第12話 心をくすぐる人

 マグナスは次の日も、その次の日も食堂にやってきた。タルトを焼いていない日も。

 毎日ではないが、頻繁に顔を見せる。飲食というより、ヴェラを構うのが楽しいようだ。

「ここにいる時は、騎士のマグナスではなく、ただのマグナスだ」

 そう言って、他の客と同様に扱わせるのだから、ヴェラはその対応に困ってしまう。


 さらに、簡単に手に入れられない上等な食材を持ってくる。

「しっかり食べて大きくならないとな」と。

 狩猟会で捕ったシカの肉を持ってきた時には驚かされた。


「こんなによくしてもらう理由がないわ」

「じゃあ、おれのために何か作ってくれよ。で、一緒に食べる。それなら問題ないだろ?」

 ヴェラは断るべきだと思いながらも、めったに使うことができない食材に興味をそそられる。

「あたしが好き勝手に厨房を使うことなんてできないわ」

 そう言うと、マグナスはオーバルの方を向いた。

「オーバルさん、しっかり代価も払うし、必要な物があれば用意する。それでも無理か?」

「ヴェ、ヴェラがやりだいなら構わねえ」

「だってさ。厨房の主人が許可してくれるなら、いいだろ?」

 期待に満ちたマグナスの笑顔に心が揺れる。

 マグナスに笑みは、ヴェラの胸を高鳴らせる。

「わかったわ。料理を学ぶ絶好の機会よ。兄弟と一緒に使わせてもらうわね」

 もう断る理由が見つからなかった。




 マグナスは家族の中に溶け込んでいった。厨房にも、中庭にも、そこにいるのが当たり前になっている。

 市民になじむ服装で訪れ、ぱっと見ただけでは騎士だとわからない。記章だけは隠し持っていて、困り者を追い払ってくれることもある。


 兄が増えたようではあるが、マグナスに抱いている感情をオーティに感じることはない。その違いが何なのか、ヴェラは理解できないでいた。

 マグナスの存在はヴェラの中でどんどん大きくなる。あらがおうとすればするほど思いが募っていく。


 時折、騎士の姿で巡回するマグナスを見かけることがある。少しの隙もない騎士の装いは、宿にいる時の雰囲気とは全く違う。それを見るたびに、ヴェラは立場の違いを痛感させられた。

 しかし、ヴェラと視線が交わるとマグナスはわずかに目を細める。特別な存在であるかのような気がして、ヴェラの心は舞い上がった。






 ヴェラが王都ブラシェルトに来てから六回目の新年祭を迎えた。

 新年祭と同時期に開かれるブラシェルトの大市には、各地から多くの人や品が集まる。広場だけでなく大通りにも露店が並び、大変な賑わいを見せる。


 オーバルの宿も繁盛していた。時には寝台に空きがなく、宿泊を断らざるを得ないことがあるほどだ。おいしいビスケットのうわさを聞いて来たという人も増えている。




 鐘の音を聞いて、ヴェラは宿の入り口に干し草の束を掲げた。営業中であることを知らせるものだ。

 束ねた草は馬の飼い葉で、ここに馬小屋があることを示す。馬小屋がある場所には飼い主の寝る場所もある。だから、干し草が宿を意味する印として使われている。


「やあ、ヴェラちゃん」

「あら、マグナスさん、おはよう」

 外で準備をしていると、マグナスが現れた。当たり前に手を貸し、当たり前にヴェラの後をついてくる。


 マグナスは厨房の隅にある木箱に腰を下ろした。そこがマグナスのいつもの場所だ。妨げになることなく、ごく自然に座っている。


「夜番だったんでしょ? なんだか疲れて見えるわ」

「新年祭の時期はいつも以上に神経をとがらせるからな」

 眠たそうにゆっくりとまばたきを繰り返す。


 騎士たちは昼番と夜番に分かれて、担当する地区を見回る。

 マグナスは次の休日まで夜番なのだという。


「それじゃあ、隊舎で休めばいいじゃない」

 独身の騎士は市壁の外にある隊舎で共同生活を送っている。マグナスは隊舎で食事と着替えを済ませ、わざわざ宿に足を運んでいるというわけだ。

 会えるのは嬉しいが、体を壊さないかと心配にもなる。

「おれはね、ヴェラちゃんの顔を見ないと元気になれないんだ」

 マグナスはまぶしいほどの笑顔を見せた。そういう顔を見せられるたびに、ヴェラは鼓動の高鳴りを感じる。

「何言ってんのよ」

 頬の火照りを隠すように顔を背けた。




「どうぞ」

 濃度の薄い蜂蜜酒を渡すと、マグナスは一気に飲み干した。

「もう一杯」

「もっとゆっくり飲んだら?」

「喉が渇いてたから、つい」と照れくさそうな顔をした。

 マグナスは子どもっぽいところがある。ヴェラより七歳も年上だというのに。


 ヴェラは追加の飲み物を渡す。

「ん? この匂いは・・・・・・酒じゃないな?」

「疲れに効くハーブ湯よ。疲れてるなら、これで我慢して」

 食堂では数種類のハーブ湯を出す。疲労や酔いなど、常連客から多く要望が寄せられる効果のものを常にいくつか用意している。

「ヴェラちゃんのそういうとこ、好きだよ」

 マグナスから軽い口調で放たれる「好き」を、ヴェラは嬉しく思ってしまう。

「そういうって、どういう?」

「おれのことをわかってくれてるとこ」

「もうっ。あたしのこと、からかってるんでしょ」

 ビスケットのかけらをマグナスの口に押し込む。ぱさぱさのビスケットが話すのを止めるだろう。

 マグナスはヴェラの指ごと口にした。柔らかい唇が音を立てて指を吸う。胸がとくんと強く鳴り、全身が熱くなった。

「おいしい」とマグナスは大人の男の顔をして言った。

 黙らせるはずだったのに、ヴェラの方が黙らされてしまう。


 マグナスといると心がくすぐったい。

 村にいた頃のヤギの乳搾りを思い出させる。頬に柔らかな毛が触れたような、温かくてこそばゆい感じに似ているのだ。

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