白山坂上サマーインキ

「だから、何度も何度も言っているじゃないですか。僕は夏が嫌いなんですよ」


 そんな僕の心からの言葉、ボヤキなんて気にも留めずに、アオイさんは僕の数歩先をスタスタと歩いている。置いて行かれないように、僕も少し早歩きでついていく。


 道路の両脇に並んでいる木々の葉っぱのおかげで、なんとか直射日光を避けて歩くことができている。


「イチョウだかクスノキだかわからないですけど、この木々に本当に感謝ですね」


「これ、ハンテンボクだよ」


 木の種類がわからないのも、暑さのせいかもしれない。



 なぜこんなにも暑い日に、わざわざキャンパスに向かっているのか。僕にもわからない。アオイさんに、半ば強制的に呼び出されたからだ。


 坂をのぼり終え、交差点で信号待ちをしていると、横に立っていたアオイさんが


「来週が〆切ってこと、勿論、忘れてないよね?」と、僕に口をとがらせながら言った。


「勿論、忘れてないですよ」


 忘れていた僕はそう答えた。


 この〆切というのは、サークルで出すジンとかいう雑誌のようなものに載せる文章を提出する〆切のことだ。


「とは言っても、何を書けばいいんですか。そもそも僕って何のサークルに所属してるんですか」

「書きたいことを書けばいいよ。なんでも。小説でも随筆でも短文でも散文でも漢文でも。サークルのことは内緒」

 毎回教えてもらえないのだ。夏休み前にアオイさんから勧誘されて、流れとノリで加入に了承して以降、一度も具体的なことを教えてもらえていない。そもそも、自分とアオイさん以外のメンバーを知らないし、他のメンバーが存在しているのかさえもわからない。だけど、頻繁にアオイさんに呼び出されては、サークルの活動と称して、色々な事をやった。やらされた。

「詮索する暇があるなら、ちゃっちゃと書いてね。〆切近いんだから」


 夏休み中の閑散とした学食のテーブルでパソコンに向き合っていた僕を横目に、アオイさんは年季が入っていそうな古本を読んでいた。僕は文章を書かされるし、アオイさんはよく本を読んでいるので、多分文芸系のサークルなんじゃないかなと思っている。


 そんな余計なことを考えるのは止めておき、作業に集中することにした。どうせ先延ばしにしても終わらないのだから。


 気が付くと、一時間くらい経っていた。書いていた作品は、ほぼ完成した。よほど集中していたんだなと自分でも驚いた。


「喉乾かないですか? あそこの自販機でなんか買ってきますよ」


「いや、大丈夫。充分だから」


 折角気を利かせたのに、よくわからない理由で断られてしまった。それならばと自分の分だけ買った。そういえば、アオイさんと食事に行ったことはなかったな。今度誘ってみようかな。


「そんな事より、もう書き終わった?」


「あ、はい。一応カタチにはなりました。読んでみますか?」


 先ほど買った麦茶を飲みながら、僕はそう答えた。


「なら、一回印刷してみよう。ね」


「え? 画面見ればいいじゃないですか、パソコンの。わざわざ印刷しなくても……」


「でも、実際には紙に印刷して頒布するんだよ。印刷して確かめた方がいいって。ほら早く早く」


 アオイさんが言っていることも一理あるなと思い、売店前のコピー機へと向かった。


 印刷している間、機械の向かいに置いてある自販機でミネラルウォーターを買った。断られたとはいえ、この暑さなら何かしら飲まなきゃまずいだろうと思ったから。



 ミネラルウォーターと、僕が書いた文章が印刷された紙たちを受け取ったアオイさんは「ありがとう」と言い、食い入るように読み始めた。


「どれどれ~、ほうほう。書き出しは『車道の両脇に並んだハンテンボクの青々とした葉っぱたちが、雲一つない青空を強調させている』ね。いいね。キミって案外美味い文章書くよね」


「本当ですか?」


 お世辞だったとしても上手いと褒められて、嬉しかった。


「よし、オーケー。じゃあこの紙はもらっていくね。作品は〆切までに誤字脱字とか直して、メールで送っておいて」


「わかりました」


「あ、あとこれは要らないから、キミが飲んでいいよ。ありがとう」


「わ、わかりました……」


 ミネラルウォーターは、いらなかったみたいだ。




     ●




 僕たちはキャンパスを後にし、近くの公園のベンチに座っていた。周囲はすっかり真っ暗になっていた。


「さて、〆切前に終わったことだし、パァっとやっちゃおう」


 アオイさんはそう言うと、持っていたトートバッグからライターを取り出した。


「やっぱり、夏の夜と言えば、これでしょ」


 トートバッグから、手持ち花火が入ったカラフルな袋も登場した。


「手持ち花火ですか。いいですね。やりましょう」


 いつ以来かわからないくらいに久しぶりの手持ち花火にテンションが上がった僕は、アオイさんと二人で花火を楽しむことにした。袋の中には、ススキ花火やスパーク花火、線香花火が入っていた。


「やっぱり、線香花火は最後だよね」


「そうですね。じゃあ、このスパーク花火からやりましょうか」


 先端に火を付けると、次第に細い火花がバチバチと弾けていった。


「そういえば、アオイさんはどんな文章を書いたんですか」


 次の花火に火を付けつつ、気になっていたことを訊ねた。


「んー、とある妖怪についてだよ」


 そう答えたアオイさんの顔は、暗くてはっきりは見えなかったが、若干険しい表情をしているように感じた。


 これ以上訊くのは良くないかなとも思ったが、好奇心には抗えず「どんな妖怪ですか」と訊ねてみた。


「えっとね、その妖怪は、名前は書いてないんだけどね。どんな妖怪かというと、見た目は普通の人間と同じなんだけど、人間とは違うやり方で栄養補給する妖怪なんだよ。紙に印刷された文字を食らうんだ」


「へえ、聞いたことないタイプの妖怪ですね」


「うん。あまり伝承が残っているわけでもないし、その特徴以外は人間と全く同じだから、気づかれにくいみたいなんだよね。あ、こっちの花火もやっちゃおう」


 そう言いながら手渡されたススキ花火に、僕は火を付けた。さっきのとは違い、火花が弾けたりはしないが、火の色が変わっていくので、ただ見ているだけでもおもしろかった。


「他になんか特徴はないんですか? その妖怪」


「あるよ。夏しか人間界で活動できないみたい」


 同時に二本の花火に火を付けて楽しんでるアオイさんは、そう教えてくれた。


「あ、そろそろ花火なくなっちゃうね」


 花火が入っていた袋を見ると、線香花火が二本だけ入っていた。最後の花火だ。


「これが終わったら解散しよっか。もう遅くなってきたし」


「そうですね」


「じゃあ、私のと、キミの。どっちの線香花火が長持ちするか勝負だね」


 渡された線香花火の先に火を付けた。花火を持った手が震えないようにするのが長持ちさせるコツみたいだ。よし、アオイさんに勝つぞ。


「あ、さっきの妖怪って、私のことなんだよね」


 今年最後の花火は、ひゅうっと、あっけなく、アスファルトへと落ちていった。




     ●




「最近ほんと涼しくなったよね」


「ねー」


「外練がキツくなくなるからマジありがたいよね」


「感謝」


 電車の入り口近くに立っている部活帰りらしき学生たちの話声が、ロングシートの真ん中に座っていた自分の耳にまで入ってきた。


 ふと窓を見ると『弱冷房車』というステッカーが貼ってあった。あんなに目の敵にしていた弱冷房車に知らず知らずのうちに乗っていたとは。確かに最近涼しいからなあ。


 ふとトークアプリを開いてみた。夏の間一番上に常駐していたあの名前は、ずいぶん下の方に居た。コンビニやコンビニ、ニュースばかりが上の方を独占している。


「これはもう、秋になったみたいな感じだよね」


「なんならすぐに冬になるかもよ」


 学生たちの声がまた、耳に入ってきた。


「またじきに、夏が来るよ」


 思わずそう呟いた。小さい声だから誰にも聞こえてはないだろう。誰にも。


「つぎは、白山。白山」


 電車から降りた僕は改札を抜け、階段をのぼり、地上に出た。


「またじきに、夏が来る」


 少し色づいた木々の方から秋の虫たちの大合唱が鳴り響き、僕の耳を突き刺した。


 嗚呼、もう秋が来てしまったみたいだ。

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