続続・踏んだり蹴ったりの男


 何とか思考を上向かせ、僕は東京駅に向かって歩き出した。


 そんな折、ふと思い出す。


──そういえば僕、飯田さんから現金いくらねじ込まれたんだろう。


 こちらで用意した封筒を突き返されたほか、謎の「交通費」を押し付けられていたことを思い出す。

 急かすように追い出されてしまったから、金額までは把握していなかったな──そんなことを思いつつポケットに手を入れると、指先に札束の感触がある。


「ん……?」


 なんだか、予想していたよりも多い気がする。


 おそるおそるポケットから裸の札束を取り出して、金額を数える。そして案の定、「ヒェッ」と叫ぶ羽目になった。


「じゅ……十万円もある……」


 いや……怖いって!!

 あの人本当に何してんの!?

 これのどこが「交通費としてお持ち帰りください」の額なんだよ!!


 ぜぇぜぇと息をつく。少し落ち着かなければ。


──これは、とりあえず……未冬さんに相談か?


 そもそもこれって巻き込まれ損だよね?

 ほんとに勘弁してほしい。妻のスマホに電話をかけながら、「もうやだ」と崩れ落ちたい気分だった。


 しばらくの間、僕は祈るようにコール音に耳を傾けた。すると。


『すーくん、どうしたの? 茉侑子のお祝い、ちゃんとできた?』


「み……未冬さん……」


 すぐに妻が出てくれて、僕はちょっと泣きそうになってしまった。こんな目に遭っているのも大体この人のせいなのに、当人の優しい声を聞くだけで安堵してしまうのだから、本当にどうしようもない。


 僕は飯田さんとの一部始終を正直に話した。

 交通費として押し付けられた十万円のことを伝えると、未冬さんは電話口で『ふぅん……』と低くつぶやいた。珍しく、怒っているような気配がある。


『そっか。茉侑子、そういう意地悪するんだね。──でもまあ、あの子、前からそういうところあったかも』


「そういうところ……?」


『つい、お金を渡して強がっちゃうみたいなところ。茉侑子って、私は何も気にしてないよって顔しながら、本当はムキになってる時があるでしょ?』


 僕には答えられなかった。自分は飯田さんのことをそこまで深く知らない。


 高校一年では、彼女とも同じクラスだった。

 いつもクールな飯田さん。

 あまり感情的でなく、しかし口数が少ないわけでもなく、人と分け隔てなく話せるタイプの女子。


 出会った当初は、僕でも話しやすい女子、という印象だった。

 ……進級してクラスが別れてからは、ほとんど話さなくなったけど。


 しばらく、無言の時間があった。そののち、ゆっくりと息を吸う音が聞こえる。


『ほんとにごめんね、すーくん』


 優しい声。優しすぎて怖いくらいに。


『それ、返しに行かなくていいからね。悪いのは茉侑子。それと、あたしなんだと思うから。だからね、すーくんは何も気にしなくていいの』


「えっ……じゅ、十万円ですけど……」


『うん。聞こえてるよ?』


「未冬さん? ガチな十万円だよ?」


『うん。お腹すいちゃったでしょ? せっかく東京にいるんだし、そのお金で美味しいもの食べて、元気出してね。あたしとこーくんはお家で待ってるからね』


 通話を切られそうになって、慌てて呼び止める。


「待って! 大金だし、返したほうが良くない? 今日じゃなくても、日を改めて夫婦で返しに行くとか……」


『ううん、大丈夫。ほんとに気にしなくていいの』


「え、……は?」


 なにこれ。僕の言い分がおかしいの? そんなわけないよね……?


 もうパニックになりそうだ。

 そんなタイミングだった。


『あのね、すーくん、おねがいがあるの』


 甘ったるい声に脳を揺さぶられる。頭をふわりと包み込まれるような、ぬるい温度で痺れさせられるような。


「な……なに?」


『今日帰ったら、久しぶりに……その、したいな』


「へ?」


 なに、急に。

 したいな、って……。

 それって──


『なんかあたし、すーくんのこといっぱい感じたくなっちゃって。それに、頑張ったすーくんのことも癒してあげたいな、って……』


 電話ごしの艶やかな声に、背筋がビクッと震える。


『楽しみにしててもいい……?』


「あ……うん……」


『ほんと? 大好き! じゃあまたね。帰りの運転、がんばって!』


 通話が切れた。

 数秒の沈黙。

 未冬さんの甘い声が、脳内でリフレインする。


『今日、したいな♡』


『すーくんのこと、いっぱい感じたくなっちゃった♡♡』


『大好き♡♡♡』



 えっ……どうしよ。火力指数10万、いや20万超え。

 ていうかうちの嫁さんエロすぎない……?

 なんで今日、こんなに甘えてくるんだろ──?!


「……っ!」


 こうしちゃいられない。

 ええとまずは……ピコモンストア!!(??)


 僕はスマホを胸ポケットに滑らせ、はやる気持ちでピコモンストアに向かった。



(2章、終)

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