第15話 マグナス・テ・ヴィード

 数日後、ヴェラはリケルタと菓子についての契約を結んだ。契約者はヴェラではなく、宿の主人である叔父オーバルとなっている。

 いつもなら心安い宿は、証人や書記らが会して厳かな雰囲気が漂った。立ち会う人の中にはマグナスの姿もあった。

 レシピはリケルタのものになり、ヴェラはその菓子を売る目的で作ることができなくなった。リケルタはレシピを利用した新しい商売を考えているのだという。

 最も忙しい新年祭時期の稼ぎに相当する銀貨を受け取った。何にせよリケルタの役に立てたことをヴェラは喜んだ。




 契約が終わり、人々が解散した宿に穏やかさが戻る。

 残ったリケルタはマグナスに座るよう勧めた。テーブルを挟んで向かい合う二人の間には、ぴりっとした緊張感が流れる。

 ヴェラも同席を求められ、マグナスの隣に座った。


「名前はマグナス・テ・ヴィードと言ったね。これからどうするつもりなのかな?」

「どうする、とは?」

「あなたは上位のヴィードだ。下位の娘との縁談が持ち上がっているんだろう?」

「それを話す必要が?」

「まあ、答えたくないのも当然か。あなたには好意を寄せている人がいるようだからね」

 マグナスは目を見開き、言葉を詰まらせた。そして、困惑の表情でヴェラを見る。


 マグナスが好意を寄せる人とはどんな人なのだろうか。考えるとヴェラの胸はちくりと痛んだ。

「あたしがいると話しにくいみたいね。席を外すわ」

「いいや。ヴェラはここにいるべきだ」

「でも、あたしには何の話かわからないし・・・・・・」

「おれが答えられることは教えよう。何が聞きたい?」

 何でも聞いてくれと言わんばかりの爽やかな笑顔を向けられ、ヴェラは立ち去るのを諦めた。




「あの、上位と下位って?」

「ヴィードの中でも現王と関係が近い者を上位、遠い者を下位と呼ぶんだ」

「何が違うの?」

「王家と公爵家の直系は複数の人と結婚できることは知っているよね?」

「えっと、英雄の血が絶えないように、たくさん子孫を残さないといけないから」

「そう。特に男子は多くの妻を迎えるんだ。その妻は同じ家名を持つ者から選ばれる。ヴィードならヴィード同士でね」

「マグナスさんも王女さまの誰かと結婚するってこと?」

 言った途端、心の中に悲しみが広がった。


「そうはならないんだ。血の繋がりが遠い者でなければならないという決まりがあるからね。そこで傍系は名に順番を示す言葉を入れる。マグナス・テ・ヴィードのように。テは三番目で上位にあたる。直系と結婚するには近いんだ」

「王女さまとは結婚しなくて、遠い関係にある人と結婚するってこと?」

「通常ならね。直系と結ばれなかった下位の娘と結婚して、後世で直系の相手となる者を育てていくんだ」

 難しい話にヴェラは頭がくらくらする。


「さて、あなたが三番目だから、両親のどちらかが二番目だ。お父さまがそうなら、爵位持ちだろうね」

「父が、子爵位だ」

 黙っていたマグナスが口を開いた。

「あなたが騎士ということは、お兄さまがいるね?」

「そうだ」とうめくように返事をした。

 大きな体のマグナスが頼りなげに小さく見える。


「どうしてわかるの?」

「ただの推測さ。三番目は現王のいとこか、兄弟の孫だ。前者とするには若いから後者になる。だとすれば、彼のお父さまは現王のおいで、ヴィードの二番目。前王が亡くなるまで直系として教育を受けていたはずだ」

「うう。あたしには難しすぎるわ」

「普通の人にとって、ヴィードの家名を持つ者は全て貴族だからね。直系も傍系も関係なく。しかし、ヴェラが騎士と親しい関係を続けたいのなら、知っておかなければならないよ」

「ねえ、マグナスさん。そうなの?」

 問いかけに返事はない。


「あなた自身のことは、あなたの口から話すべきだ。もしかして、ヴェラのことは一時的なたわむれに過ぎないから話さないのかな?」

「違う。たわむれなんかじゃない」

 それまで静かだったマグナスが語気を強めて言った。

「ならば、どうして話していないんだ? ヴェラだって数年で適齢期を迎える。本気で考えているなら、伝えるべきことを伝えなければ。このままでは他の誰かに奪われるだろうね」

 リケルタは平静を欠くことなく、マグナスを見据える。

「あんたには関係ないだろ」

「なくはないよ。ヴェラの能力は魅力的だからね。手元に置いておきたいと思うのは当然だろう?」

「ふざけたことを」とマグナスが荒々しい声を放った。


「やめて。落ち着いて」

 ヴェラはマグナスの腕に触れた。興奮してぎらついた目がヴェラを見る。これもヴェラが知らない顔だ。

 マグナスのことを知っているつもりでいた。ほんの一部しか見えていなかったのに。悔しさと恥ずかしさが胸に広がる。

「マグナスさんの話をしてたのに、どうしてあたしの話になるの?」

「はっきり言わないとヴェラには伝わらないようだ」

 リケルタは哀れむような眼差しをマグナスに向けた。

「あたし、何もわからないわ」

 たくさんの「どうして」が積み重なって、ヴェラの心に雨雲が垂れ込める。


「ねえ、ヴェラ。きっといつか彼はブラシェルトを離れるよ」

「そうなの?」

 マグナスに尋ねるが、黙って手元を見つめるだけだった。

「もし、彼がいなくなったら、ヴェラはどう思う?」

「えっと・・・・・・きっと、すごく寂しい」

 マグナスがいない日々を想像すると、胸がざわついた。

「どうしてそう思うのか、考えてみなさい」


「すべきことは終えた。」とリケルタは宿を後にした。




 マグナスの表情は暗いままだ。

「あのさ、おれ・・・・・・」

「いいのよ。話したくないなら聞かないわ」

「でも・・・・・・」

「知りたいとは思うけど、あたしはマグナスさんの困った顔なんて見たくないわ」

 ヴェラは両手でマグナスの頬を包み、顔を上げさせる。

「今日も食事をしていくでしょ? 一緒に食べて、笑ってほしいわ。マグナスさんが元気じゃないと、あたしまで元気がなくなりそうだもの」

 冗談めかして言い、できるだけの笑顔を浮かべてみせた。

「うん」とマグナスは手をヴェラの手に重ね、頬をすり寄せる。その甘えるような仕草は、熱したチーズのようにヴェラの体と心を溶けさせるようだった。

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