木場詩歌①
「ほーほー、なるほどですねぇ」
唐突に絡んできた、隣の卓の女──
完全にしてやられた。
あの男との誤解を解くためとはいえ、過去を洗いざらい話す羽目になってしまったのだ。
元恋人の未冬が私の幼なじみであることとか、付き合ったきっかけだとか、振られた経緯だとか……とにかく、全部だ。思いつく限り、余計なことまで語らされている。どう見積っても、見知らぬ若い女の子にペラペラ話す内容じゃないな、と自嘲した。
しかしながら、詩歌にはそうさせるだけの技量があるようにも感じた。
他人の懐に入るのが異様に上手いのだ。彼女のまとう人なつこい雰囲気には、ついつい心を開いてしまう心地良さがあった。
アルコールの力もあるのだろうが、とどのつまり、私は木場詩歌にまんまと乗せられているってわけだ。
「でもまさか、あのカレがマユさんの恋敵だったなんて、わたしびっくりですよ」
初対面の年下の子に『マユさん』と気安く呼ばれるのも、詩歌が相手なら不思議と悪い気分はしない。
詩歌は私に、自身が大学生であると自己紹介をしてきた。若いとは予想していたものの、実際に学生だと耳にすると驚いてしまうものだ。仕事で学生と関わるならともかく、こうしてプライベートで女子大生と飲むことになるなんて、人生、何が起きるか分かったものじゃない。
「あの男の……
ただし、この話題はいただけない。
あの男の話をしている場合ではないのだ。こちらも、少しでも情報を手に入れなければ負けっぱなしになってしまう。
「へえ、カレの下の名前、周真っていうんですね?」
しかし詩歌は、わざとらしく住吉周真の話を続けようとする。
まさかとは思うけど、あの男を一目見て気に入った……とかじゃなかろうな。
「どうでもいいでしょ、そんなこと……」
すると詩歌はその端正な顔でくすくす笑った。
それを見て、なにか懐かしいような気がした。その仕草に、未冬の面影を見てしまったから。
「たしかに周真くん、背も小さいし、ちょっと頼りなさそうでしたよねぇ」
「……周真くんて」
「やっぱり、元カノが自分を振って選んだ旦那なら、シャキッとしてよ! って思うものなんですか?」
「そうに……決まってる」
もちろん、彼に対して思うことは沢山ある。
未冬は私との別れ話の中で「一般的な家庭をつくりたい」と言い、淡々と『理想の家庭』の条件を並べ立てた。ならば、彼は未冬の条件にもっとも適した男だった、という結論になってしまうのだろう。
それが私には理解しがたいし、理解できないこと自体がきつかった。
彼には無視できない過去があるからだ。それが、過去に未冬から逃げ、傷つけたことであるのは言うまでもない。
「未冬の旦那は、もとは高校時代に付き合っていて、それで別れたはずの男なんだよ。言うなればあの男は、未冬の元カレであり現旦那ってことになるけど、要は、一度はうまくいかなくて離れてるわけ。……って、それはもう話したっけ」
詩歌は「ええ」とにこやかに頷く。よくそんなに覚えていられるものだ、と呆れつつ感心してしまう。
初対面の相手の、しかもその元恋人の恋愛事情とかいう、まったくもってこの子の人生には関係のない話である。普通であれば興味なんてないはずだし、私なら聞き流して終わりになってしまいそうなのに。
「……そのときのことだけど、住吉くんの方から未冬を振ったの」
そう言いつつ話が止まらない自分も自分である。
詩歌は「へえー?」と片眉を上げた。あくまで「わたしは興味津々です!」というスタンスで話を聞いてくれる。恐ろしい能力だ。さっきからずっとこんな感じ。ずっとこんな調子で、ペラペラ喋らせられている。
「私、信じられなかったよ。あんたが未冬に振られるなら分かるけど、お前から振るってどういうことだよって」
しかも自分から振ったくせに、やたらと悲壮感漂わせちゃってさ。
グラスのふちを眺めながら、当時の、校内で見かける住吉周真の姿を思い出していた。まるで自分は被害者、みたいな顔。見る度に嫌な気分になった。
──いや、私だって本当はわかってる。
マドンナ的存在である未冬と付き合っている自分に対し、自信が持てなかったのだろう。周囲に『すーくん』なんて呼ばれて、からかわれて。さらには、『釣り合ってない』だの陰口叩かれて。
それらに耐えきれなくなって、自ら身を引いてしまった。……それは、彼の性格を考えれば想像に難くない。
ただ、私は、未冬を泣かせたことがどうしても許せなかった。
未冬はきっと、彼の芯の強さに期待していた。好きな女が信じてくれたのに、裏切ったのだ、あの男は。
「でも、今は、未冬さんに選ばれた夫であり、家庭を守る父でもあるんですよね」
思考を読んだかのような台詞に、私は顔を上げた。
声の主──詩歌は美しく微笑んだままだ。
「なんで、あの男だったのかな……」
私は、グラスの中に視線を落とすしかなかった。
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