第3話 彼女の物語
彼女の名前は荒波円果。
この白炭荷村にある道場の師範、荒波明洋(あきひで)の孫で、小さい時から道元流荒波派の武術を仕込まれている。
円果の一人称が「オレ」なのは、円果は物心がつく頃くらいまで、男として育てられていたからだ。
荒波道場は、円果の母方の家系が運営している道場になる。
円果の母の喃(なん)が生まれた時、後継ぎ問題が発生したが、明洋の代から見て孫の代に男の子が産まれることを託した。
しかしそれは叶わず、結果として円果が男として育てられることになった。
彼女の日課は、早朝から始まる道場での訓練からだ。
この道場に通う門下生たちが集まり、全員が大きな声を上げて型の練習を行う。
円果もまた、他の門下生と同様に早朝6時から拳を振るっていた。
「なつは!今日もバッチリ型できてたねぇ!」
同じ門下生の歩坂夏葉(ほさか なつは)は、荒波道場でも数少ない女の子で、円果より少し後に入門した。
円果としては、同じ歳の同じ性別の門下生なので何かと絡みにいく対象の一人。
「もう何年やってると思ってるの。あれくらいできなきゃ、流石に師範に怒られる」
道着から私服に着替えながら、夏葉は円果の顔も見ずに答えた。
「まぁそうなんだけどさぁ〜なつはの動きは、やっぱキレが違うなぁと思って!」
黙々と着替える夏葉の顔を覗き込むようにして話す円果を相手にせず、夏葉はカバンをロッカーから出す。
「そういえばあんた、今日から補習でしょ?なんかあれば聞いてよ。答えるから」
夏葉からそう言われて、円果の顔がハッとする。
今日から夏休みだと気持ち的に浮かれていたが、痛い現実を思い出すことになり、ガックリと肩を落とした。
その様子を見て、フッと笑うと夏葉は更衣室を出て行った。
「テンション下がっちゃったなぁ…。そうた…まだ寝てるかな?」
ニヤっと笑うと、円果も道着を着替えることにした。
そんなこんなで、窓から草太の部屋へ侵入して少しやり取りをした後、なんだか少し急いだ様子で草太は家を出て行ってしまったので、仕方なく本日の補習を受けに学校へ行くことにした。
円果たちが通っている学校は、白炭荷中学校。
まぁ、そのままの名前の中学校だ。
そこの2年1組。そこが円果のクラスだ。
席は教卓の真ん前。
授業中、寝ることが多い円果に対して担任が用意した特等席だった。
夏休みは始まったばかりだったが、いつもと変わらない教室のいつもの変わらない席に着く。
この席は、常に目の前に担任の圧を感じる席なので、円果はとても嫌っている。
「お、荒波来てるな」
しばらくして、担任の福田が入ってくる。
「今回の補習は、俺とマンツーマンだ。喜べよな」
ニカッと笑って、福田が円果を見る。
円果は頬を膨らませて、福田にブーブー言っている。
「ところで荒波、お前今日荷物はどうした…?」
教室の荷物を入れる棚に何も入っていないことに気がついた福田が訪ねると、驚いた顔をした円果の様子を見て福田は呆れた。
「いますぐ取ってこーい!」
そう言われて、円果はやれやれと席を立って廊下に出た時、ふと視界が歪んだような感覚になり、体がフワっと揺れた。
なんとか踏み止まり、倒れることはなかったが、激しい頭痛と共に何か分からない映像が頭の中を駆け巡った。
ある日の始 飢谷猪むぎ @KiyaiMugi
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