第13話 韋駄天(いだてん)

 榊神酒さかきみきは、早朝ランニングを始めた。大成たいせい高校の体育祭では学年ごとに、各クラスでランキングが実施される。四百メートル走で走ることになった神酒は、何としても一位を取るつもりだった。それは同じマンションに住む同級生の平良円たいらまどかに良いところを見せるためだった。動機はいささか不純だが、神酒は今回の体育祭に賭けていた。見事、一位を取って憧れの円に告白するつもりだ。

 かなりのハイペースで走り込んでいると、いつの間にか背後に走っている誰かがいることに気づいた。振り返って見ると、大成高校のジャージを着た同級生らしき男子が余裕のフォームで走っていた。

 神酒が足を止めると、その男子はその場で駆け足を続けていた。

「誰だ、君は?何で僕の後ろを走ってるんだ?」

 神酒が尋ねるとその男子はニカッと笑い、息を切らすこともなく返答する。

「俺は韋駄天いだてんだ。榊神酒、今度の体育祭で一位を取りたいんだろ?」

 名前を知られている。だが、神酒には全く覚えがない人物だった。

「韋駄天って確か、仏教で足の早い神様のことだろ?君は神様なのか?」

「神じゃないが、まあ似たような者だ。榊神酒。今度の四百メートル走で一位になりたいんだろ?」

「それはまあ、そうなんだけど・・・」

 大成高校のジャージを着てるということは、この男子は同じ学校のはずだが、見たことのない生徒だった。ひょっとして妖魔ファントムだろうか?

「よし、見てろ!」

 少年は突然駆け出し、川沿いに進んで左折した。そして回り込んで再び商店街の入り口に帰ってきた。時間は計ってなかったが、とんでもないスピードだ。まるでオリンピック選手みたいだ。

「凄いな、君!陸上部にでも入ってるのかい?」

「俺は孤高のランナーさ。そんなことより、一位を取りたいんだろ榊神酒?」

「そりゃあ、取りたいけど・・・」

「だったら俺がコーチしてやるよ。今度の四百メートル走で一位を取らせてやるぞ!」

 初めて会った人物に警戒心があるのは当然だが、神酒はそれ以上に足が早くなりたかった。

「よし、お願いするよ!名前は・・・韋駄天で良いのかい?」

「良いも悪いも、それが俺の名前だからな」

 こうして、神酒は四百メートル走で一位を取るための、専属コーチを得たのだった。


 アラームが鳴って、円は目を覚ました。ベッドから降りるとパジャマを脱ぎ捨て、制服に着替える。洗面所で洗顔を済ませるとリビングに向かった。

「おはよー」

「あら、おはよう円」

「おはよう、お姉ちゃん」

 母と弟のたまきに朝の挨拶をすると、自分の椅子に座った。トーストにジャムを塗り齧りつく。

「そういえば、円。もうすぐ体育祭じゃなかった?」

「うん。今年は実行委員会に選ばれたから、毎日準備に大忙しよ」

「お姉ちゃんは出場しないの?」

 環はミルクを飲みながら問いかけてくる。

「私は実行委員会だからね。他の人のサポートするのが仕事なのよ」

「まあ、高校の体育祭は見学に行けないけど、頑張りなさい」

 との母の言葉を賜り、

「はーい。適当に頑張る」

 食事を終えて歯を磨くと、カバンを肩に掛けて玄関に向かう。

「早くしなさい、環」

「あわわ、待ってよ、お姉ちゃん!」

 ランドセルを背負った環を連れてエレベーターに乗り込む。下降して五階に着くと神酒と妹の美甘みかもが乗り込んで来た。

「おはよう、円さん」

「おはようございます、円お姉ちゃん!」

「「おはよう」」

 無事に朝の挨拶を交わす。神酒は妄想者パラノイアなので、たまに裸の円を連れてるが、最近はあまり見ない。まあ、見たくもないので結構なことだ。

 円は子供の頃からこの世ならざる者たちを視てきた。いわゆる霊感体質というやつだが、最近は専門家に貰ったブレスレットの力で、幽霊などは浄霊出来るようになった。しかし、それが出来ない存在がいる。それが妖魔だ。人の空想や負の感情が生み出す化け物である。生命エネルギーを奪う危険な存在だ。円は妖魔に遭遇したら専門家に丸投げしている。出来るだけ平穏無事な生活を送りたい円にとっては、それが手っ取り早い解決方法だった。そして神酒は無自覚に低級妖魔を生み出してしまう妄想者なのだった。

「神酒くん、最近感じ変わったわね」

 円の言葉に神酒は首を捻る。

「そうかな?別に何もないよ」

「ウソだよ、お兄ちゃん。最近毎朝走ってるじゃない!」

「バ、バカ!ばらすな!」

 早速、妹に暴露されていた。

「へー、ひょっとして今度の体育祭のため?」

「ああ、うん。どうせなら学年一位を取りたいだろ、円さん?」

「まあ、それはそうね。みんな、張り切ってるし」

 話し合っていると三階に着き、幼なじみの雲類鷲仁美うるわしひとみが乗り込んで来た。

「おはよー、みんなー!」

 小学生の美甘たちと変わらないチビッ子だが、これでも高校一年生である。

「おはよう、仁美。あんたは二人三脚だったっけ?」

「うん。頑張ってるんだけど、一緒に走る子とイマイチ息が合わなくて」

「それはもう練習するしかないわね」

「あーあ、良いな円ちゃんは。出場しないから、プレッシャーもないんでしょ?」

「その代わり、裏方の仕事が山ほどあるわよ。なんなら代わる、仁美?」

「えー、良いよ。生徒会辞めて、やっと時間の余裕が出来たのに」

 いつもの通学路を歩いていると、商店街の入り口付近で、円の親友の八月朔日摩利ほずみまりと落ち合った。

「おっはよー!いよいよ体育祭が近づいて来たわね!」

 ショートカットが良く似合う、空手部のエースは、体育祭でも去年は大活躍だった。

「摩利は何に出場するんだっけ?」

「四百メートル走と障害物競走と最後のバトンリレーだよ」

「凄いですね、八月朔日先輩。流石に体育会系」

「なっはっは!年に一度の体育祭。活躍するチャンスだからね」

「そういえば、神酒くんは四百メートル走に出るんだっけ?」

「ああ、うん。今年は絶対に一位になるよ。専属のコーチもいるし」

「専属のコーチ?いったい誰?」

「ああ、悪いけどそれは秘密。でも一位になって学年トップを取るよ」

 円は深く追求はしなかったが、商店街のシャッター街の中に普段は見えない店が視えた。たかなし雑貨店。妖魔に遭遇したり、関わっている時だけ視える不思議な店だ。その看板にはこう書かれている。

『見えるはずのないモノを視たことはありませんか?誰にも言えない悩みを解決します』

 この店の店主は空想を現実化する能力を持つ夢想士イマジネーターだ。空想から生まれた化け物、妖魔を退治する専門家だ。

 しかし、今は特に困った案件は抱えていない。何故、店が視えるのか不思議だった。

(この中の誰かが妖魔と関わっているってことかしら?)

 一緒に登校するメンバーを眺めて見ても良く分からない。円は霊感体質というだけで、それ以外にこれといって能力を持っているわけではない。

「どうしたの、円?」

 足取りが鈍くなったことを察して、摩利がこっそりと耳打ちしてきた。

「視えるのよ、たかなし雑貨店が」

 摩利も何度かお世話になってるので、たかなし雑貨店のことは良く知ってる。

「本当?いったい誰が妖魔と関わってるんだろう?」

「分からないけど、少し調査したほうが良いわね」

 円は気を引き締めて学校に向かった。


 午前中の授業が終わり、昼食を摂った後、円は他の実行委員会のメンバーと一緒に体育祭の飾りを作っていた。

「やれやれ、こんな大きなゲート作る必要、あるんかねー?」

 運悪く実行委員会に任命されたオカルト研究会の副会長、栗花落愛奈つゆりまなが、如何にもやる気のない愚痴をこぼしていた。

「ちょっと、栗花落さん。用具室に道具を取りにいくわよ」

 円は実行委員会の責任者なので、サボりは許さない。

「ちょいちょーい。別にサボってないっしょー!ちょっと愚痴っただけじゃん!」

「はいはい。分かったから早く行くわよ」

 円は栗花落の首根っこを掴んで引きずって歩いた。体育館の用具室は埃っぽい。さっさと用を済ませて出て行こうと思っていた円だったが、

「おっと!シャッターチャンス!」

 栗花落がジャージのポケットからスマホを取り出し、何かを撮影していた。

「ちょっと、栗花落さん!遊んでる暇は・・・」

 言いかけた円だったが、栗花落が撮影しているモノを視てしまった。そこにはほぼ白骨化してる髑髏が立っていた。

(なんでここは、何度退治されても妖魔が湧くの!?)

 ともあれ、長居は無用だ。円は道具と栗花落の腕を掴んで、全速力で戦略的撤退を図った。

 全速力で走ったので円も栗花落も膝に手を当て、呼吸を整えるのに専念する。

「大丈夫ですか、平良先輩?雑用なら私たちでやりますよ?」

 良く出来た後輩が声をかけてくるが、円は大きく首を振って上体を起こした。

「大丈夫よ。やることが多いからみんなで分担しなきゃね。さあ、みんな!頑張って準備するわよ!」

 同級生も後輩も元気に返事をくれるが、栗花落はスマホを操作して先程の画像を確認している。円は無言でそれを取り上げる。

「わわっ、何すんの、平良ちゃん!」

「授業中はもちろんだけど、クラブ活動中もスマホの使用は禁止よ!」

「えー!?今はクラブ活動してないじゃーん!」

「帰宅部の私が活動してるんだから、実行委員会の仕事はクラブ活動と一緒よ。それとも、フォルダ内の画像を全部消去しようか?」

「むー、厳しいなー平良ちゃんはー。分かったからスマホ返して、お願い!」

 両手を合わせる栗花落に円はスマホを差し出す。

「次にやったら先生に報告するからね」

「はいはーい。真面目に努めるから許してちょ」

 そうして、実行委員会の仕事はつつがなく進んだ。


 平良環と榊美甘は学校帰りに駄菓子屋に寄り道していた。二人して店の前にあるペンチに座り、他愛もないお喋りに興じていた。そこに大成高校一年生の四月一日光(わたぬきひかる)が通りがかった。

「お、君たちは円先輩の」

「こんにちはー!」

「こ、こんにちは」

 美甘は元気一杯に挨拶をするが、人見知りの環はまだ慣れていないようだ。

「そういえば、小学校でも運動会があるんじゃないか?」

「はい、毎日みんな頑張ってます!」

「そうかー。ところで韋駄天とかいうやつと遭遇してないか?」

「イカ天?」

「いや、韋駄天。遭遇してないならそれで良いんだ。それじゃーな」

「そういえば、お兄ちゃんのランニンクのコーチしている人が韋駄天とか言ってたような・・・」

 美甘の呟きを四月一日は聞き逃さなかった。

「!それは本当かい?いつ走ってるんだ?」

「あ、早朝です。毎日走りに出てます」

「そうか、ありがとう!それじゃあな!」

 四月一日はあっという間に姿を消した。

「いったい何だったのかしら?」

「うーん、さあ?」

 小学生たちは首を捻るばかりだった。


 放課後にも仕事をしていた円は、ようやく一段落して、下駄箱に向かっていた。栗花落はオカルト研究会の部室に向かった。オカルト絡みだと途端にやる気を見せる困ったちゃんだ。部活を終えて待っていた摩利に声をかける。

「摩利、お待たせー」

「うん、お疲れ、摩利」

 靴を履き替え、二人は校門を抜けた。

「摩利、この後付き合ってくれない?」

「ん?別に良いけど、買い物?」

「いや、今朝、たかなし雑貨店が視えたからね」

「本当?今度は誰が妖魔と関わってるんだろう?」

「分からないけど、店に行けば何か手掛かりが得られるかもしれないでしょ?」

「ふむ。体育祭も近いしね。後顧の憂いは断ったほうが良いね」

 二人は商店街に辿り着いた。半分はシャッター街になっているが、そこにあるはずのない店がたまに出現することがある。妖魔退治の専門家、夢想士の経営する雑貨屋である。

 円は趣のある扉を開いた。ドアチャイムが鳴り、カウンターの向こうにいた人物が振り向いた。

 長い髪をポニーテールにまとめ、派手な柄のポンチョを着込んだ、二十代半ばくらいの美女がそこにいた。小鳥遊永遠(たかなしとわ)。駄菓子から防具や武器まで売っている雑貨屋の主だ。そしてA+ランクの夢想士でもある。

「やあ、円ちゃん、摩利ちゃん。久しぶりだね」

 会うのは文化祭ぶりかもしれない。

「こんにちは、とわさん。ご無沙汰してました」

「本当にね。それだけこの街が平和だったんだから、ことほぐべきなんだろうけどね」

 円たちがカウンター席に着くと、直ぐに湯気を立てるコーヒーカップが置かれた。

「それで?今日はどんな用件かな?」

「実は今はまだ何も起こってないんです。でもこのお店が視えたので、誰かが妖魔に関わってるんじゃないと思いまして」

「ふむ。そういえば大成高校は体育祭が近いね」

「はい。私は実行委員会に任命されたので、毎日大忙しです」

「ふむ、体育祭、体育祭。色々と出現する日ではあるけど・・・」

 とわは顎に手を掛け思いを巡らしている。

「誰か長距離走を走る知り合いはいないかい?」

 その問いに円と摩利は顔を見合わせた。

「誰かいたっけ、円?」

「ちょっと待って・・・あ、思い出した!」

 円は思わず立ち上がった。

「神酒くんが四百メートル走に出場するから、早朝にランニングしてるって言ってたわ!しかも誰かコーチがいたとか仄めかしていた!」

「ふむ。とすると韋駄天かもしれないな」

 とわは視線を落として呟いた。

「韋駄天?」

「確か仏教を守護する諸天善神の一人だっけ。足が速いっていう神様!」

「おっと、円ちゃんは物知りだね。そうだよ。この時期になると、長距離走の練習をしてる学生をコーチする妖魔だ」

「妖魔がコーチをしたりするんですか?」

「まあ、無事に成果を上げたら、代わりに生命エネルギーを奪われるけどね」

「えっ!大変じゃないですか!?」

「まあ、死ぬほどエネルギーを吸い取るわけじゃない。それでも入院レベルに衰弱するけどね」

「大変だ!神酒くんに教えないと!」

「いや、張り切って練習してるんじゃないかな?多分、円ちゃんに良いところを見せたいんだろう」

「命の危険を犯してまでやることじゃありませんよ!」

 とわは天井を仰いで何事か考えていたが、直ぐに円に視線を戻した。

「円ちゃんは神酒くんの早朝ランニングの時間に起きられるかい?」

「友達の危機じゃないですか!当たり前ですよ!」

「ふむ、そこで即答出来るのが円ちゃんの良いところだね。じゃあ韋駄天と一緒に走ってる神酒くんを捕まえて欲しい。彼も円ちゃんの言葉なら聞くだろう」

「とわさんは来てくれないんですか!?」

「勿論行くよ。私が駆けつけるまで足止めをしてくれたら良い。結界のブレスレットは持ってるだろうね?」

「いつも、左手首に嵌めてます!」

「オーケー。もし韋駄天が攻撃してきても大丈夫なように、気をしっかり持つんだよ」

「は、はい!勿論です!」

「よし、それじゃあまた明日会おう!」


 店を出て振り向くと、閉じられたシャッターがあるばかりだった。

「何か今回のとわさん、変じゃなかった?」

 円は胸中に芽生えた違和感に戸惑っていた。

「そう?いつもあんな調子じゃなかった?」

「うーん、気のせいかな?今日は早めに寝て明日に備えなきゃ」

「私も付き合うよ、円。午前5時くらいで良い?」

「今日もウチに美甘ちゃんが来てるだろうから、いつも何時頃から走ってるか聞いておくよ。後でまた連絡するわ」

「オーケー、それじゃあね!」

 商店街の出口付近で摩利と別れた。後は早速聞き込みをするだけだ。


 いつもより2時間早くセットしたアラームに起こされ、円はベッドから滑り降りた。パジャマを脱ぎ捨て制服に着替える。まだ母が寝ているので自分でコーヒーを入れてトーストを齧った。母には今日は早く学校に行くと言ってあるから、まだ家族は夢の中だろう。

 カバンを肩に引っ掛けて静かに玄関の扉を開け閉めする。エレベーターで一階まで降りると商店街に向けて歩を進めた。すると、同じく制服を着た摩利が手を振っていた。

「おはよー!ごめんね、付き合わせて」

「何の、親友のためとあれば。それで?榊くんはもう走ってるの?」

「川沿いを何周も走ってるらしいから、ここで待ってたらそのうち来るわ」

 言っている傍から誰かが走って来るのが見えた。

「あっ、榊くんだよ!その隣、顔は知らないけどウチの学校のジャージを着てるわ!」

「よし、呼び止めるわよ。神酒くーん!」

 円の声が聞こえた神酒は走る速度を落とし、ついでに肩も落としていた。何故かは分からない。

「ちょっとあんた!妖魔だよね!」

 空手部のエース、摩利が一歩前に出て啖呵を切った。

「ああん?榊神酒。俺のことを教えたのか?」

「そ、そんなことするわけないだろう!?早朝ランニングしてるのは秘密にしてたのに!」

「どちらにしても、これで契約はご破算だ。生命エネルギーを頂くぞ」

 韋駄天が神酒の首に手を掛けた。

「させないよ!」

 摩利は地を蹴って距離を詰めた。得意のハイキックを放つが、

「邪魔をするな」

 もう一人の韋駄天が摩利の身体を吹っ飛ばした。幸い、結界で守られて摩利は

無事だったが、韋駄天はさらにもう一人増えた。

「ふふふ、三人分の生命エネルギーを奪ってやる!」

「このうっ!」

 摩利が突きや蹴りを放つが、韋駄天は全ての攻撃を捌いて見せた。そして、残った一人が猛スピードで円に向かって突っ込んで来た。

「わあっ!」

 円は反射的に両腕でブロックしようとしたが、韋駄天は結界にぶつかり、それ以上は近づいて来れない。

「結界か!小癪な!」

 目にも止まらぬスピードで結界に攻撃を打ち込んでくる。このままでは結界もいつまで保つか分からない。

(あー、せめて上級妖魔の結界に入った時みたいに、剣とかあれば戦えるのに)

 身体を縮こまらせていた円の右手に、ずっしりとした重みが生じた。確認すると、それは以前、とわに貸してもらった剣だった。

「さあっ、その剣で韋駄天を斬るんだ!」

 背後からのとわの声に押されて、円は剣を振りかぶり、斬り下ろした。

 韋駄天の左肩から右胸にかけて斬り裂かれる。

「バ、バカな!夢想士でもない小娘が!」

「よし!円ちゃん、首を跳ねるんだ!」

 とわの指示に従い、円は剣を振り上げ横に薙いだ。韋駄天は身体が崩れて塵になってゆく。

「おいっ、ポンチョ!円先輩を危険に晒すな!」

 錫杖を持った四月一日が、神酒の首を締めている韋駄天に向かっていった。

「さて、次は摩利ちゃんのほうか」

 とわは赤い石を投げて韋駄天の背中に爆発を生じさせた。

「ぐおあっ!」

 摩利を攻撃する手を止めた韋駄天は、憎悪の表情で振り向いた。

「おのれ!小鳥遊永遠!」

「名前を知られてるとは光栄だね」

 とわは手にした日本刀を抜いて距離を詰める。韋駄天は自慢の足で逃げようとするが、その足元も爆発して動きが止まった。

「これで終わりだ!」

 とわの刀が韋駄天の首を跳ねた。塵になって行くのを横目に、とわは神酒と四月一日の元に駆けた。

「雷撃!」

 四月一日の錫杖から稲妻が走るが、韋駄天は得意の足を使ってその攻撃を巧みにかわしていた。しかし、その足元に爆発が生じ、動きが止まる。

「今だ、少年!」

「うっせえ!分かってる!」

 四月一日は錫杖を構え、韋駄天の首を狙って稲妻を放った。首を失った身体は地面で塵に還ってゆく。

「おのれ・・・忌々しい夢想士どもめ」

 残った頭部に刀を刺して、とわがトドメを刺した。

「少年。神酒くんの容態はどうだ?」

「少し吸われてるが気を失っているだけだ。記憶を消しておくか?」

「そうだな。頼む」

 そのやり取りと、自分の手にしている剣を交互に見て、円は声を上げた。

「と、とわさん!私、剣のことをイメージしたら本当に出現しました。これはとわさんが?」

「いや、君が顕現させたんだよ。あたしも正直驚いたよ。武器を具現化するのは夢想士でもBランクに相当するからね」

「む、夢想士!?私が?」

「私の見立てに間違いはなかったか。円ちゃん、君は夢想士になれる素質がある」

「そ、そんなこと言われても困りますよ!」

 円は手にした剣を放り投げて両手を上げた。

「私は普通に高校生活が送れたらそれで良いんです!夢想士なんてとんでもない!」

「でも、君は困ってる人、とりわけ妖魔に憑かれた人は放っておけないだろう?」

「そ、それはそうですけど・・・」

「動機は何だって良い。夢想士としての才能を持ってるのに、それを生かさないのは勿体ないよ」

「おい、ポンチョ!円先輩を困らせるな!無理強いすることじゃねーだろ?」

 錫杖を手にした四月一日が怒鳴る。

「確かにその通りだが、円ちゃん。大事な弟や友達が妖魔に狙われたら黙っていられないだろ?」

「そ、それはそうですけど」

「幸い、今朝は早い。登校まで時間があるだろうから店までおいでよ。基本的な呼吸法や瞑想のやり方を教えてあげるから。それで身体能力を大幅に向上させることが出来る」

 戸惑う円を置き去りにサクサクと話が進んでゆく。

「少年と摩利ちゃんは気を失ってる神酒くんを、自宅まで運んであげてくれ」

「あ、はい!」

「おい、ポンチョ!勝手に決めるんじゃねー!」

 外部の声を完全にスルーして円ととわは雑貨店に向かった。


 それから三日後。体育祭は無事に幕が上がった。四百メートル走では神酒は残念ながら二位となり、思い切り凹んでいた。仁美は二人三脚で思い切り転けていた。身長差が十センチもあるコンビでは歩幅も違うから、無理からぬことではあった。円も実行委員会として忙しく働き、ようやく最後のキャンプファイアまでこぎ着けた。

「はあ、やっと終わったね、平良ちゃん」

 隣でへたり込んでいる栗花落は相変わらずスマホを弄っている。

「栗花落さん。良い写真は撮れた?」

 円が水を向けると栗花落はオーバーアクションで肩を竦めた。

「やっぱり文化祭の時ほどは被写体に恵まれなかったねー」

「そっか。まあ平和が一番だよ」

「平良ちゃんはダンスに参加しないのー?」

「柄じゃないし、この後にも仕事があるからね」

「はあ。実行委員会に推薦されるとは思わなかったよ」

「私もだよ。でも、これはこれで良い思い出になるのかもね」

 円はキャンプファイアの火を見つめながら、感慨深く呟いた。


 翌日。アラームを昨日の設定のままにしていたことに気付かす、円は随分と早起きしてしまった。仕方ないので制服に着替えて朝食を済まし、早めに家を出た。

 特に予感があるわけではなかったが、商店街のシャッター街の中に、たかなし雑貨店を見つけた。円は時間に余裕があるので寄って行くことにした。

「おはようございます!」

 扉を開くと何時ものごとく、とわがカウンターの向こうで振り返った。

「おう、おはよー、円ちゃん!」

 とわはいきなりコーヒーのソーサーを投げつけて来た。驚いた円だったが、その瞬間に時の流れが遅くなり、円は余裕でソーサーを手でキャッチした。

「いきなり、何をするんですか、とわさん!?」

「いやいや、喜ばしいよ。わずか数日の修行で疾走状態オーバードライブが使えるようになるとはね」

「それを確かめるために投げつけたんですか?もし受け損なって怪我をしたらどうするんですか?」

「その時は誠心誠意、謝罪をするさ。まあ、座りたまえ」

 円はカウンターの上にカバンを置き、いつもの席に座った。程なく出てきたコーヒーは、自分で淹れたものより遥かに美味しかった。

「いやー、Cランクすっ飛ばしていきなりBランクになるとは、前代未聞だよ」

「何の話ですか?」

「勿論、夢想士の話さ」

「それなら、買い被りです!私は・・・!」

「さ、これを渡しておこう」

 とわはポンチョの下から一枚のカードを取り出した。それはどういう仕掛けか、カードの上に立体映像が浮かんでいた。そこには円の名前とBランクという称号があった。

「困りますよ!私、そんなつもりは!」

「まあ、まずは落ち着いて話を聞いてくれないか、円ちゃん」

 夢想士のIDカードをカウンターの上に置き、とわが真剣な顔で話し出した。どうも冗談を言えるような雰囲気ではなかった。

「実は隣の鳴神市で夢想士と魔王軍との、大がかりな戦闘が始まりそうなんだ。そのせいで有力な夢想士たちに召集がかかってね。私も参加せざるを得なくなった」

 突然の壮大な話に円は二の句が継げなかった。

「そんな!今後、妖魔の案件が発生したらどうすれば!?」

「だから、円ちゃんを急ごしらえでBランクにしたんだ。後は少年もいるしね。戦闘では役に立たないが、鑑定士の仙道弥子(せんどうやこ)もいる」

「四月一日くんのお兄さんは?確かとわさんと同じA+ランクの夢想士なんですよね?」

「勿論、その四月一日翔(わたぬきしょう)も、鳴神市の戦闘に参加する。お陰で他の街は手薄になってしまうが、上級妖魔はほとんどこの戦いに参加する。残るのは精々Bランク程度だ。円ちゃんでも退治出来るレベルだ」

 しばし、俯いていた円だったが、顔を上げると涙が零れた。

「その戦いはいつまで続くんですか?」

「かなり大がかりな戦闘になるだろうから、いつ終わるか分からない。そもそも魔王に勝てるかどうか怪しいしね」

 とわは苦笑を浮かべて、円の涙を指先で拭き取った。

「でも、約束するよ。あたしは必ず帰って来る。たかなし雑貨店はしばらく見えないだろうが、また視える日が来る。それまで留守を頼むよ、円ちゃん」

「約束ですよ!必ずまたお店を開いてください!」

 円は右手の小指を差し出した。

「ははっ、オーケー。約束するよ」

 円ととわの小指が絡んだ。それは誰にも冒せない神聖な約束だった。


 一週間後。円は朝食を食べながらテレビのニュースを見つめていた。鳴神市でテロリストと警察の攻防が始まって三日になる。表沙汰に出来ない夢想士の活躍は勿論、ニュースに取り上げられないが、円はとわの無事を祈っていた。


 弟の環と榊兄妹と一緒に通学路を歩いていると、商店街の入り口付近で親友の摩利が待っていた。何故か四月一日と一緒だった。

「みんな、おっはよー!」

「おはよう、摩利。四月一日くん」

 合流してしばらくすると、摩利と四月一日が歩を緩めた。

「円、とわさんから連絡は?」

「まだないわ。今はまだ余裕がないのかもしれないわね」

「円先輩、兄貴の話だとポンチョも無事のようですよ。今はまだ激戦状態で予断は許せないようですが」

「そう。でも、とわさんは必ず帰ってくる。私と約束したからね」

 円は常に持ち歩いている紫水晶アメジストを取り出した。

(必ず生きて再会できるはず。そうですよね、とわさん!)

 円は紫水晶を握り締め、妖魔の出現率の高い、大成高校に向かうのだった。










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たかなし雑貨店は今日も営業中 百花屋 @AIDA1969

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