混ぜるように動かし、とどめを刺す。その数秒後、あっけないことに、その巨体は動かなくなっていた。
「っはぁ、は、はぁ──」
緊張が解け、尻もちをつく。ナイフとそれを持つ右手が、赤黒くてらてらと光を反射する。
「やった...」
ゆらりと立ち上がり、マードの方を横目で見る。身体に生える棘は色褪せており、奴が死んだことを示している。
「そうだ、サロス──」
呆然とする頭が、何とかサロス達を思い出す。
(村に連れて帰らないと)
そう、サロスのいたであろう方へと歩みを進めたその時、視界が揺らぎ、地に倒れた。
「ハルト!うしろ!!」
「──!?」
サロスの声にすぐさま振り向く。瞬間、強い衝撃とともに弾き飛ばされた。
「っがっ──!」
背を強打し、一瞬呼吸が止まる。不意打ちを防いだ両腕は、力を入れようとすると軋むようで痛い。
雪煙の中、三つの赤い光がゆらりと、甲高い響くような音とともにこちらに迫ってくる。
それは、死んだはずのマードだった。ナイフを刺した傷口から黒い血が流れており、それを引きずるように歩いている。
異様なのはその目と胸。目は赤く煌々と光を放ち、胸を中心に赤い亀裂が、全身に走っている。まるで何かに操られているかのように、四肢の動きは不規則でだらしない。
「ハルト!立って!こっち!」
「い、いから。サロスは、アザレアを連れ、て、村に」
「ダメ!」
そう叫ぶと、サロスはこちらに駆け寄り、手を差し伸べる。
(ダメだ。今の俺は荷物でしかない)
「一緒に!帰る!」
「サロス...」
サロスが右腕を引っ張ると、激痛が走ったが悲鳴は出ない。何とか立ち上がりサロスに連れられ──
「は?」
瞬間、目の前でサロスがはじけた。視界が赤に染まり、飛ぶ破片に思わず視界を防ぐ。
バチ。と、何かが弾ける音がした次の瞬間、俺ははじけた筈のサロスの腕を引き寄せていた。
「ハル──」
先ほどまでサロスのいた場所に一閃、赤い光が突き刺さった。
「ヒ」
小さく短い悲鳴が、脳の隅で響く。
頭が痛い。行き場のない怒りが、身体中を駆け巡っている。頭痛が全身に転移するように、しびれるような痛みが全身に拡がる。なのに、
(あぁ。なんだか、とても気分がいい)
「──!」
マードが狂ったように金切り声を上げる。それと同時に、赤い眼が、再び光る。
サロスの位置が安全であることを確認し、光を避ける。光が着弾地点を赤く焦がした。サロスを守り切る。その方法は一つしかない。一度殺した相手だ。
「やってやる」
痛いはずの腕を上げ、ナイフを構える。感覚はマヒしているはずなのに、五感は冴えわたっている。
咆哮。それを号令に走り出す。相手はさっきまでとは別モノ。恐らく弱点も変わっている。ならば、総当たりで潰していけばいい。
飛んでくる光をギリギリでかわし、懐へと入りこむ。振るわれる腕に迎え撃つようにナイフを突き立て両腕の力で押し込む。すかさず裂くように抜き、勢いのまま胸に突き立てる──
「──づぅ!」
直前、唐突に全身に激痛が走り、動けなくなる。手に力がはいらず、ナイフが無力に地面へと転がった。
「なん──で」
ギイイイインという高音が目の前から聞こえ、赤のまぶしさに意識が飛びそうになる。
(終わっ──)
ドスッという鈍い音。訪れるはずの死が、光を徐々に失っていく。上を向くと、イーガスがマードの胸に、ナイフを突き立てていた。
「イー、ガス」
次の瞬間、明瞭になってきた全身の痛みに今度こそ、意識が飛んだ。
3.
怒号、悲鳴、喝采、罵声。真っ赤な世界で響くそれらは、空を覆い地上を埋め尽くした。血は涙と混ざり、雨が全てを洗い流す。
これがお前の望んだ地獄だ。お前の創り出した地獄だ。──どうせ、全て消えてなくなる。
戦場を見下ろしその光景を目に焼き付ける。雨が、この胸に少しばかり残る罪の意識を洗い流してくれることを願う。
4.
目を覚ますと、見慣れない天井──ではなく、よく知る木目が目に入った。
両腕はギプスで覆われていて、うまく動かすことができない。
「今度は腕か...痛っ」
体を捻り、何とか起き上がる。丁度、アナグネーシスが部屋に入ってきた。
「!目が覚めたか!」
「すいません。またお世話に...」
「いや。謝るべきなのはこちらの方だ。サロスが迷惑をかけた。本当に申し訳ない」
「いえいえ。お世話になってますから」
目をまっすぐ見て、そう謝罪する医師に気圧されながらも、サロスに何もなかったことに安堵する。
「彼は勇敢でした。アザレアを庇ってマードを相手に一歩も引かなかった」
小さな英雄の父親は、それを聞いて目を細めた。
「本人からも聞いてると思うが、随分昔からあの子は騎士に憧れていてね。騎士団に入団し、私達とこの村、世界を悪から守る。友達の前で、そう啖呵を切った事もある」
本を脇に抱えて啖呵を切る、サロスの様子がありありと浮かぶ。
「きっと若さゆえの一時の夢だろう。なんて思わないわけじゃない。でも──」
きっと、私も親バカなのだろうな。アナグネーシスが苦笑する。
「私達を守る。息子がそう考えてくれている事が、なによりも嬉しかった」
家族円満とはまさにこの事だろう。アナグネーシスを見てあの時、手遅れになる前に駆けつけることができて良かったと、そう心の底から思った。
俺の身体の容態を確認した後、サロスを呼んでくるとアナグネーシスが席を外す。
(今、俺の家族は何をしているんだろう)
ふと、そんな考えが頭をよぎった。異世界に来たことで、家族についての記憶も失ってしまった。どんな人達なのかすら覚えてはいないが、自分がこの年齢まで健康的に生きているという事実だけでも、愛を受けてきたのだろうと、想像に難くない。忘れてしまっている身だが少し、寂しいとそう思ってしまった。
結局村で過ごす中でも、どうしてこの世界にいるのかすらも未だに思い出せない。アナグネーシスもこれにはお手上げで、様子を見るしかないとのこと。いつかは思い出すだろうと思いつつも、もし記憶が戻らなかったらと考えてしまうと、少し不安だ。
「ハルト!」
ドタドタという音、声とともに扉が開く。そこにはサロスとアザレアがいた。
「っ...ハルト、大丈夫?」
「大丈夫大丈夫。ほら」
両腕のギプスを見てか、少し二人の表情が曇る。それに罪悪感を覚え、両腕を動かせる範囲で振ってみる。少し痛い。
「その、ごめんなさい。私が森に入るって聞かなかったから...」
アザレアが、ばつが悪そうにうつむく。
「まぁ、間に合ってよかった。次からは危険なことはしたらダメだからね」
「う...はい」
「ところで、どうして森に入ったんだ?」
ふと湧いた疑問を口にすると、それを聞いたアザレアは少しして、ぽつぽつと語りだした。
「あの日、森の方から声が聞こえたの。男の人二人の声だった。村の皆はイーガスおじさん以外森に出ないし、村の人じゃないってすぐ分かったの」
両手を後ろに組み、今にも泣きだしそうな声で話すアザレアをサロスは心配そうに見つめている。
「私、迷っちゃったのかと思って、森が危険だって教えようって思って、一緒にいたサロスを連れて森に入ったら、あいつがいたの。お母さんに行っても、そんなはずがないって信じてくれなくて」
説明し終えると、アザレアは決壊したように泣きじゃくり始めた。その手をサロスが握っている。
「サロスはその声は聞いたのか?」
「んーん。僕がアザレアのとこに行く前に聞こえたんだと思う」
確かに、村人以外の人間がこの村付近の森にいたなんて、実際に見ないとこの村の人は信じないだろう。だが、よそ者の前例はここにいる。
(あのマードのこともある。イーガスに後でこのことは伝えておこう)
「アザレア、話してくれてありがとう。サロスも、あの時俺のことをあきらめずにいてくれてありがとう。俺もアザレアも、サロスがいなかったらダメだったかもしれない」
感謝の言葉を伝えると、少し落ち着いてきたアザレアは、小さく頷いた。サロスはそんなことはない。と、感謝の言葉を返してきた。
5.
日も暮れてきたころ、イーガスが干し肉を持って訪れてきた。こんなことがあるのかと目を丸くしていると、いつものテンションでよくやったとそう呟いた。
「マードをやれるならば充分だ。お前に教えることも、そう多くないだろう」
「いや、結局はあんたに救われた。俺が勝てたとはいえないだろ」
そう言ったところで、思い出した。
「そういえば、あれは何だったんだ?殺したと思ったら生き返って、変な光を放ってきて、めちゃくちゃだった」
思い出すだけでもゾッとするあの光。動きも、中身がない様で不気味だった。
「──あれは、ある男がこの世界に残した、呪いみたいなもの。その被害者だ」
イーガスがカップを机に置く。
「呪い?被害者?」
「人を除く生物の内、ランダムな個体にその呪いは発生する。それに気づくことなくその個体は生前を送り、個体が生涯を終えたとき、呪いは発散される。死体は器となり、無差別に人を襲う殺人マシンとなり果てる」
「呪いを蒔いた男って?」
「奴は死んだ。関係のないことだ」
こうなると、いくら聞いた所で彼から答えを得ることは出来ない。喉が渇いたように思い、思うように動かない腕でなんとか水を飲む。
もう一つ、聞くべきことを質問することにした。
「あのマードの内臓は調べたか?」
「何も出てこなかったがな」
「──」
少し、嫌な予感がする。
「アザレアが、森で二人の男の声を聞いたって言ってた。喰われてないってことは、逃れたってことか」
「──何?」
イーガスの手に血管が浮き出る。腕を組み、黙考し始めた。
彼はこの村にとっての衛兵である。これまで村を襲った脅威は動物、自然が主だそうだが、一度、人の手によって襲撃を受けたらしい。しかしその際、村に住み着いたばかりのイーガスが、全て返り討ちにしたとのこと。それ以降村人からはこの村の防人だと親しまれるようになった。
何かを呟くと、「暫くは安静にしておけ」と言い残し、イーガスはこの部屋を去る。彼の残したコーヒーから、ゆらりと湯気が立っていた。
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