第44話 再会

「やあやあ。聖女に会えるとは思いもしなかったな」

 セリオスが大広間に入るのを見届けたヴェラは、背後から声をかけられた。聖騎士たちにぴりっと緊張感が走る。

 振り返って見ると、長身で体格のいい中年男性の姿があった。豪華なガウンを着て、従者と数人の親衛騎士を連れている。ルートルと同格の人物であることは明白だ。

「ルシアよ、久しいな。達者に暮らしているようで何よりだ」

「お久しぶりです。本日はルートルさまの儀式のためにおいでになったのですか?」

「そうだ。ずいぶんと世話になったからな。しかし、腹の調子が悪くて少し遅くなってしまった」

 男性はほのかに照れ笑いを浮かべる。

「そうですか。オスタリアの民のため、どうかご自愛ください」

「つれないな」

 どうやら二人は面識があるようだ。冷ややかに対応するルシアに対して、相手からは好意が感じられる。


「聖女を差し置いてすまないな」

 男性の目がヴェラに向けられる。その目に悲しみの色が混じった気がした。

「ヴェラさま、こちらはオスタリア公ロベルトさまです」

「あの、ヴェラです。昔、あたしもオスタリアに住んでました」

 聞いて覚えた敬語を使って名乗る。

「承知している」とロベルトは眉を寄せた。

 西部オスタリア地域を治める者なのだから、ヴェラが罪人の娘だと知っているのかもしれない。


「実は、ルシアと話せるようにルートルが計らってくれたのだ。当主が代われば引き合わせることはできないから、とな」

 ヴェラが神殿に来ると聞いたルートルは、ロベルトに話を持ちかけた。それで、「腹の調子が悪い」などと言って大広間から出たという。

「話すことなどありますか?」

「あるとも。ずっとルシアに謝りたかった。つらい思いをさせて悪かった」

「何のことだか、わかりませんね」

 凛としていたルシアの声が弱まる。

「そうか。どんなに言葉を並べたとて、許してもらえるとは思っていない」

 ロベルトの声も侘しげに揺らいだ。


「あの子が生きていればこのように育ったであろうか。セレーラの聖女を見ると、そう思うのだ」

 ロベルトが愛おしげにヴェラを見た。さっきの皺めた顔とは違って、温かみのある表情だ。

「あの子?」とヴェラは思わず口に出した。

「リフェ。ルシアと同じ髪色の、大切なわが娘だ」

「そんなの・・・・・・覚えているわけがあるものですか。ほんの少ししか生きられなかったというのに」

「心から愛した女性との子を、どうして忘れることができようか」

 この人がルシアの話してくれた直系の夫か、と思い至る。

 話を聞いた時はルシアばかりが愛していたのだと受け取った。しかし、ロベルトもルシアを愛していたのだ。思いが行き違わなければ、二人は苦楽をともにして添い遂げたかもしれない。


「覚えているのなら、お忘れになってください。もう過ぎ去ったことです。直系の務めについても、わたしをエスタリアに行かせるために動いてくださったことも、ミリアさまから教えていただきました。全て仕方なかったのです」

「それがルシアの望みならば、そうしよう」

「はい。どうか、そのように」

 感情を抑えているのか、ルシアは肩を震わせた。いつもは頼もしいルシアの弱々しい姿を見て、ヴェラは支えになりたいと思った。そっと手を握ると、わずかに握り返される。

「うむ」とロベルトは押し殺した声で答え、表情をきりりと引き締めた。

「さて、そろそろ行くか。ルートルも菓子を食べ終えただろうからな」

「もしかして、儀式が始まる時間を引き延ばしてくださったのですか?」

 ルシアが尋ねると、ロベルトはわずかに笑んだように見えた。

「何を言っているのか、さっぱりわからんな。こちらの願いを聞き入れてもらっただけだ」

 そう言って、オスター家当主たる威厳に満ちた態度で歩き出す。何もなかったように去るロベルトの背中を、ヴェラは感慨深く見送った。




 どうやら親衛騎士の全員を大広間に連れることはできないらしい。儀式で目にする直系の多さを考えればもっともだ。

「ヴェラちゃんっ」

 聞き覚えのある声が廊下に響いた。今はこのようにヴェラを呼ぶ者はいない。

 空気がぴりっと張り詰める。聖騎士だけではなく、神殿騎士も親衛騎士も緊張感を漂わせた。

 その中にたった一人だけ、切なげな顔でヴェラを見つめる騎士がいる。見覚えのある顔にヴェラの胸はどきりとした。

「何者だ」

 聖騎士隊の隊長であるピシスが鋭い語気で尋ねた。いつものゆるりとした雰囲気は全くない。

「失礼いたしました。ノヴァテッレ国王の親衛騎士、マグナス・テ・ヴィードでございます。突然に声をおかけして申し訳ありません」

 マグナスはおずおずと答えた。

「なぜ聖女を呼び止めた?」

「待って。あたしが知ってる騎士さまなの。責めないであげて」

 ヴェラは言葉を遮って、すがるようにピシスの腕をつかんだ。

「マグナスさんは家族みたいな人よ。ずっと親切にしてくれてたの。悪いことなんてしないわ」

 マグナスの目を見て「そうよね?」と声をかけた。

「おれは危害を加えようだなんて思ってないよ。でも、こうやって守るのが聖騎士の務めなんだ。仕方ないさ」

 そんなことはヴェラもわかっている。しかし、マグナスが窮地に立たされるのを黙って見ていられなかった。


 ルシアとピシスがひそひそと言葉を交わし、ヴェラとマグナスは少しだけ話すことが許された。

「久しぶりね。元気だった?」

「元気だったよ。ヴェラちゃん、いや、ヴェラさまもお元気でしたか?」

「マグナスさんに『ヴェラさま』なんて呼ばれたら、なんだかおかしな気分ね。昔と同じように話してほしいわ」

「ヴェラちゃんは変わらないな。いや、変わったか。すごくきれいになった」

「そう? マグナスさんこそ、親衛騎士になるなんてすごいわよ」

 平静を装ったが、好きだった人に「きれい」と言われて心が少し乱れる。

「ヴェラちゃんがくれたスカーフのおかげだよ」

「スカーフ? あっ、武芸大会で優勝して認められたってこと?」

「ああ」

「じゃあ、好きな人に愛の言葉を伝えられたのね。よかったわ」

 思いを寄せる貴婦人と幸せに暮らすマグナスを想像した。もしかすると子どももいるかもしれない。

 満面に笑みを浮かべてうなずくと思ったのに、マグナスは口ごもって答えない。


「どうしたのよ。うーん。少し痩せたみたいだわ。ちゃんと食べてるの? そんなんじゃ、愛する人に見放されちゃうわよ」

 ヴェラは冗談めかして声をかける。弱々しく見えるマグナスを、昔と同じように元気づけたいと思った。

「おれは愛を捧げられなかったんだ」

 マグナスの目に悲しみの色がにじむ。

「どうして?」

「それは・・・・・・おれが愛してるのは、ヴェラちゃんだからだよ」

 ほんの一瞬、驚きのあまりに呼吸するのを忘れた。


「うおお」と、しわがれた唸り声が響く。

 声の方に目を向けると、貫禄のある老いた親衛騎士が泣いていた。

「ヴィードの若き騎士よ、今ここで愛を捧げなされ。わしはノーレリア公に仕えて長いが、聖女と話すことなど一度もなかったぞ。この機を逃すでない。さあ、さあ」

 興奮状態の老騎士が急き立てる。

「そうですね。このように対面することはもうありませんよ」

 ルシアが老騎士に続く。

「ヴェラさまはどうしたいですか?」

 いつもの緩い口調が混じったピシスに答えを求められる。

 たぶん、この場にいる騎士たちはヴェラに愛の言葉を受けてほしいのだろう。そんな期待感が漂っているような気がした。

 ヴェラがうなずくと、マグナスとの間を隔てるものはなくなった。


 ひざまずいたマグナスの真っすぐな眼差しが心を引きつける。

「おれはヴェラちゃんに励まされてたんだ。どんなに疲れてても、ヴェラちゃんの顔を見ると元気になれた。最初はかわいそうな女の子の力になりたいと思った。けど、通ううちに生涯をともにしたい女性になっていった」

 壁の上で聞いたのとは違って、難しい言葉はない。伝わってくるのは、マグナスの本心から出た切実な思いだ。

「おれの愛をヴェラちゃんに捧げます。永遠に愛することをお許しください」

 差し出されたマグナスの手を取ろうとしたが、ヴェラは動きをぴたりと止める。

 聖女が聖騎士以外の手を取るべきではないかもしれない。ここでマグナスの手を取ることは、仕えてくれる皆への背信行為だと思った。

 それに、セリオスと肌を重ねたばかりで、放たれた熱がヴェラの体に残っているのを感じる。

 どうしてマグナスの手を取ることができるだろうか。と、心苦しい思いになる。

「ごめんね」と言うと、マグナスはむなしく笑った。


「セントリアの騎士、マグナス・テ・ヴィード」

 儀式で聞き覚えた言葉を思い出しながら、ヴェラはゆったりと話しかけた。

「あなたの功績をたたえ、セレーラの菓子を授けます」

 今、聖女としてできることはこれだけだ。

 行き場をなくした手にバスケットを差し出すと、マグナスは何も言わずに受け取った。

「マグナスさんと過ごした時間がすごく楽しくて、すごく幸せだったわ。温かい心をかけてくれて、ありがとう」

 ヴェラは涙がこぼれそうになり、ぐっと目を閉じた。

 マグナスとの思い出がまぶたに映る。恋い焦がれてつらいことも多くあった。けれど、胸の高鳴りや触れ合った時の温もり、全てが心地よかったと思う。


「一つ食べてみて」

 ヴェラはバスケットの中から自身が成形した菓子をつまみ、マグナスの口に運んだ。

 マグナスが大きく口を開けて小さな菓子をくわえると、指先に柔らかな唇が当たった。前にもこんなことがあったな、と懐かしさが増す。

「うん。おいしい」

 マグナスは目にいっぱいの涙を浮かべながら、にっこりと笑った。

「あのね、マグナスさんがおいしそうに食べる顔が好きよ。・・・・・・好きだったわ」

 こうやって「好き」と伝えるのは今も昔も変わらない。

「そうか。好き、か」

 マグナスが目を閉じると、涙がつうっと頬を伝った。その涙をヴェラは指で拭い、赤色に染まった熱い頬を慈しむようになでる。

「泣かないでよね。いい男が形無しだわ」

 聖女として振る舞うつもりだったのに、マグナスといると宿の娘に戻った気分になってしまう。

 初めて恋した人の幸せを願いながら、ヴェラはマグナスから離れた。


「さて」と言って、ルシアがぱんっと手を叩いた。

「今、ここで起きたことは全てセレーラさまのお導きによるものです。話を広めると、セレーラさまが悲しまれるかもしれません。皆さま、おわかりいただけますね?」

 すっかり調子を戻したルシアの言葉に、全ての騎士が大きくうなずいた。

 既に泣いていた老騎士だけでなく、他の騎士も目頭を押さえるなどしている。

「さあ、あたしたちの家に帰るわよ」

 ヴェラはルシアと聖騎士に視線を送った。そして、深呼吸し、ゆっくりと一歩踏み出す。


 神殿の外に出ると朝の空気が広がっていた。

 セレーラが起きるかもしれない。すぐにそう思ったのはヴェラが聖女の生活に慣れたことの証なのだろう。


 マグナスとの一件は、もちろんセリオスの耳にも入った。気を悪くするかと思いきや、意外に上機嫌だった。マグナスの手を取らなかったことが、セリオスを喜ばせたようだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る