第46話 ドラゴンと英雄(後)

 アルテオは雄弁を振るい、満足げな顔で一息ついた。

 その壮大な話はヴェラをうならせる。ノヴァテッレ国を囲む海の向こうに人が住んでいるなんて考えたこともない。

 絵で見た海を頭に思い浮かべる。塩味だという水が空と繋がる果てに、どんな人がいるのだろうか。考えると心が弾んだ。

「こんな話を考えるのはすごく大変だったと思うわ。でも、ドラゴンがいないと言ったのに、やっぱりいるじゃないの」

「そうですね。邪悪なドラゴンはいないという意味で『いない』と言いました。聖域にいるのは『神』と呼ばれるようになったドラゴンなんです」

「うーん。あ、ヘラルマさまを忘れてるわよ」

「ヘラルマは聖域のないセントリアに作り上げた神ですから、元より存在しないんですよ」

 大真面目な顔でアルテオは言い切る。

「あたしは聖女さまが聖炎を灯すのを見たわ」

「偽物ですよ。聖女にするために育てられた女性が青色の服を着ているだけです。聖炎もありふれた火でしかありません」

 ヴェラは王都で見たのだ。ヘラルマの聖炎が広場で燃える光景を、叔父と叔母と三人で確かに見たのだ。あの時の感動までもが否定されてしまうのか、と残念に思う。

「どうしてそんなことをするの?」

「セントリアにも神がいることにしたいからですよ。この話をするには、ドラゴンを襲った騎士についてお聞かせしなければいけませんね」

 アルテオは膝を乗り出し、得々と語り始めた。




 ドラゴンを襲撃した騎士のうち、五人が銀色の器に選ばれた。この器はドラゴンが持ち歩いていた物だ。銀色の大樹からドラゴンとともに生まれ出たという。

 騎士は一人ずつ各祈りの場付近に導かれた。その地から器が離れない上に、騎士の血を欲しがる。やむを得ず、騎士は器のある場所で身を落ち着けた。

 そして、それぞれに国を建てた。英雄になりたくてドラゴン退治をした者たちだ。王にふさわしいから選ばれた、と思い込むのは自然の流れと言えた。

 だが、元より欲深い騎士たちは自身の国だけで満足できず、島全体を支配したいと考えるようになる。

 中央に導かれたヴィードは祈りの場がないことを利用して、人々に疑心を抱かせた。

「ドラゴンを倒したのはヴィードだけだ。他の英雄はドラゴンをかくまい、民の生活を脅かそうとしている」と。 

 この話を手なずけた旅の詩人や商人を使って広めた。

 ヴィードは人々の支持を集め、ドラゴンを討ち滅ぼすという大義を成し、四つの国に次々と攻め込んだ。

 こうして、五つあった国はヴィードが統治する一つの国となる。


 手中に収めた権力を揺るぎないものにするため、神話が作られた。

 騎士を導いた銀色の器を「聖杯」、奇妙な力で覆われた祈りの場を「聖域」、聖域に立ち入れる女性を「聖女」、聖域の火を「聖炎」、そして聖域にいるドラゴンを「神」とした。

 神聖な場所を守るという名目で聖域を壁で囲み、聖女を閉じ込める施設を建てた。これは中央に聖域があると見せかけるものだが、神秘性を高めるのにも有用だった。

 ただ、各地の聖炎を中央に運ぶ計画は頓挫とんざした。聖域から遠く離れてしまうと消えてしまうのだ。それでも、仕立て上げた聖女の見せる火が聖炎だと言い張れば、民衆は信じた。ほとんどの人は生まれた土地を出ることなく生涯を終える。だから、他の聖炎と比べようがない。

 ドラゴンは倒したのではなく、眠らせたことにした。恐怖感を与えるドラゴンと、安心感を与える英雄。信心を起こすには悪い存在が必要だった。

 礼拝堂や旅人を使って信仰を広めていった。聖杯を飢えさせて大地を揺らし、血を注いで揺れを止める。そんな奇跡を目の当たりにした者が熱心に語れば、それは狭い世界で生きる人々の真実となっていく。疑問を持つ者は異端者として処罰した。




「そんなの、他の英雄が黙ってないと思うわ」

 ヴェラは納得がいかなかった。一度は王になった英雄たちがどうして従順でいられたのか、と。

「言えないように支配したんですよ。呪いの印を持つ者を捕らえ、子をつくらせました。その子らを教育し、ヴィードの思いどおりに動かしたんです」

 作り話だとしても、あまりにひどい。ヴェラは身の毛がよだつ思いになった。冷たくなった両手を合わせ、ぎゅっと握る。

「じゃあ、エテルファムはどうなの? ドラゴンを信じてるなんて言ったら罰を受けるんじゃないの?」

「従うふりをして信仰を隠してきたんですよ。島の状態を保つには騎士の血が必要ですから、逆らわないのが賢明なんです」

 得意げなアルテオの表情からは、何を尋ねても答えられるという自信がうかがえた。


「もうわかりましたわよね?」

 リリアが割って入り、待ちくたびれた様子で言葉を投げる。

「聞いてのとおり、神も英雄も虚構なんですわ。さあ、あたくしを呪いから解放するのを手伝いなさいな」

「手伝うって・・・・・・。そんなの知らないわ。話は聞いてあげたけど、信じる気になんかならないわよ」

「自由になりたいとは思わないんですの? あなただって街に出たいですわよね?」

 この言葉には心が少しばかり揺れる。出ていいのなら出てみたい、と。

 セレーラの聖女でありながら、その祝福を受ける東部エスタリア地域の暮らしを近くで見たことがないのだ。儀式で外に出れば一部分は見ることはできるが、それはほんのわずかな限られた場所だけだ。

 ちらついた考えをヴェラは払いのける。人々の心の拠り所である神に仕える身なのだから、揺らいではいけない。こういうことがあるたびに決意を新たにしてきたというのに、まだ聖女になりきれない。

「あたしは聖女よ。神とともにあるの」

 ヴェラは自分自身に言い聞かせるように言った。

「そう思い込まされているだけですわ。あたくしは神どころかドラゴンだっていないと思いますの」

「神を見たことがないから言えるんだわ。あたしはセレーラと暮らしてるの。姿を見て、声を聞いて、体の温かさも感じるわ。ちゃんといるのよ」

 人とほんの少し違うところがあるだけで、セレーラは普通の女の子と言ってもいいくらいだ。それは、聖女になる前のヴェラが想像していた神の姿とは差がある。

 たとえ神でないとしても、ヴェラしか頼りにできないのなら放っておけない。


「神が聖女を食べるという話もあるんですの」

 リリアは目に狂気を宿しながら楽しげに笑う。ヴェラはめまいがするほどの嫌悪感を覚えた。

「嘘よ。セレーラはそんなことしないわ」

 ヴェラはリリアをにらみつけた。

「どうして言い切れますの? 一日も欠かさず食事を求めるのに、聖女が代わる時に何も食べなくていいはずありませんわ」

「前の聖女が食べる物を用意するのよ」

 ヴェラが聖域で最初に過ごした冬、家にはたくさんの食材があった。後から聞いた話によると、足腰の弱った先代聖女が降雪に備えていたのだという。保存食としてビスケットか何かが作ってあって、きっとセレーラはそういう物を食べたのだろう。

「聖女の遺体はどこに消えるんですの? 誰も聖女の最期を知らないのに、食べないなんて言えませんわ」

「じゃあ、食べるとも言えないわね。そんなひどいことを考えるなんて、どうかしてるわ。神と英雄がみんなの暮らしを守ってくれてるのよ。そうじゃなきゃ、ドラゴンの邪気で罪人だらけになっちゃうわ」

 ヴェラが言うと、アルテオが薄気味悪い笑みを浮かべた。背筋がぞくっと寒くなる。やはりアルテオはヴェラに恐怖を与える人なのだ。

「知らないんですか? ドラゴンではなく、聖女が〈神の嘆き〉を起こ——」

「口を閉じなさい」

 アルテオが言い終わる前に、セリオスが口を開いた。

「若者の虚言だと思って聞いていましたが、これ以上は看過できません」

 セリオスの圧するような低い声が応接室に響く。

「おや、まさかヴェラさんに話していないんですか?」

「聖女のせいで両親が死んだって、さっさと言えばいいんですわ」

 リリアがアルテオに続いた。その発言にヴェラの心は乱される。

 ドラゴンの邪気のせいで両親は罪人になった。だから命を捧げた。なのに、どうして聖女のせいで死んだことになるのか。

「ねえ、セリオス。これも作り話よね?」

 セリオスは顔を引きつらせた。

 ルシアや聖騎士も一様に心苦しげな表情をしている。どうやら全くの嘘ではないらしい。


「二人とも、もう帰って」

 虚脱感に襲われたヴェラは力なく声を出した。

 ルシアに言われた時に帰せばよかった、と自分自身に嫌気が差す。

「ヴェラさんはこのままでいいんですか? この人たちは重要なことを隠し、聖女を利用し続けているんですよ」

 大声を出したアルテオを聖騎士が取り押さえる。

「どうでもいいわ。どうでもいいのよ」

 くたっとうつむくヴェラの体を、セリオスの腕が包んだ。目を閉じ、耳をふさいで、布越しに伝わる温もりに意識を集中させる。愛する人の甘やかな匂いを吸い込むと、心がほっと安らいだ。

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