木場詩歌②

「なんであの男だったのかな……」


 何を言っても負け惜しみしか出てこないのに、私はそのまま言葉を吐き出してしまう。

 それは酒のせいか、木場詩歌のせいか。


「どこにでもいるような田舎の役所勤めだよ? まあ、たしかに公務員って安定してるかもしれないけどさ、それにしたって、あの地味で、声小さくて、変にオドオドしたチビメガネだし」


「あらあら、それはムカついちゃいますねぇ」


「……ま、まあね。私にとっては、意気地なしのくせに私から未冬を奪って行った男だもん。それで、わざとらしく『未冬のおねだりには逆らえないんだねー』だなんて言っても、ぜんっぜん皮肉が通じなくて、むしろニヤニヤして照れてんのも腹立つ。あいつ、ちょっと未冬に乳首触られただけで静かになっちゃうチョロ旦那のくせに」


 私は空のグラスを煽った。もう酒がない事実にすら、むかっ腹が立つ。

 これだから、あの男の話はもうやめたかったんだ。こうやって、いじやけてくるから。


「……私、今日は未冬に会いたかったんだろうな。会えるの、自覚してた以上に楽しみだったみたい。こんなこと、許されてるほうがおかしいのに」


 ふいに、そんな弱音がこぼれ落ちた。

 けれども、言葉にして吐き出してみると、これが本音なのかと素直に受け止めてしまう自分がいる。


「やっぱり未冬に会えばときめいてしまうし、誕生日をお祝いしたいって言ってくれたときも、断る言葉を吐きながら、すごく幸せだって思ってた。で、結局は、待ち合わせ場所に旦那を寄越すだなんて暴挙をしでかされたわけだけど……。それでも大人しく待ってたのは、私が未冬に弱すぎるせいなんだと思う」


 私の口からこぼれる戯言を聞きながら、詩歌はゆったりとワインを楽しんでいた。やがて最後のひと口になると、それを名残惜しそうに口に含む。


「……私ばっかり喋ってて、なんか恥ずかしいや。忘れて」


「でも、色々と吐き出せてスッキリしたんじゃないですか?」


 私は本当に駄目な人間だ、とこの時思った。

 未冬にも──誰にも翻弄されない、強い人間になりたいと思っていたはずなのに、心の奥底じゃ全く凝りていなかった。


「ねえ、詩歌」


「どうしたんですか、マユさん?」


 甘く、優しい声音をしていた。小動物のように小首を傾げる仕草が、やけに心をくすぐってくる。


「今度は、詩歌が自分のこと話してよ。男に去られたって、なにがあったの?」


「えー、それ聞いちゃいます?」


「だって、詩歌のこともっと知りたいし」


「あら。なんだかわたし、口説かれてます?」


「駄目?」


 詩歌は口許に笑みをたたえ、細長い人差し指を立てた。


「ダメです。わたし、ミステリアスな女を目指してますので」


 綺麗で隙のない笑顔だった。彼女の整った顔立ちが、余計に際立って見える。しばし私はその笑顔に魅入られて、何も言えなかった。


「ねえマユさん。せっかくのお誕生日ですし、いい気分で終わりたくないですか?」


 反応が遅れてしまう。はっとして、しかし頭が回らない。


「……どういうこと?」


「移動しましょっか!」


 言って、詩歌は元気よく立ち上がった。


「ひとまず、ここはマユさんのおごりということで」


 伝票が手渡される。……なんだか枚数が多い。無駄にペラペラと何度もめくって確認するが、酔いもあってか、なかなか書かれている内容が把握できない。


「えっ、詩歌がもとのテーブルで飲んでた分も、私が払うの?」


「当たり前じゃないですか。わたし、お金のない学生なんですよ?」


「な……」


 呆れて言葉も出ないけれど、それでも不思議といやな気分ではなかった。

 現金は、あの男にムカついたはずみで根こそぎくれてやってしまった。今度は初対面の女子の飲み代。やたらとお金を払わされる誕生日だが、景気が良いのだと思えば悪いことでもないような気がする。


「わかったよ、会計してくるから待ってて」


 仕方なく、といったふうに言ってみると、謎の女はわざとらしく「ほんとに良いんですかぁ!?」と大仰に驚いた。なんだか可笑しくて、私は思わず吹き出してしまった。

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