第28話 聖女に仕える者

 食堂を出ると、セリオスがカンセルとヴィルゴに向かい合って立っていた。はたから見れば平民が神官を阻んでいるようだ。セリオスが納得がいかなさそうな顔でにらむのも当然のことに思える。

「セリオス、職人たちは?」

 ルシアが落ち着いた声で話しかけた。

「聖女の部屋にいます」と不機嫌そうな声が返ってくる。

「わかりました。ヴェラさま、行きましょう」

 ルシアはヴェラの背中に手を添え、廊下を進んだ。


「このまま一緒に来るのですか?」

 後をついてくるセリオスにルシアが尋ねた。

「わたくしは食堂に近づくなと言われただけですので。同行してはいけませんか?」

「そうですね。いけませんね。ヴェラさまが採寸するところを見ているつもりですか?」

 からかうようにルシアが言うと、セリオスの堅苦しい表情が崩れた。

「いっ、いいえ。わたくしは執務室で待ちます」

「では、その間に平服に着替えなさい。ずっと式服のままではいられないでしょう?」

 ルシアはくすりと笑って言う。

 話し振りから推測すると、ルシアは神官と同等の身分なのかもしれない。しかし、着ている質素な服を見ればそうとも言い切れない。わからないことがどんどん積み重なっていく。


 部屋の中では十人ほどの職人が待機していた。服職人に帽子職人、靴職人、金細工職人・・・・・・。ヴェラの体に合わせて多くの服や装飾品が作られるのだという。

 これまでにヴェラが出会った職人のほとんどは男性だった。にもかかわらず、女性の職人ばかりが集まっているのだから、驚かずにはいられない。

 職人らは急いでいるらしく、次々に仕事をこなしていく。目まぐるしい動きの中で、ヴェラは黙って指示に従うしかなかった。




 採寸が終わると、ヴェラはルシアに浴室へ案内された。

「わたしはセリオスと話さなければなりません。入浴はリコルとエリスに任せたいのですが、いいですか?」

 ルシアが申し訳なさそうにしてヴェラに尋ねた。

「はい」と答えると、ルシアは二人に指示を出して浴室を後にした。


 木製の浴槽にたっぷりと湯が入っているのが見える。それをヴェラが使うのは過分なことだと思った。

 たくさんの湯を沸かすのは簡単ではなく、裕福な人でなければめったに入浴などできない。一般の人は公衆浴場を使うが、それもたまに行く程度だ。ヴェラもあまり行ったことがない。


 リコルとエリスがヴェラに近づき、服を脱ぐのを手伝おうとした。

「自分でできる、です」とヴェラは一歩下がる。

「いいえ、手伝います。ヴェラさまと会うのを楽しみにしてたんです。だから、ヴェラさまの最初の入浴を手伝えるのは嬉しいことなんです」

 目を潤ませたリコルに見つめられて、ヴェラは拒否できなくなった。なんだか小さな動物の子と相対しているような気分だ。

「じゃあ、お願いする、です」

「敬語なんて使わなくていいんです。力を抜いてくつろいでほしいです」

「う、うん。じゃあ、二人も敬語を使わないで話して」

「できません」

 エリスが小さな声で言った。

「リコルたちはヴェラさまに仕える身だから、敬語を使うべきなんです」

 そう言ったリコルは誇らしげな表情をしている。


 リコルとエリスの手を借りて、ヴェラは湯に漬かった。ちょうどいい温かさの湯が身も心もほぐしていくようだ。

「ルシアと似た髪色ですね」

「髪のくせ、かわいいです」

 二人は楽しげにヴェラの髪を洗っている。

 活発なリコルと物静かなエリス。性格は違うが、ヴェラに向ける好意は同じだ。二人の年頃がヴェラと近いためか、親しみやすいと感じた。


「ねえ、あたしが聖女だなんて、きっと何かの間違いよね?」

「間違いじゃないです。ヴェラさまは聖女です」

 リコルが強めの口調で言ったので、ヴェラは気おされてしまった。

「あ、えっと、二人は聖女に仕えていて、ルシアさんや男の人たちもそうなの?」

「ルシアとセリオスは補佐神官で、あとは聖騎士です。リコルたちも、さっき会ったカンセルとヴィルゴも聖騎士なんですよ」

「騎士さま?」

「はい。リコルの騎士姿もヴェラさまに早く見てもらいたいです」

 喜々として話すリコルの言葉に耳を疑った。騎士に入浴を手伝ってもらっているだなんて。ヴェラは体が縮こまる思いになった。


 エリスが鏡をヴェラに手渡した。手のひら大の鏡は、別の場所に繋がっているのではないかと思うほど、鮮明に姿を映している。

「聖女の瞳、銀色です」

 ヴェラは鏡に映った自身の目を見た。父と同じ薄い緑色ではなく、銀色の瞳がこちらを見ている。手から鏡が落ちて湯に沈む。

「う、嘘よ。だって、色が変わるだなんて」

 ヴェラは慌てて浴槽から出て、脱いだ服の上に置いた首飾りを手に取る。

 父の瞳に似た色の小さな石を紐で編みくるんだ首飾りだ。母がずっと身に着けていたのだが、両親と過ごす最後の夜にヴェラの首にかけられた。それから肌身離さず大切にしてきた。

「ねえ、あたしの目はこの石みたいな色よね?」

 リコルとエリスは困ったように顔を見合わせた。その様子を見てヴェラはうなだれる。

 浴槽に沈んだ鏡を拾い上げて瞳の色を確認すると、やはり銀色だ。見覚えがあると感じるのはセレーラの瞳と同じ色だからだ。

 ヴェラがどんなに否定しようとしても、聖女であることを証明する何かがまた示されるのだろう。




 ヴェラにもリコルたちが着ているのと同じ質素な服が用意された。

 着替えて浴室を出ると、廊下でルシアを含めた八人がヴェラを待っていた。セリオスにカンセル、ヴィルゴ。他はまだ会ったことがない人だ。

 ルシアとセリオスがヴェラの前に歩み寄る。

「ヴェラさま、疲れは取れましたか?」

 ルシアの問いかけに「はい」とヴェラは返事をした。

「あ、あの、ルシアさんは神官さまなの、ですか?」

「そうです。わたしったら自己紹介をしていませんでしたね」

 ルシアが照れ笑いを浮かべた。すると、すぐにセリオスが咳払いをした。

「わたくしはセリオス・エスターです。ルシアとともにヴェラさまの補佐神官を務めます。後ろにいるのは聖騎士です。わたくしたちにヴェラさまが敬語を使う必要はありませんし、名も呼び捨てにしてください」

「でも・・・・・・」

「それに、どこで覚えたのか知りませんが、下手な敬語なら使わない方がいいです」

 冷たく放たれたセリオスの言葉に、ヴェラは悲しくなった。下手だと言われたからというより、マグナスとの思い出を否定されたように思ったからだ。

「聖女の自覚を早く持ってください。もうすぐ春祭を迎えます。ヴェラさまは堂々とした態度で民衆の前に立たなければなりません。ですから、急いで多くのことを準備する必要があるのです。わかりますか?」

 一息にまくし立てられてヴェラは萎縮した。

「セリオス、やめなさい。ヴェラさまの気持ちを考えられないのですか? 普通の女の子が知らない場所で急に聖女だと言われたのですよ。動転するのはおかしいことではないでしょう?」

 ルシアが語気を強めてセリオスに意見した。

「ですが、余裕がないのも事実です」

 さらにセリオスが言い返す。


「もうやめて」

 ヴェラはぽつりと言って、中庭を囲む廊下を走り出した。入ってきた門はそう遠くない所に見える。背後から名を呼ぶ声が聞こえたが、振り返ることなく力いっぱい走った。この場所から早く逃げたいと思った。

 門扉を開けて勢いよく森に足を踏み入れると、森ではない所に出た。セレーラのいる家を見て安堵し、ヴェラはぽろぽろと涙を流した。

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