第38話 豪華なレシピ

 セリオスはヴェラを遠ざけるようになった。抱きついたことで不愉快な思いにさせたのかもしれない。先に距離を置いたのはヴェラなのに、悲しくて胸が締めつけられる。


 抱えている恋心を誰にも打ち明けることができず、ヴェラは思い悩んだ。ルシアも聖騎士たちも話を聞いてくれるだろう。しかし、セリオスの耳にまで入ってしまうかもしれない。セリオスがヴェラの思いを知ったら、今以上に嫌悪するのではないかと思うと怖くなる。


 ヴェラは聖域で過ごす時間を増やした。

「セレーラがなかなか眠ってくれないの」などと嘘をついた。

 ヴェラ以外の者には聖域内のことがわからないのだから、真偽の確かめようがない。手厚く扱ってくれる皆に対して罪悪感を覚えるが、セリオスと顔を合わせるつらさの方が大きかった。


 セレーラの寝息を聞きながら、大切な物をしまっている木箱を開けた。

 両親の服を抱いては、二人の恋の話を聞いておきたかったと思う。王都で着ていた服を抱いては、家族と恋の話をした夜を思い出す。

 それらの下には先代聖女コリネの物と思われる服などが入っている。勝手に触るのがためらわれて、長らくそのままにしていたのだ。

 コリネも思い悩むことがあっただろうか。あったとするなら、どうやって解決していたのだろうか。すがる思いでヴェラはコリネの遺品を手に取った。

 取り出していく中で、一つの包みを開くときらびやかな四角い物が姿を現した。金や宝石で豪華に飾られた二枚の板の間に、一枚のレシピが挟まっている。ずいぶんと手が込んでいて、庭園の執務室にあるレシピとは明らかに違う。

「ベリータルト」とヴェラは声に出して読んだ。

 工程にはセレーラの手を借りることが記されている。これも他のレシピにないことだ。

 文字の他に空きがないほど多くの絵が描いてある。本物を見ているかのような絵には、詠嘆せざるを得ない。材料の絵だけでなく青色の服を着た若い女性の姿も描かれている。たぶん絵の女性はコリネなのだろう。

 もう一人の聖女と実際に対面しているような感覚があり、心強く思えた。


 来る日も来る日も、ヴェラはレシピを眺めた。

「コリネさまも恋をしたの?」と問いかけることもある。

「今日、セリオスが笑ってくれたの」と話しかけることもある。

 そうやって胸中を吐き出した。言葉は返ってこないが、優しく聞いてくれていると感じるのだ。


 ある日、ヴェラは絵の中に文字が隠れていることに気づいた。それは一文字ずつ離して書かれていて、すぐには気づけない。

「る? ・・・・・・あ?」と目を凝らして文字を探す。

 見つけた文字が繋がって言葉になった時、ヴェラは心が震えた。

「あ、い、し、て、る」

 レシピはルートルがコリネの補佐神官をしていた時にしか書かれていない。だから、ルートルがコリネに向けてこの言葉を書いたのだと推測できる。

 豪華なレシピにはルートルの特別な思いが詰まっていると感じ、ヴェラの胸に熱いものが込み上げた。


 ヴェラはルートルと話したかったが、すぐに会うことはできなかった。

 新年祭と同時期に、王公五家の当主が王都に集まって会議を行う。そのため、ルートルも王都に向けて出発したというわけだ。




 厳しい寒さが和らいできた頃、ようやくルートルとの面会がかなった。

 ルートルは回廊のベンチで話すことを望んだ。それは人払いしたかったヴェラにとって好都合だった。応接室では訪問者と二人きりになることはできないのだ。

 面会時の決まりがあると言い、セリオスは断固として認めようとしなかった。どうしても会話を聞かれたくないヴェラはあらがった。特にセリオスには聞かれたくない。回廊ならば離れた所でも様子が目視できる、と聖騎士が加勢したことでセリオスも折れるに至った。


 しかし、まだ屋外は寒い。しっかりと防寒具に身を固め、ヴェラとルートルは隣り合ってベンチに座った。中庭を挟んだ回廊の反対側でセリオスが見守り、ルシアと聖騎士はほどよい間隔を空けて点在している。

「このベンチにはコリネさまがよく座っていました」

 ルートルは懐かしむように目を細める。

「さて、ヴェラさまのお話というのは何ですかな」

「えっと、ルートルさまに見てほしい物があるの」

 ヴェラは布の袋からレシピを取り出す。袋には他のコリネの遺品も入れてきた。

「ああ、なんと懐かしい・・・・・・」とルートルが声を震わせた。

 ヴェラはレシピを開いて見せる。

「この女の人はコリネさまよね?」

「そうです」

 次にヴェラは絵の中にある文字を指でなぞった。

「お気づきになりましたか。わたしはレシピにコリネさまへの思いを隠したのです」

「コリネさまはルートルさまの思いを知っていたの?」

「わかりませんな。直接に伝えたことはありませんし、コリネさまからも聞いたことがありません」

 ルートルの悲しげな笑みを見て、ヴェラは胸が苦しくなる。この『あいしてる』が通じ合うことはなかったのだろう。


「コリネさまはルートルさまを愛していたと思う?」

「愛はあったでしょうな。ただし、わたしが求めた男女の愛ではなく、家族や友人に向けるような愛だったと思います」

「もし同じ思いだとして、聖女と神官の恋は許されるの?」

「はい。誰もとがめません。思う存分に恋をしていいのです。聖女の多くは若い娘ですから、ともに暮らす神官や騎士に恋をすることもあります。庭園にいる者は皆わかっています」

 聖女も恋をしていいのだと聞いて、ヴェラの心がわずかに弾んだ。しかし、セリオスとのぎくしゃくした雰囲気を思い出して、すぐに気持ちがしぼむ。

「どんなに好きでも、セリオスはあたしを好きになってくれないと思うわ」

「ほう。ヴェラさまはセリオスに恋しているのですな」

 ヴェラの頬が熱くなる。つい口が滑ってセリオスへの思いをもらしてしまった。

「あの、ええと・・・・・・」とヴェラは口ごもる。離れてこちらを見ているセリオスに視線をやって、すぐに手元へと戻した。

「セリオスに気持ちを伝えないのですかな?」

「怖くてできないわ。きっとセリオスはあたしが好きじゃないもの」

「ヴェラさまの恐れは理解できます。わたしも同じでしたからな。狂おしいほど愛しているのに、拒まれるのが怖くて思いを口にできませんでした」

 ずっと年の離れたルートルが、ヴェラには同士のように思えた。


「ルートルさまが嫌じゃなかったら、コリネさまとの話を聞かせてほしいわ」

 ヴェラはルートルが胸を焦がした恋の話を聞きたいと思った。

「いいですよ。ただし、わたしとヴェラさまだけの秘密にしてもらえますかな?」

「約束するわ。そうね、あたしがセリオスを好きなのも秘密にしてもらえる?」

「はい。二人だけの秘め事です」

 ルートルがちゃめっ気のある笑みを見せたので、ヴェラもつられて笑った。

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