3章 それぞれに、散る。

1.飯田茉侑子③

こーくん①

 住吉すみよしの長男であるこうくんが生後三ヶ月となる七月の某日、私は出産祝いを渡すため地元に帰っていた。


 三ヶ月──出産祝いとしてはギリギリまで引っ張ってしまったほうだと思う。

 あんな過去があるのだし、渡さないという選択肢もあったが、『過去のことをいつまでも引きずっている』とも思われたくなかった。それに未冬みふゆの友人に戻ると決めたのは、結局は私なのだから、という思いもあった。


 実家に帰るついでに寄らせてもらうだけなので、玄関先で構わない、とは申し伝えた。それにしては平日の昼間にわざわざ休みを取って来ていることに違和感を持たれるかもしれないが、相手は未冬だ。余計なことを伝える必要もないだろう。

 が、案の定というか、アパートの玄関先で、未冬に「上がっていってよ」と言われた。


「せっかく来てもらったんだし、こーくんに会っていってほしいな」


 子の母親に「どうぞ」と勧められている状況だ。出産祝いで来ているのに、これで赤ちゃんの顔を見ずに帰れば失礼にあたるかもしれない。

 それに、子どもに罪はない。私なら割り切ることもできる。


 長居しないからね、とは念を押しつつ、私は住吉家のリビングに通された。


「すーくーん、お祝いとメロンもらったよー! あと茉侑子まゆこ、上がってってくれるってー」


──ギョッとした。


 三ヶ月であれば、育児休暇を取得していたとしても旦那は職場に復帰しているかな、という甘い考えがあった。けれどアテが外れたのかもしれない。もしくは有給か。

 事前に確認しておけば良かったのは言うまでもないが、それはそれで『未冬の夫の存在』を過剰に気にしているようで癪だったのだ。


「飯田さん、お世話になってます。ええと、わざわざすみません」


 ベビーベッド付近に佇む眼鏡の男──未冬の夫は、こちらに向き直って会釈をした。

 住吉くん。

 その風貌は、記憶にある十代の頃の彼とあまり差異がない。男性にしては小柄な、未冬よりは辛うじて高いかという身長。眉尻の下がった臆病そうな表情。

 “頼り甲斐のありそうな旦那様”だなんて言ったら、お世辞にしかならなさそう。

 そんな感想は顔に出ないよう配慮して、私は笑顔で頭を下げる。


「この度は本当におめでとうございます。お祝いの時期がずれてしまい、申し訳ありません」


「あ、いえ、そんな……。ありがたい限りで……」


 彼はそう言いながら両手でダイニングチェアを示し、座るよう促してきた。


「どうぞ、こちらに……」


 学生時代から相も変わらず省エネというか、最低限のボリュームでしか喋らない人だな、と思う。

 私はその場で「どうぞお気遣いなく」とだけ告げた。


「それじゃ、えっと、あとは……」


 旦那はオドオドしながら未冬に何か言いかけたが、当人は元気よくキッチンへとターンしてしまった。


「あたし、お茶の用意してくるね!」


 どうして産後三ヶ月の女が一番元気なのだろうかと疑問に思ったが──未冬だからか。


「えっ、それは俺が」


 夫は慌てて未冬を追いかけたが、

「パパがお客様を一人にしちゃダメでしょ?」と言い負かされ、死んだサカナのような目ですごすごと戻ってきた。


「し、失礼しました」


 この人。

 こんな引きつった愛想笑いしかできないのなら、強引にでも妻と役割を交代すれば良かったのに。何故それができないのだろう。


「いえ、こちらこそお邪魔してすみません」


 私は立ったまま、ベビーベッドのほうに視線を向けた。ちらりと覗く小さな手足。

 ベッドの柵にはキャラクターもののメリーが取り付けられており、長男・航くんはそれを静かに眺めているようだった。


「近くで航くんのお顔を拝見しても?」


 同じく立ったままの旦那に目配せをすると、彼はびくっと肩を震わせた。


「あっ、もちろん」


 住吉くんはワタワタと息子を抱き上げようとしたが、それは遠慮し、私は近付いてベビーベッドの中を覗かせてもらう。


──かわいい。


 率直にそう思った自分に驚く。

 泣かれたらどうしようかと思ったが、赤子は指をしゃぶりながら不思議そうな目でこちらを見つめ返し、一言「めむ」とつぶやいた。


 ぱっちりとした目も、長いまつ毛も、母親である未冬似だ。未冬似なら、愛嬌のある顔立ちの美形に育つだろう。


「かわいいですね、本当に……」


 顔を上げながらぽつりと呟くと、戸惑ったのか照れたのか何なのか、未冬の旦那は曖昧に笑った。


「あっ、ありがとうございます」


──この男は今、何を考えているのだろう。


 顔にハッキリ『きまずい』と書かれているのは分かるものの、詳細な心の内までは読み取れない。


 私と未冬の過去をどこまで知っているのか。知った上で気まずそうにしているのか。あるいは何も知らず、ただ『高校の元同級生』という微妙な間柄の女との距離感に迷っているだけなのか。


──どちらにせよ、あまりいい気はしない。


「航くんって、すてきなお名前ですね」


 よせばいいのに、私はそう口に出してしまった。

 一見、無難な話題に思われる。が、その一文に、私の黒くドロドロとした感情が滲んでいることは言うまでもなかった。


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