第16話 突然の求婚
リケルタとの契約から一年が経ち、王都ブラシェルトは再び新年祭の賑わいに包まれている。
ヴェラとマグナスの関係に変わりはない。時折、マグナスが何か言いたそうな様子を見せるが、ヴェラは知らないふりをする。それが聞きたくない話かもしれないと思うと少し怖いのだ。
「お久しぶりです」
宿に入るなりヴェラに声をかけたのはエテルファムの商人だ。輝く黒髪と風変わりな服が目立つし、従者と護衛を連れて訪れる客など他にいない。
「えっと、エテルファムの・・・・・・」
リケルタの弟ということは覚えているが、名前までは思い出せそうにない。
「アルテオです」
「そうだったわね。すぐに思い出せなくてごめんなさい」
「気にしないでください。一年ぶりですから仕方ないです」
「背が伸びて、顔つきも大人っぽくなって、立派な商人さんに見えると思うわ」
リケルタの隣にいた男子の姿を、ヴェラはなんとか記憶の中から探し出す。アルテオが照れくさそうに笑うのを見て、機嫌を損ねることなく済んだと一安心した。
「あの騎士は来ていないんですか?」
アルテオは食堂を見回しながら言った。
「あの騎士? もしかして、マグナスさんのこと?」
「そうです」
「今日はまだよ。東門隊の所属だから、用があるならそっちの屯所に行くのが早いと思うわ」
「用があるわけではありません」
「そうなの?」
アルテオが宿を訪れた目的がわからない。リケルタのようにヴェラの腕を買っているわけではないようだ。
「少し気になっただけです。今でも親しくしているんですか?」
「そうよ。最近は忙しいのに無理をして来てくれてるみたいだわ」
「新年祭の見回りは大変でしょうからね」
「それだけじゃなくて、今年は武芸大会にも出るのよ。優勝して意中の人に愛を捧げたいんだとかで」
ヴェラの胸にじわりと痛みが広がる。
武芸大会は新年祭の期間中に行われる。ヴィード騎士団の各隊から選出された騎士が、部門ごとに頂点を目指して戦いを繰り広げる。マグナスは剣術で出場するという。
優勝した騎士が観衆の前で愛を捧げるのが慣例になっている。その相手は誰であっても構わないが、ほとんどの騎士が恋人や妻に愛の言葉を贈る。勝者に与えられる特別な権利だ。
「意中の人とはどんな人なんでしょうか?」
「知らないわ。騎士さまが思いを寄せる人なんて、あたしにはわからないわよ」
「じゃあ、何も聞かされていないんですね」
アルテオの瞳の奥にどろりとした影が揺らめいたように見えた。
ヴェラはアルテオをあまり好ましく思っていない。リケルタは爽やかで気持ちいい人だが、アルテオは暗くて湿っぽい雰囲気をまとっている。
「ヴェラさんは見に行くんですか?」
「行かないわ。まず観覧札なんて簡単に手に入れられないし」
「ぼくと一緒に見ませんか? エテルファム家は席が用意されているんです」
「誘いには感謝するけど、遠慮しておくわ」
たとえ見に行くとしてもエテルファム家の席で見るなどできるわけがない。周囲には商人が下女を連れているようにしか見えず、好奇の目にさらされて居心地が悪いことだろう。
「今、リケルタさまはガルダステンにいるの?」
「そうです。無事に到着して、冬の間はガルダステンで長老たちから教えを受けるんです。その後はジョルメールに住むことになっています」
ジョルメールは南部スーレリア地域の公都だ。名前くらいはヴェラも知っている。
「南部は暖かい所なんでしょ?」
「こちらに比べると暖かいですが、南部の人にとって冬はやはり寒いようです」
「そうなのね。住むってことは、そっちの商館で働くの?」
「ええ。そして、塩を扱う商人の娘との結婚が決まっています」
「まあ。おめでたいことだわ」
塩はスーレリア地域の特産品で、流通している塩のほとんどがスーレリア産だ。
「海沿いの塩田には塩の山があるんですよ」
「山になるほどの塩なんて、すごいわね。海というのも、ずっと先まで水が続いているんでしょ? どんな景色なのかしら」
ヴェラの知らないものだらけで、リケルタが住むという場所を想像したくてもできない。
「ぼくが連れていってあげます」
「え?」
「ヴェラさん、ぼくと結婚しましょう」
突然のことに、ヴェラは何も考えられなくなった。
「おーい。オーバル、ベルカ。エテルファムの商人がヴェラちゃんと結婚したいってよ」
近くにいた常連の男が大声で呼びかけた。
「なんだって? 寝言は寝てから言いな。そんなことあるわけないじゃないか」
ベルカがヴェラの隣に立ち、アルテオを見る。
「あんたがヴェラに結婚を申し込んだってのかい?」
「はい。ぼくはアルテオ・エテルファムと申します。ぼくはヴェラさんを妻に迎えたいのです」
アルテオは膝を軽く曲げて丁寧に挨拶をした。
「どうしてヴェラなんだい?」
「初めて会った時、ぼくは一目で心を奪われました。この一年、再び会える日をずっと心待ちにしていたんです」
「だけどね、うちみたいな安宿の娘との結婚なんて、エテルファム家が許すもんかね?」
「必ず許しを得てみせます。そして、誰にも文句を言わせることなく、ヴェラさんを迎えに来ます」
「本当にそんなことができるのかい?」
「ぼくはエテルファムの商人ですよ。そのくらいのことはやってみせます」
アルテオは得意げな笑みを浮かべた。
「そんなに言うなら、やってみな。でも長くは待てないよ」
ベルカは考えるそぶりを見せる。
「来年の新年祭までしか待たないよ。それだけじゃあない。一年経たずにヴェラが他の人との結婚を望めば、そこまでだ」
「エテルファムとの繋がりよりも大切ですか?」
「そうさ。あたいはヴェラに幸せでいてほしいんだ。いくらエテルファムの商人だってね、ヴェラを幸せにできないなら認められないよ」
「任せてください」
アルテオの不敵な笑みに、ヴェラは背筋が寒くなった。
ヴェラの理解が追いつかないまま、なめらかに話が進んでいく。どこか知らない場所に独りぼっちで立っている気分だった。
今ここにマグナスがいてくれたら、どんなに心強かっただろう。ヴェラは無意識にマグナスを求めていた。
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