第19話 決勝当日

 新年祭の最終日、ヴェラは叔父オーバルと神殿前広場を訪れた。武芸大会の決勝に進んだマグナスの試合を見るためだ。

 二人はぴりっとした緊張感を身にまとい、会話をすることもなく歩いてきた。

 広場に向かう他の人々は楽しげで、飛び跳ねるほどに胸を躍らせているようだった。


 朝の光を浴びる広場では、大きな篝火かがりびが明々と燃え盛っている。新年祭の初日に聖女が焚いたものだ。神から授かった聖炎の前で騎士が鍛錬の成果を競う。


 急いで支度をして出たかいあって、ヴェラがいるのは観覧場所の前の方だ。少し爪先立ちをするだけで、容易に広場の様子が見える。

 オーバルは熱狂する観衆に押されないよう、ヴェラの後ろでどっしりと立っている。


 ヴェラが十一歳の時、この広場で初めて聖女の姿を見て胸を熱くした。十七歳になった今では背が伸び、あの時のようにオーバルに抱き上げられる必要はない。


 ヴェラは貴人のために建てられた観覧席を見上げた。観覧席の下の一部分が平民に解放されている。

 篝火かがりびを焚く儀式の後、集まったブラシェルトの職人たちが速やかに観覧席を作り上げる。完成すると武芸大会の予選が始まり、新年祭が終わると解体される。


 見上げても見えるのは木の柱や板ばかりだ。貴人の姿を目視できるのは、前方左右の遠い場所だ。

 遠目にも着飾った貴人の姿は目立つ。特に、貴婦人の鮮やかな色のチュニックと高さのある帽子は際立って見える。それはヴェラを惨めな気分にさせた。ヴェラも一番良い服を着てきたとはいえ、貴婦人の服と比べると地味で見劣りする。


 この場所にいる誰かにマグナスは愛を捧げるのだろう。考えるとヴェラは胸が苦しくなった。平民が騎士に恋をするなど、なんとおこがましいことか。嫌というほど、そう思い知らされる。

 やはり来なければよかったかもしれない。そんな思いにもなる。


 周囲の人々は騎士が登場するのを今か今かと待ちわび、圧倒されるほどの熱気にあふれている。観衆の中で浮かない顔をしている者など、ヴェラの他にいないはずだ。


 


 最初に行われるのは、騎馬隊の代表者による早駆けだ。代表に選ばれた四名の騎士が王都ブラシェルトを駆け抜ける。

 騎馬が広場から飛び出し、ブラシェルトの大通りを駆けていく。そのため、早駆けだけは観覧札を持たない者も沿道で見ることができる。

 往来が禁止された通りでは並んでいた露店も姿を消し、騎馬の行く道を開く。他の競技のような予選はせず、決勝の日の最初にすることで生活への影響を最小に抑えている。


 速さだけではなく精細さも求められ、出場する騎士は愛する貴婦人を伴って競技に臨む。大切な人を連れれば、おのずと安全に気を配ることになる。


 赤色の布に身を包んだ貴婦人が、騎士の前で横向きに騎乗する。

 準備が整ったところで開始の合図が発せられ、一斉に駆け出した。




 早駆けの騎馬が戻るまでの間、広場では他の競技が行われる。次はマグナスの出る剣術の試合だ。


 二人の騎士が篝火かがりびの前に進み出た。頭から足まで銀色の防具に身を固めている。

 顔が見えなくてもマグナスだとわかるのは、くたびれたスカーフが兜に付いているからだ。もう一人の騎士の兜では美しい布がはためいている。


 銀色の鎧を見ていると、奥深くにしまい込んだ記憶がよみがえってきた。両親が命を捧げた時のことが思い起こされる。銀色の鎧の騎士が銀色の剣で両親の胸を貫いた。

 どうして今まで忘れていたのだろう。〈神の嘆き〉で騎士が担った役割を。

 あれ以来、鎧姿の騎士を見ていない。日常の中で見る騎士が身に着けているのは、布の服と革の防具だ。


 騎士は自身の脚よりも長い剣を両手で構える。開始の合図で双方が動き始めた。互いに相手の出方を見ているようで、じりじりと足を動かす。

 先に攻撃を仕掛けたのはマグナスだ。それを相手が剣で受けとめる。さらに何度も強くマグナスは打ち込むが、決定的な一撃にはならない。硬く重い物がぶつかり合う音が響く。


 ヴェラは手に汗を握った。剣を持ったことのないヴェラでも、長さのある物を振り回すのがいかに力を必要とするか知っている。剣を振るというのは、ほうきでクモの巣を払うよりどれだけ大変なことなのだろう。今日のためにマグナスはどれだけ努力してきたのだろう。

 またヴェラの知らないマグナスの姿を見せつけられる。勝ってほしくないと思ったことを恥じた。


 マグナスの剣が弾き落とされた。次の攻撃でマグナスは地面に倒され、首に剣の先を突きつけられる。

「やだ・・・・・・」とヴェラは声を絞り出した。

 両親のようにマグナスも赤色に染まるのではないかと思った。恐怖で体が震える。


 試合終了の旗が揚がり、マグナスの負けが決まった。

 剣を拾い上げたマグナスは、肩を落としてその場を後にした。


 勝った騎士が観覧席に近づき、片膝を立てて上に視線を向ける。手を伸ばす先には騎士を見下ろす貴婦人の姿がある。

 騎士が何かを言っているようだが、それは遠くて歓声にかき消された。


 マグナスが負けたことで、ふっと肩の力が抜けたようにヴェラは感じた。マグナスのことを思えば悲しむべきところだが、喜ぶ気持ちが心の底でじわりと湧いている。

 感情が入り交じる。どうすればいいのかわからず、ヴェラは今にも泣きだしそうだった。




 早駆けの騎馬が広場に戻ると、移動の制限が解除された。ヴェラはすぐにでも帰りたいと思ったが、オーバルは最後まで見ていたいだろう。武芸大会の決勝を見る機会など、めったに得られるものではない。

 振り向いてオーバルの顔を見ると、不安げな目がヴェラに向けられていた。

「が、帰りだいが?」と聞かれ、ヴェラは首を縦に振る。

 熱気に満ちた観衆の間を抜けて帰路についた。

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