神殿

第27話 セレーラの聖女

「先ほども言いましたが、ヴェラさまはセレーラさまに仕える聖女なのです」

 神官の格好をした男性は不機嫌そうなままだ。ただ不機嫌なのではなく、焦燥感を漂わせているようにも見える。

 状況がのみ込めないでいたヴェラだが、はっと気づいてひざまずく。石の廊下に慌てて両膝をついたものだから、膝頭に鋭い痛みが走った。かすかにうめき声がもれる。

 目の前にいる神官は青色の服を着ている。青色を着られるのは聖女に仕える者だけだ。普通、そのような畏敬すべき人物と平民が言葉を交わす機会などありはしない。

 失礼な態度をとったのではないか。罪に問われるのではないか。ヴェラはそう思い、許しを求めようと祈りの姿勢をとった。胸の前で組んだ両手には痛いほど力が入る。

「あっ、あの、神官さま。ごめんなさい」

 恐怖でヴェラの声は震えた。

「何を謝っているのですか?」

 神官の声からいら立ちが伝わってくるようだ。

「青色は聖女さまの色、です。ここはあたしが近づいたらいけない場所、です。だから、神官さまが怒ってる、です」

 ヴェラは思ったことをまとまりなく話した。それでも、マグナスから教えてもらった敬語を使うことを忘れなかった。正しいかどうかではなく、使うべきだと無意識に判断したのだろう。

 

「セリオス、落ち着きなさい」と中年の女性が強い口調で言った。セリオスというのが神官の名らしい。

「わたくしは落ち着いていますよ。ルシアこそ状況がわかっていないのでは?」

「では、セリオスは職人たちを呼んできなさい。儀式用の衣を用意しなければいけませんから。ヴェラさまへの説明はわたしがしておきます」

 ルシアと呼ばれた女性は、慰めるようにヴェラの背中に触れた。

「わかりました。ここはルシアに任せます」

 セリオスはため息交じりに言い、不機嫌そうなままで去っていった。




 ルシアはヴェラを食堂に案内した。食堂には、門で会った男女のほかにもう二人の男女の姿がある。皆一様にヴェラの顔を見て嬉しそうな笑みを浮かべた。

 大きなテーブルを囲む椅子の一つにヴェラが座ると、すぐにパンとポタージュが運ばれてきた。ふわりと湯気が立ち、おいしそうな匂いが漂う。ヴェラはごくりと唾を飲み込んだ。

 セレーラの家にはパンを焼く竈も麦粉もなかった。蓄えの量を考えると薄味の料理しか作れなかった。だから、久しぶりのパンと濃いハーブの匂いに食欲がかき立てられる。

「どうぞ」とルシアに勧められ、すぐにでも食べたいと思った。しかし、ヴェラは食べることができない。

「あの、あたしは銀貨もその代わりになる物も持ってない、です」

「必要ありませんよ。遠慮なく食べてください」

 ルシアとその後ろに立つ四人の顔をうかがう。ヴェラに向けられているのは期待にあふれた表情だ。

 不安を残しつつも、ヴェラはそっとパンを手に取った。柔らかな白パンは少しの力で簡単にちぎれる。息を吸い込めば香ばしさと甘さが一気に体内へ流入する。口に入れるとミルクや蜂蜜をたっぷりと使ったであろうぜいたくな味が広がった。


 外から時を知らせる鐘の音が聞こえた。すると、ヴェラの目からぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。

「どうしましたか? おいしくないですか?」

 ルシアが心配そうにヴェラに尋ねる。

「おいしい。すごく、おいしい」とヴェラは泣きながらパンを頬張った。

 ずっと聞こえてこなかった鐘の音に、ヴェラの心は震えた。胸の奥に押し込めた心細さから解き放たれたようだった。

 セレーラと二人で生き抜くために、自分がしっかりしなければならない。そう思ってずっと気を張っていた。鐘の音を聞くことで集団の中に戻れたのだと感じた。

 ルシアが隣に座り、ヴェラの背中をゆっくりとさすった。もう孤独ではないのだと思うと、さらに涙があふれた。


 ポタージュもぜいたくなもので、硬くない肉が入っていた。

「あの、残りを持ち帰ってもいい、ですか?」

 セレーラにも食べさせてあげたくて、ヴェラはパンとポタージュを半分残した。

「いいですよ」

「森の中の家で女の子が待って、ます。セレーラという子を知って、ますか?」

「はい。知っていますよ」

 その答えはヴェラの意表を突いた。こんなにも近くにいるのに家を訪問する人が誰もいないだなんて。とても信じ難いことだった。

「どうして誰も来ない、ですか? 音が聞こえないのはどうして、ですか?」

「ヴェラさま、敬語を使う必要はありませんよ。楽に話してください」

「えっと、じゃあ『ヴェラさま』と言うのをやめてほしい、です」

「それはできませんね」

 ずっとにこやかだったルシアが困ったような顔をした。

「そろそろ説明してもいいでしょうか?」

 ルシアの問いかけにヴェラはうなずいて答えた。

「カンセルとヴィルゴは食堂にセリオスを近づけないで。エリスとリコルは入浴の準備を」

 ルシアはてきぱきと指示を出していく。その様子は宿を切り回す叔母を思い出させた。




 食堂にはヴェラとルシアだけが残った。

「これからする話をすぐには信じられないと思います。ですが、受け入れてもらうしかないのです」

 穏やかな声と表情でルシアは言ったが、その奥に張り詰めたようなものを感じる。

「ここは〈聖女の庭園〉と呼ばれる建物です。セレーラ神殿の奥にある聖女のための施設です」

「聖女・・・・・・」とヴェラは思わず口に出した。

「その聖女がヴェラさまなのです」

「あたしが? 聖女?」

「そうです。先代の聖女が亡くなって、セレーラさまが新しい聖女としてヴェラさまを選んだのです」

「セレーラ・・・・・・って、あの銀色の髪の女の子?」

 ヴェラの脳裏にセレーラの姿が浮かぶ。神だから人と少し違う姿なのかもしれない。しかし、ヴェラの想像していた気高い神とは程遠い。

「はい。既にヴェラさまは聖女の役目を務めているのですよ」

「えっと、あたしは何もしてない、です」

「セレーラさまの食事を用意して、ともに食べること。それが聖女の仕事です」

 ルシアが嘘をついているとは思えないが、食事が聖女の仕事だと言われてもぴんとこない。聖女は神殿で祈りを捧げているのだと思っていた。

「きっと間違い、です。あたしは聖女にふさわしくない、です」

「いいえ。ヴェラさまはセレーラさまが選んだ聖女なのです」

「でも、あたしが聖女に選ばれるわけがない、です」

 本当にセレーラが神だとしても、罪人の娘であるヴェラを聖女に選ぶなんてありえないと思った。

「ヴェラさまが聖女だというのは確かなことなのです。現に冬の間、セレーラさまの住む聖域で暮らされていたのですから」

「聖域?」

「大きな石が囲む空間に家と泉があったはずです。その場所には聖女しか入ることができません」

「あっ」とヴェラは小さく声をもらした。

「ヴェラさまはその場所を知っていますね? 聖域内の情報は限られた者だけで共有しています。ヴェラさまが聖女でなければ、どうやって知ったというのでしょうか」

 ルシアの話には説得力があって、自身が本当に聖女なのかもしれないという考えがヴェラの中で徐々に増していく。


「少しは信じてもらえましたか?」

 ルシアの問いかけに、ヴェラはぎこちなく首を縦に振って答えた。

「では、職人の待つ部屋に行きましょうか。セリオスが騒いでいるようなので。慌ただしくてごめんなさいね」

 話を聞くのに集中していて気づかなかったが、食堂の扉の向こうからざわめきが聞こえてくる。

「ヴェラさまの心の準備がまだでしたら、もう少しここで休んでいましょう」

 ルシアの柔らかな笑みはヴェラの心を和ませた。

「もう平気、です」

 そう言って、ヴェラはすくっと立ち上がる。

 わからないことだらけで、押しつぶされそうなくらい不安でいっぱいだ。それでも、このままうじうじしているわけにはいかない。セレーラが神であってもなくても、目が覚めた時にそばにいてあげたいと思った。

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