或る日のボクについて

 ある日、神保町のすずらん通りを歩いていると、僕と全く同じ姿形をした人物を目撃する。


 他人の空似だろうと疑うかもしれないが、髪型も顔も服装も持っている物も何もかもが、ありえないほどに自分自身と全く同じなのだ。決定的な証拠として、普段からリュックサックに付けている僕しか持っていないはずの自作のキーホルダーを彼もリュックサックに付けているのだから、間違いなく彼は僕なのだ。


 それだけではない。そんな僕のドッペルゲンガーであるボクの左横には僕の彼女が一緒に歩いている。


 彼女も間違いなく他人の空似ではない。僕の彼女だ。なぜなのかまったくわからないが、僕の彼女がボクと一緒に歩いている。


 僕は、ボクと僕の彼女に気づかれないようにこっそりと後ろをつけることにした。僕の存在が彼らにバレてしまったら面倒くさいことになると考えたからだ。実際問題、僕がボクを前にして、自分こそが本物の僕なのだと説明できるとは思えないし、ボクが彼女と一緒にいる以上、むしろ僕の方が偽物であると思われてもおかしくない状況だからだ。


 白色のポロシャツと淡い水色のジーパンを纏ったボクと、紺色と白色のボーダーシャツと黒色のフレアデニムを纏った彼女は、緑色の大型書店に入っていく。数十メートル後ろを歩いていた僕も、彼らが入店してから数十秒後にその書店に入店した。


 文庫本の棚の前で立ち読みしている彼らを、気づかれないように少し離れた雑誌の棚から見ていた。いつもの僕と同じように、あれこれと何冊も読んでは戻し、読んでは戻すという吟味をしている。これは長くなりそうだ。


 自分のドッペルゲンガーとはいえ、僕の彼女と僕ではない人とのデートを近くで見ているという屈辱を紛らわすためにも、彼女のことについて考えようと思った。


 彼女と僕が付き合い始めたのは、三カ月前のことになる。こちらから向こうに告白し、見事カップルが成立した。


 ただ、出会ったのは最近ではなく高校生の頃だ。同じクラスだった僕と彼女はとても仲が良かったわけではない。ただのクラスメイトで、少し喋るくらいの関係だった。けれども、僕の方は当時から彼女のことが好きだった。


 彼女の容姿は特別美人というわけでもなく、ごく普通の顔をしていると思う。後頭部には寝ぐせが付いていることもしばしばある。身長は僕より少し小さく、だいたい160センチくらいだ。


 容姿についてあまり褒めているように見えないかもしれないが、容姿も含めて彼女のことは運命の人だと思っている。ただ、人の容姿について詳細に言い表すのは苦手だし、そもそも容姿をそんなに重要視していないので、よく見てないし、よく覚えてないというのが正直なところだ。君たちだって、自分が好きな人のことを事細かに描いてくれと言われても、思い出せないだろうし、描くことは無理だろう? それと同じだ。でも、当然のことだけれど、僕は彼女のことを心から愛している。だからなおさら今のこの状況は苦しい。


 彼らの方に動きがあった。同じ表紙の本をそれぞれ持った二人がレジの方へと向かっていった。僕はバレないように、彼らがさっき居た棚の方へと移動し、会計が終わるのを待った。


 会計が終わり店を出た二人は、都営三田線の神保町駅に向かって歩いて行った。僕はバレないくらいの距離感を保ちながら尾行した。


 その時、この状況を写真に収めておこうと思った僕は、スマホを取り出し、写真を撮った。二人がばっちり写っていることをしっかりと確認した。


「先週のことなんだけど、ドッペルゲンガーを目撃してしまったんだ」


 僕は友人にそう話しかけた。


「しかも、そのドッペルゲンガーはデートしていた。僕は彼らを尾行したんだ」


「へえ。それでそのドッペルゲンガーに話しかけたのか?」


「いいや。話しかけたらマズイと思って話しかけなかった」


「それは英断だったな。もしそれが本当に、本物のドッペルゲンガーなら、話しかけていたら君は死んでしまっていただろうね」


「なんだって?」


「だから、ドッペルゲンガーに話しかけた人間は死んでしまうんだよ。フィクション作品でもよくあるじゃないか」


「そうだったのか。なら話しかけなかったのは正解だったんだな」


 駅に着いた二人は西高島平行きの電車に乗る。ボクはきっとこれから五限の講義を受けるためにキャンパスに向かうのだろう。僕は隣の車両に乗った。車両の連結部のドアについている窓から、二人の様子を監視することにした。


 ロングシートの真ん中くらいに並んで座った二人は先ほど買った本を読んでいた。僕はなぜかすごく気分が悪くなった。


 春日駅に到着した時、僕の彼女は車両を降りて行った。ボクは彼女に小さく手を振っていた。


 彼女は僕と違う大学に通っているので、デートはここでおひらきだったのだろう。せめて自分以外の男とデートしている姿ではない彼女の姿を目に焼き付けておきたいと思った僕は、改札の方へと歩いていく彼女の姿を目で追ったが、人混みに紛れてしまって見えなくなったので、再びボクの方を見た。


 何が面白くて、自分と瓜二つの男を見てないといけないのだろうか。しかも、彼は僕の彼女とさっきまでデートしていた忌々しい存在なのだ。しかし、ドッペルゲンガーが何か変なことをやらかしたら、僕がやったことになるという面倒くさい状況なのだ。しっかり監視しなければと改めて心に誓い、白山駅に着いた車両から降りた。


 改札を抜け、階段をのぼるボクを少し後ろから尾行した。ボクと僕の間には数人の大学生たちが同じように大学を目指して歩いていた。


 キャンパスに着いたボクは5号館へと向かう。五限の講義は5309教室だ。


 井上円了像の近くを通った時、突然視界が真っ白になった。カメラのフラッシュを直接見た時のような状況だった。思わず目を閉じてしまった。


 再び目を開けた時、ボクは消えていた。一瞬の出来事だった。


 もしかしたら消えたわけではなく、ただ走って居なくなっただけで、まだ近くにいる可能性もあると思ったが、講義が始まる数分前だったので、ドッペルゲンガーの尾行は諦め、講義室へと向かった。必修の講義だから仕方がなかった。


 第二外国語の講義を受け終わった僕は、近くに座っていた男子大学生に話しかけた。先ほどの出来事のときに、自分の近くに居たのを見ていたからだ。


「5号館に入る前に、変なこと起きませんでした? 一瞬まぶしくなりましたよね?」


「いや、なんも起きてないと思いますよ。カメラ使ってる人もいなかったと思いますし」


 彼はそう答えると、そそくさと去ってしまった。


 何も起こっていないということは、自分にだけ見えたものなのだろうと理解し、これ以上ドッペルゲンガーを探しても無意味なんだと悟った。今日のところはおとなしく帰ることにした。


 夜ご飯を食べ終わった僕は、いつもならシャワーで済ませるところを、不思議な体験をして疲れていたので、湯船に浸かりたいと思い、お風呂を入れた。


 お湯につかり、瞼を閉じる。それにしても不思議なこともあるもんだな。自分のドッペルゲンガーを目撃するなんて。しかも、そのドッペルゲンガーが女性とデートしているだなんて。


 なんで本物の僕は彼女すらいないのに、僕のドッペルゲンガーは恋人がいて、しかも大学の講義前に本屋でデートをしているんだ。おかしなこともあるもんだなと思った。


 いや、おかしい。ドッペルゲンガーを見ることは勿論おかしいことだ。ただ、それ以上におかしいことがある。僕には彼女はいない。なのに、なんであのドッペルゲンガーを尾行している間は、自分に彼女がいると思っていたんだ。そもそもなんであの子が東京にいるんだ……。そうだ。写真。写真を撮っていた。


 湯船から出た僕は、急いで服を着、スマホが置いてある部屋へ向かう。


 スマホを開く。写真のアプリを開き、スワイプし、尾行中に撮った写真を見る。


 確かにあの時に撮った写真に違いないのだが、写っていることを確認したはずの二人の姿はなかった。ただの風景写真だった。


 いや、そんなはずはない。今日の出来事は、ドッペルゲンガーと僕の彼女がデートしていたのを目撃したというものだ。それこそが今日起こった出来事なのだ。そう自分に言い聞かせ、布団に入り、目を閉じるだろう。

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