第31話 セリオスとの和解
春祭の初日、ヴェラは観衆の前で聖炎の
セレーラの家の炉にある緑色の火が聖炎だ。日頃から鍋をかけている火が聖炎だと聞いた時には驚いた。
儀式当日の朝、ヴェラはいつもどおりにセレーラと過ごした。セレーラが眠るのを待って聖域を出るため、儀式開始の時間は決まっていない。ヴェラの準備が整い次第始められる。
その点、王都の儀式は決まった時間に始まるので、ヘラルマという神は規則的に暮らしているのだろう。
聖炎の儀式は滞りなく進んだ。心強かったのはセリオスの存在だ。
セリオスから受けた助言どおりに聖域内で練習をした。満月の前夜は太陽が沈んでも明るい。眠くて頭がくらくらするまで、家の周りを歩き回り、少しの段差を繰り返し踏んだ。
神殿から広場への階段を歩く時、セリオスはヴェラに「とん。とん。とん・・・・・・」とそっと歩調を教えてくれた。いつもとは違った柔らかな声だった。
ただ儀式を成功させるための行為だとしても、ヴェラの心が温かくなったのは確かだ。
広場に響く人々の歓呼と詠嘆の声が耳に届いた。儀式を一目見ようと抱き上げられる子どもの姿が目に映った。ヴェラが王都で儀式を見た時のように、きっと心を震わせたことだろう。
神が授ける聖炎は希望だ。身に災難が降りかかっても、聖炎を見れば神の存在を近くに感じられる。そして、救いを得るのだ。
ヴェラは自身が聖女だという現実味が薄かった。しかし、人々の信仰心を目の当たりにすると、それに応えなければならないと強く感じた。
儀式を終えて〈聖女の庭園〉に戻ったヴェラは、セリオスと話すことにした。
セリオスはヴェラが着替えている間に、執務室に入ったらしい。
「わたしも一緒に行きましょうか?」
二人きりで話そうとするのをルシアは心配した。
「一人で平気よ。セリオスとちゃんと話さなきゃ。ずっと避けてばかりはいられないもの」
ルシアに付き添ってもらいたいのが本音だ。しかし、守られたままでは隔たりを縮めることができないと思った。セリオスもこれから一緒に暮らしていく人なのだから、少しは打ち解けたい。
執務室の扉を軽く叩くと「はい」とセリオスの声が返ってきた。
「入ってもいい?」
ヴェラが尋ねると、扉の向こうから物音が聞こえ、そっと扉が開いた。
「ヴェラさま、どうしたのですか?」
愛想のない態度でセリオスが顔を出した。儀式中に見せた優しさは、あくまでも神官としての務めに過ぎないようだ。
「えっと、セリオスと話がしたいの」
「わたくしと話を?」
「そうよ。だから入ってもいい?」
セリオスは一呼吸おいてヴェラを室内に迎え入れた。
執務室は補佐神官が仕事をする部屋で、たまに聖騎士も使うことがある。いくつかの机と椅子が置いてある他に、どうやって使うのだろうと興味を引く物が見え、ヴェラは視線をさまよわせた。
セリオスはヴェラを椅子に座らせて、自身はひざまずいた。とても居心地が悪いと感じたヴェラは一脚の椅子を寄せ、爪先が触れるほどの近さでセリオスと向かい合って座った。
「それで、話というのは何ですか?」
つんと取り澄ましたセリオスは、ヴェラと視線を合わせない。ヴェラの方を向いているのだが、少し横か後ろを見ているようだ。
「あのね、今日の儀式がうまくできたのはセリオスのおかげよ。すごく頼もしかったわ。ありがとう」
そう言って、ヴェラは両手でセリオスの手を取った。目を丸くするセリオスにヴェラは笑みを向け、握った手を軽く上下に揺らした。
「わたくしは当然のことをしただけです」
セリオスはよそよそしい態度を崩さない。
「あたしのことが気に入らないのよね。でも、あたしはもう少し親しくしたいと思うわ」
「気に入らないだなんてことはありません。どうしてそう思うのですか? ヴェラさまがわたくしを嫌いなのでしょう?」
「嫌いじゃないわよ。ちょっと苦手な人かもって思ったけど、悪い人じゃないもの」
丸くしたセリオスの目がさらに見開かれる。その表情の変化をヴェラは嬉しく思った。
「わたくしはヴェラさまに不快な思いをさせました。気が急いてしまい、お心に寄り添うことができませんでした」
「ううん。セリオスは儀式を成功させようとしただけだわ。間違ったことをしたわけじゃないのよ」
ヴェラがそう言うと、セリオスは上を向いた。たくましく美しい首がヴェラの目を奪う。ごくりという音をたてて喉の突起が動いた。
再びヴェラに向けられたセリオスの目は少し潤んでいた。
「わたくしはコリネさまと約束したのです。新しい聖女をしっかりお支えする、と」
「コリネさま?」
「先代の聖女の名です。コリネさまには聖女を迎える心構えをお聞きしました」
言いながら、セリオスは柔らかな笑みを浮かべた。
「セリオスはコリネさまがすごく好きだったのね」
「はい。敬愛していました」
ヴェラは「敬愛」がどういうものか知らないが、それはとても幸せなものなのだろうと感じた。胸がちくりと痛んだ。
「ごめんね」
「どうして謝るのですか?」
「あたしはコリネさまみたいに立派な聖女じゃないから」
「そんなことはありません。今日の儀式は立派に果たされました」
「でも、昨日の儀式でつまずいたのは、がっかりしたのよね?」
「いいえ。あれはわたくしの力不足のせいです」
セリオスは悔やむように顔を歪めた。ヴェラがそういう顔をさせたのだと思った。
「ねえ、セリオス。あたし、ちゃんと聖女になるわ。だから力を貸して」
握ったままのセリオスの手を、ヴェラはさらに軽く握った。
「はい。ヴェラさまのために心から尽くします」
曇りなき青色の目がヴェラを真っすぐに見る。なぜだかヴェラは頬が熱くなった。
「えっと、セリオスは気負いすぎだと思うわ。あたしが努力して、その負担を減らさないといけないわね」
「ヴェラさまがわたくしを気遣う必要はありません」
「あたしが聖女なんだから、一緒に背負わせてほしいわ。それに、あたしたちはここで暮らしていく家族みたいな関係なのよね? それなら、なおのこと分け合いたいわ」
セリオスがわずかに手を握り返した。ヴェラは嬉しく思って、セリオスの大きな手をなでた。
緊張のせいか、互いの手は湿り気を帯びている。まるで手汗を絡ませているようだと思うと、ヴェラは急に恥ずかしくなった。
ちらりとセリオスの表情をうかがうと、嫌がる様子はなく、むしろ心地よさそうだ。
少し心を許してくれたのかもしれないとヴェラは感じた。
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