第37話 聖騎士の交代

 ヴェラは聖域と庭園の行き来をしながら平穏な日々を送っていた。季節が移り変わる中で、聖女になってから二回目の春祭の儀式も滞りなく済ませた。聖女の生活にもずいぶん慣れてきたと思う。


 夏が終わろうとする頃、ヴェラは儀式用の服を着て応接室に立っていた。最年長の聖騎士であるトーロスが引退し、新しい騎士を迎え入れる儀式を行うためだ。

 エスタリア公ルートルをはじめとして、高位の神官や騎士たちも臨席している。


 体調が思わしくないトーロスは〈聖女の庭園〉を出て療養院で暮らすという。

「まだ元気そうに見えるわ」

 ヴェラが言うと、トーロスは首を横に振った。

「別れの時は遅かれ早かれ訪れるのですぞ。どうか笑顔で送り出してくだされ」と、にっと笑って見せた。

 聖騎士は十二人しかいない。一人でも欠けることがないよう、時機を見て新しい騎士との入れ替えが行われるのだ。


 儀式が始まり、ヴェラの前でトーロスがひざまずく。

「トーロス・オ・エスター、これまでよく尽くしてくれました。感謝します」

 ヴェラは覚えたとおりに言葉を唱えた。

 トーロスは清々しい笑顔でヴェラを見上げ、青色のマントと聖騎士の武器を差し出した。豪奢な杖のように見える聖騎士の武器はずしりと重い。

 去っていくトーロスの背中を見つめながら、ヴェラは心の中で「ありがとう」と何度もつぶやいた。本当は声に出したかったが、トーロスの最後を飾る儀式で勝手な振る舞いはできない。


 トーロスと入れ違いで、若い騎士が応接室に入る。ヴェラの前に進み、ひざまずく。

「われ、トゥール・ジ・エスター。この身を捧げ、尽くすことをお誓いします」

 そう言ってヴェラを見上げ、合わせた両手を差し出した。

「その言葉をたがえることなく励みなさい」

 ヴェラはトゥールの手を両手で包み、指にそっと口づけをする。

 そして、新しい青色のマントとトーロスから受け取った武器をトゥールに手渡した。


 儀式が終わり、来訪者が帰るとヴェラは両手を広げて体を伸ばした。

「ちゃんとできてたわよね?」

「はい。トーロスも褒めてくれますよ」

 ルシアが柔らかく笑って答えた。

「『ご立派でしたぞ』って言ってもらいたいわ」とヴェラはトーロスの口まねをした。皆の笑い声を聞いて、心が温かくなるのを感じた。

 新しい聖騎士はといえば、どことなく居心地悪そうに立っている。ヴェラはトゥールにそろりと近づいた。

「これからよろしくね」

 ヴェラは改めて挨拶をしたが、トゥールは目を丸くして微動だにしない。

「驚いてるんっすよ。庭園がこんなに気安い雰囲気なんて、外からじゃわからないっすからね」

「リコルが思うに、ヴェラさまがかわいすぎて照れてるんですよ」

 陽気な者が面白げに笑いながら言葉を投げる。

「からかうようなことはしないで。ほら、まずは食事よ。今日は歓迎の気持ちを込めた料理を用意したの」

 親しみを込めた笑顔を向けると、トゥールの口元が少し緩んで見えた。新しい聖騎士との第一歩がうまく踏み出せたと感じ、ヴェラは心を弾ませた。




 ヴェラはトゥールが早くなじむようにと積極的に声をかけた。しかし、それがセリオスの気に障ったらしい。

「ヴェラさまはトゥールに構いすぎです。トゥールのことはわたくしたちに任せてください」

 セリオスが不機嫌そうに言った。

「庭園の生活に慣れてもらいたいのよ。あたしが来たばかりの頃、みんなにすごく助けてもらったわ。だから、あたしもトゥールの助けになりたいの」

 ヴェラが言うと、セリオスは大きく息を吐いた。

「わかりました。どうぞヴェラさまのお好きなようにしてください」

 突き放すような言い方をされて、ヴェラは少し腹が立った。

 それからヴェラは意地になってセリオスと距離を置いた。


 しばらくして、ヴェラはジェリに声をかけられた。

「もしセレーラさまより早く起きることがあったら、こっそり庭園に来てほしいですわ」と。

「何かあるの?」

「セリオスがちょっと・・・・・・とにかく来てもらえればわかりますわ」

 そんなの知らないと思っても、気になって早めに起きてしまう。セリオスがどうしたのだろう。胸がざわついた。

 冬が近づいて日が短くなると、セレーラが目を覚ますのも遅くなる。セレーラが眠っているのを確認して、ヴェラは静かに家を出た。


 聖域を出ると複数の人の声が聞こえた。中庭を見ると、セリオスとトゥールが組み合っている。早朝に聖騎士が訓練をするのは聞いていたが、セリオスも加わっているとは思わなかった。

 余裕がありそうなトゥールに対し、セリオスには焦燥感がうかがえる。腹部にトゥールから一撃を受けたセリオスは体勢を崩して地面に膝を突く。

「やだっ」とヴェラは勢いよくセリオスに走り寄った。

「どうして、このような時間にヴェラさまが?」

 セリオスは苦しげに声を出した。

「ねえ、けがしてない?」

 ヴェラはセリオスの体にそっと触れた。頬に、肩に、腕に・・・・・・。セリオスの無事を確かめたい一心だった。

「このくらい平気です」

 努めていつもの口調に戻したように聞こえた。ヴェラの目からほろりと涙がこぼれる。

「平気じゃ、ないわよ」

 ヴェラが言うとすぐに『ヴェラ、どこー?』と頭の中でセレーラの声が響いた。目を覚ました時にそばにいなければ、セレーラはこうやってヴェラを呼ぶのだ。

「セレーラが呼んでるわ。でも、セリオスが・・・・・・」

「わたくしは何ともありませんから、早く行ってください」とセリオスが微笑んだ。いつも笑顔をあまり見せないくせに、こんな時に笑うなんてずるい。

「セリオス、庭園に戻ったら話をするわよ」

 ヴェラは強く言い付け、聖域に戻った。


 聖域にいる間もヴェラの頭の中はセリオスのことでいっぱいだった。

 けがをしたらトーロスのように庭園を出ていってしまうかもしれない。セリオスがいなくなるのを想像すると、息もできないほどの不安に襲われた。

 知らず知らずのうちに、セリオスへの特別な思いが募っていた。それはたぶんマグナスに寄せていたものと同じだ。

 最初は髪や瞳の色がマグナスに似ていると思った。しかし今は似ている色ではなく、セリオスの色なのだ。

 時折見せる笑顔も、さりげない優しさも、ヴェラの心をつかんで離さない。


 ヴェラは〈聖女の庭園〉に戻るとすぐに執務室に入った。セリオスと二人きりの室内にぴりぴりとした緊張感が漂う。

「本当にけがしてない?」

 座るよりも先にヴェラは尋ねた。

「はい。あれくらいのことはよくあります」

 平然として答えるセリオスに小腹が立った。ヴェラは心を痛めるほど心配しているというのに。

「どうしてセリオスが訓練するの?」

「わたくしもヴェラさまをお守りする力を身に付けたいからです」

「騎士さまたちがいれば必要ないわよね?」

 聖女に危害を加える者がいるとは思えないが、いたとしてもそれはできないに等しい。まず赤色の警備隊、次に白色の神殿騎士隊、そして青色の聖騎士隊を突破しなければ聖女まで手は届かない。これは儀式の時もそうだし、庭園の警護もそのようになっている。

「騎士さまを信頼してないの?」

「いいえ。騎士は必ずヴェラさまをお守りします。ただ、いつ何があるかわかりません。もしもの時に何もできないのは嫌なのです」

「でも、何かあっても聖女は傷つかないわよ?」

 ヴェラが言うと、セリオスは切なげに顔を歪めた。 

「傷つかなくても痛みは感じます。ヴェラさまが苦しむ姿を黙って見ていることなどできません」

「苦しませたくないなら、危ないことはしないで。セリオスがいなくなったら、あたしの心はもっと痛いわ。あたし、セリオスがいてくれなきゃ困るの」

 ヴェラはセリオスに抱きついた。たまらなく心細くて、温もりを感じたかった。できればセリオスの腕もヴェラを包んでくれたらいいと思う。

「あの、ヴェラさま?」

 セリオスは声を裏返らせ、身じろいだ。

「あたしを支えてくれるって、心から尽くしてくれるって言ったわよね? だから、ずっとあたしのそばにいなきゃいけないのよ」

 セリオスが呼吸を乱し、何度か深呼吸をするのが聞こえた。

「わかりました。一日でも長くヴェラさまの神官でいられるよう努めます。安心してください」

 熱のこもったヴェラの言葉に対し、セリオスはいつもの素っ気ない口調で返した。

 セリオスにとってヴェラは聖女でしかないのだと思い知った。背中に回した腕にぎゅうっと力を入れても、セリオスは抱き返してくれない。近くにいるのに、ずっとずっと遠くにいるようだった。

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