第45話 ドラゴンと英雄(前)

 ヴェラは穏やかな日々を重ね、また一年が過ぎた。

 春から夏へ季節が移る頃、〈聖女の庭園〉に面会の申し入れがあった。王の娘リリア・ヴィードと商人アルテオ・エテルファムの二人がヴェラに会いたいのだという。

 アルテオの目の奥に感じた暗い影を思い出すと、歓迎する気にはなれない。しかし、王の娘を拒むのは気がとがめる。ヴェラへの贈り物を渡すためにアルテオが必要らしく、リリアだけとはいかないようだ。

 ヴェラは求めに応じた。〈聖女の庭園〉には信頼する皆がいて、不安を上回る安心がある。悪いことは起こらないと確信していた。




 面会当日、ヴェラは気を張って応接室に入った。

 大人びたアルテオ、幼い顔立ちのリリアの姿がある。それと、リリアの従者が一人。

 簡単に挨拶を交わし、ヴェラは話を本題に移した。

「今日はあたしに贈り物があるそうね」 

「ああ、それは嘘ですわ」

 リリアがさらりと言い放つ。従者に驚きの色が見えたが、アルテオに動ずる気配はない。

「じゃあ、何の用があって来たの?」

「あたくしは呪いから解放されたいんですの」

「呪い?」

「直系の印のことですわよ。英雄の子孫なんてうんざりしますわ」

 リリアが首元の布を外し、野バラの形をした印を見せる。

 ヴィード家の印は首に現れるらしい。四枚の花びらが確かに王の娘であることを示している。

「年老いてから子をつくるなんて、どうかしてますのよ」

 そこからリリアは鬱憤を晴らすようにまくし立てた。

 王はあと数年で代替わりする可能性が高く、神がリリアを次の王に選ぶかもしれない。

 リリアと同じ年頃の子を持つ兄姉が選ばれるならいい。だが、子を生めるほど大人ではないリリアが選ばれたなら、一人で聖杯に血を捧げることになる。その負担はとても大きく、命を落としかねないのだ。


「あたくしはまだ死にたくありませんの」

「そんなの、リリアさまだけじゃないわ。みんなが命懸けでドラゴンを目覚めさせないようにしてるのよ」

 リリアの思いは理解できる。しかし、これまでにも多くの直系が同じように血を捧げてきたのだ。

「それですわ。ドラゴンなんていないませんのよ。ほら、アルテオ。あの話をしなさいな」

「え? ドラゴンがいない?」

 幼い頃から礼拝で聞いてきた話が、不意に否定される。たぶん聞き間違えたのだとヴェラは思った。

「驚いたでしょう? 今日はヴェラさんにこの話を聞いてほしくて来たんです」

 爽やかな笑みを浮かべるアルテオの目は、やはりどこか怖さを感じさせるものがある。

「面会の理由を偽るなんて、もっての外です。ヴェラさま、帰らせましょう」

 ルシアは物柔らかな口調で言ったが、その奥に怒りが感じられた。

「ううん。嘘をついてまで話しに来たんだから、ちょっと付き合ってあげたいと思うわ」

 ドラゴンがいないという話は、ヴェラの興味を引くのに十分だった。詩人の歌う物語を聞くような期待感が湧いた。

「わかりました」とルシアは引き下がる。

「では、エテルファムに語り継がれる、闇に葬られた遠い昔の話を聞かせましょう」

 アルテオは自信に満ちた様子で語り始めた。




 何百年も昔、海に囲まれたノヴァテッレは人のいない島だった。人が「ノヴァテッレ」と呼ぶまで、名もなかった。

 海の向こうにある大陸から人がやって来て、少しずつ島に居着いた。漂流した末に行き着く者もいれば、新天地を求めてたどり着く者もいた。

 人が住み始めるよりもずっと前から、島には人のような姿の人ではない存在があった。それは五匹いて、いつも揃って行動していた。

 いや、「五匹」と言うより「五人」と言うのが適切だろう。ぱっと見では人なのだから。

 なびく髪は銀色に輝き、肌には鱗のようなものが光る。そういった少しの違いがあるだけだ。

 彼らは長く生き、自身がどのように最期を迎えるのかも知らない。その長い時の中で人の言葉を聞き覚え、話すこともできた。

 セレーラ、ネベール、ヌボート、ピオーテ、ビアーリ。これらの名は彼らが互いに呼び合う音を人の言葉にしたものだ。

 子どものようなセレーラから老人のようなピオーテまで、人の一生を表すような姿に見える。

 人知が及ばない存在は、大陸で邪悪な存在とされる架空の動物を連想させた。そして、彼らを「ドラゴン」と呼んで恐れた。


 恐れる人ばかりがいたのではなく、好意を持って接する人もいた。プライソ・エテルファムもその一人だ。

 エテルファム家は大陸で名の知れた豪商だった。珍しい品を求める貴族の期待に応えようと、島に調査団を派遣した。好奇心が旺盛な末の息子プライソは志願して調査に加わった。

 プライソがドラゴンの生態に興味を持つのは当然だ。意を決してドラゴンに接触を試みると、すんなりと受け入れられた。

 島にドラゴンを害するものはなく、警戒心を持つ必要がなかったのだ。他の生き物に傷つけられたとしても、それは自然の中で起きる一つの出来事に過ぎない。人の存在も、新しい何かがそこにいるという感覚だった。


 ドラゴンとの距離を縮めたプライソは、数年に渡って行動をともにした。すると、一年をかけて島を旅していることがわかった。

 祈りを捧げるために、六つの決まった場所を目指して歩く。一所に定住せず、木の実や草花を食べ、雨風をしのげる場所で休む。

 そんな祈りの場の一つを人が破壊した。中央の最も肥沃な土地を放っておくはずがない。移住者が次々にやって来て、開拓を進めた。さらにドラゴンの立ち入りを拒み、祈りを失った土地は衰えた。

 島の豊かさはドラゴンの祈りによって保たれていると言っていいだろう。

 危機感を募らせたプライソは、他の祈りの場を守るために動いた。同志を集め、各地に守り手を置き、ドラゴンの旅に護衛を同行させた。

 プライソ自身も北の鉱山へ赴いた。そこにはドラゴンが生まれた銀色の大樹があり、特に重要な場所だった。


 「土地が痩せるのはドラゴンのせいだ」と不穏なうわさが広がっていた。

 元よりドラゴンに好感を持たない者の方が多い。不毛の地となった中央の話を伝え聞けば、次は自分たちの土地がそうなるのではないかと恐れおののいた。

 ドラゴン退治は騎士たちの血を騒がせた。大陸には邪悪なドラゴンを倒した英雄の伝説がある。そのように自分も称賛されたいと欲に駆られたのだ。


 ある冬の日、空気が震え、大地が揺れた。

 プライソは異様な胸騒ぎに襲われた。銀色の大樹を確認しに行くと、見えない壁に阻まれて近づくことができない。

 何が起きたのか知りたくても、雪で道を閉ざされた北の鉱山にいてはどうしようもなかった。

 雪が解け、ようやく入ってきた一報にプライソは愕然がくぜんとする。

「ドラゴンが騎士に襲撃された」と言うのだから。

 護衛は一人残らず命を奪われ、同志が丁重に埋葬した。


 知らせを届けたのは荷を運ぶ一団だ。島のあちこちで異変が起こっているとも話した。

 一つは、北の鉱山と麓の大都市を繋ぐ道が寸断されたこと。広く深い地面の裂け目を迂回し、やっとのことで荷を運んだ。

 大陸との航路も断たれた。船が海を少し行くと、途中で先に進めなくなってしまう。島から船が行けないだけでなく、大陸から船が来ることもない。

 もう一つは、守り手が祈りの場に近寄れなくなったこと。空気が震えた直後、近くにいた者は強制的に離された。どういうわけか森が現れて、一歩も入れない。

 しかし、一人だけ立ち入れる女性がいる。森の中の家にドラゴンがいて、腹がすくと女性を呼ぶらしい。

 ドラゴンは逃げ延びることができたに違いない。プライソの心に希望の光が差した。


 全容を解明するためにプライソは奔走した。

 東西南北にある四つの祈りの場で、ドラゴンの存在が確認された。北にネベール、西にヌボート、南にピオーテ、東にセレーラがいる。では、ビアーリはどこに行ったのか。居場所に心当たりがあるとすれば、中央か北の鉱山だ。

 祈りの場が破壊された中央は不毛の地となったはずだが、豊かさを取り戻していた。だからといって祈りの場が再生したわけでもない。

 おそらくビアーリは銀色の大樹にいる。それを確かめられないのは、他の祈りの場と違って出入りする人が見つからないからだ。


「ドラゴンは隔てられた空間で復活の時を待っている」

 プライソはそう考え、北の鉱山にドラゴン崇拝の本部を設けた。エテルファム商会として各地に拠点を置き、島に情報網を広げた。


 遥か昔の思いは今もエテルファムの人々に息づく。商人の皮をかぶり、復活の日に備えているのだ。

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