第5話 逢わせ鏡
「ねえ、本当にやるの?」
美甘は雲母に再確認する。
「七不思議の噂が本当かどうか確かめるだけだって」
雲母はツインテールの髪を揺らして、楽しげに手鏡を掲げる。
「でも、噂が本当だったらどうする?鏡の世界に引きずり込まれるよ」
少し引き気味の美甘は周りを見渡し、再度警告をする。
「大丈夫だって!あんなのただの噂だよ」
雲母は手鏡を自分に向けて、大鏡の前に背を向けて立った。
「ほら、何ともないじゃん!」
しかし、美甘は大鏡がどす黒くなり、そこから手が出てきたのを目撃した。
「雲母!鏡から離れて!」
「え?わあっ!?」
手が雲母の首根っこを掴み、引きずり込もうとしている。美甘は慌てて手を伸ばすが雲母の手は届かず、鏡の中に入り込んでしまった。
美甘もパニック状態に陥り、急いで階段を駆け上がった。
そこで、同じマンションに住む
「美甘ちゃん?どうしたの、顔が真っ青だよ?」
美甘は環の腕をがしっと握った。
「環くん!今日も一緒に宿題しよう!」
「え?あ、うん。いつも通りにね」
環はキョトンとしているが、どうしても平良家に行く必要があった。環の姉の
「円お姉ちゃんに、相談したいことがあるのよ!」
美甘は切実に訴えた。
平良円は図書室で同じマンションに住む幼なじみ、
「ねえ、円ちゃん。七不思議の新ネタがあるんだけど」
勉強に飽きた仁美はペンを回しながら唐突にそう言った。
「何よ、仁美。オカルト研究会で仕入れたの?だけど新ネタって、七不思議なのに数が増えていってない?」
「うーん、私もそう思うけど仕入れちゃったんだから、仕方ないよ。部室棟の階段の踊り場に大きな鏡があるんだけど、ここで合わせ鏡したら鏡の世界に引きずり込まれるって噂」
「ありがちだねー。でも行方不明になった生徒の話なんて聞かないし、やっぱりただの噂だね」
「ねえ、先輩も誘って行ってみない?」
ここでいう先輩とは円の親友で空手部のエース、
「えー、面倒くさい。行きたいなら仁美が一人で行きなよ」
「そ、そんな。一人じゃ怖いしー」
仁美はオカルト研究会に籍を置き、怪談とか好きな癖に怖がりなのだ。円からすれば矛盾してると思うのだが、本人はそんな矛盾に気付いてない。
「おっと、そろそろ部活が終わる頃だね。仁美、そろそろ帰るよ」
「えーー」
「ブー垂れても部室棟には行かないからね」
「ブーブー」
ブー垂れながらも教科書やノートをカバンに仕舞ってゆく仁美。そして二人連れだって下駄箱に向かう。
靴を履き替えていると、摩利がやって来た。ショートカットの健康美溢れる女生徒だ。
「やっほー、待たせちゃった?」
「ううん。私たちも今来たばかり」
「ん?仁美ちゃんがご機嫌斜めに見えるけど?」
摩利は仁美の顔を覗き込んだ。
「八月朔日先輩!円ちゃんが私のお願いを聞いてくれないんです!」
「はあん。仁美ちゃん、七不思議関連でしょ?好きだねー」
「そんなのに積極的に関わらないほうが良いよ」
円は視線を上げると下駄箱の隅に立つ、半透明の女生徒の姿を視ながら断言した。
幼い頃からこの世ならざる者が視える体質だった円は、基本的にスルーすることにしている。簡単な浄霊なら出来ないこともないが、素人の円は積極的にそんなことをする愚か者ではない。
「じゃあ、帰ろっか」
三人は校門に向けて歩いて行った。
通学路である商店街の前で摩利と別れると、円と仁美は途中からシャッター街になる商店街を歩いていた。
(あれ?)
一件の店が視界に映った。それは普通の人間には視えない特別の店だった。
(今日は怪異には出会ってないのに)
円でも用が無い時には視ることはない。
(誰か怪異に行き逢ったのかな?)
でも、仁美の誘いは断った。なのに店が視えるとは。円は頭を捻りながらマンションに向かった。
仁美と別れて八階の自宅に帰宅する。
「ただ今ー」
玄関には見慣れた靴があった。
(美甘ちゃん、今日も来てる)
円は自室で制服を脱いで部屋着に着替えると、リビングに向かった。
「やっほー、美甘ちゃん、いらっしゃーい」
「お帰りなさい、円お姉ちゃん」
「おかえりー」
弟の環と美甘は今日も宿題を一緒に片付けていた。
「ただ今ー。二人とも毎日頑張ってるね」
「あ、あの、円お姉ちゃん!」
美甘が何やら言いたげに見つめてくる。
「美甘ちゃん、どうかした?」
「ちょっと大事な話が、あるんですけど」
何やら深刻そうだ。
「それなら、お泊まりセット持って来なよ。じっくり話を聞かせてもらうよ」
「はい、ありがとうございます!」
美甘はテーブルに広げていた教科書やノートを仕舞い、ランドセルを背負った。
「すぐに戻ります!」
パタパタとスリッパの音を鳴らして、美甘は玄関に向かった。
「環、美甘ちゃんに何かあったの?」
「うーん、美甘ちゃんじゃないんだけど、クラスメイトが一人、行方不明になってるんだ」
それを聞いて円は目を見開いた。それで今日は店が視えたのか。
円と環、美甘の三人でお風呂に入った。いつものように恥ずかしがる環の全身を洗ってやり、三人で身体を重ねて湯船に浸かった。
「鈴鳴小学校にある七不思議の話なんです」
美甘は今日の出来事について、詳細に語った。円は目を細めて唸った。
(ウチの学校と似た七不思議だけど、本当に鏡の世界に引きずり込まれたのか)
この時点で円は自分のやるべきことが分かっていた。
「分かった。安心して、美甘ちゃん。お姉ちゃんが頼れる人に相談するから」
「はい、お願いします!」
風呂から上がるといつもなら対戦ゲームをするところだが、今夜はあそこに行かねばならない。
「お母さん、私ちょっとコンビニに行ってくるね」
「こんな時間に?気を付けなさいよ」
「分かってる。行ってきます」
円は財布とスマホだけを持って商店街に向かった。
シャッター街の最後。そこにある店は特別な店だ。看板には『見えないはずのモノを視たことはありませんか?誰にも言えない悩みを解決します』と書かれている。
たかなし雑貨店。怪異のオーソリティーがいる店だ。円が扉を開くとドアチャイムが鳴った。
「おや、円ちゃん。いらっしゃーい。私服姿は何だか新鮮だね」
たかなし雑貨店のオーナー、小鳥遊永遠(たかなしとわ)が、気安い挨拶をくれる。
年齢は二十代半ばくらい。長い髪をポニーテールにまとめ、派手な柄のポンチョを身に付けている。
「まあ、座りなよ。今、コーヒーを入れるから」
円はカウンター席に座り、頭の中で話をまとめる。やがて出されたコーヒーを、一口飲んで円は口を開いた。
「今回は
円は美甘から聞いた話を詳細に、正確にとわに伝えた。
「ふうむ、大成高校以外で
とわは腕を組んで目を閉じた。妖魔とは人の空想と負の感情によって生み出される化け物だ。そしてとわは、その妖魔を退治する専門家、
「まあ、沸きやすい場所ならどこにでも妖魔は現れるからね」
と、話していると店の扉が開かれドアチャイムが鳴った。
「え?あっ、美甘ちゃん!?」
「円お姉ちゃん。このお店は何ですか?」
「美甘ちゃん、後をつけてきたの?でも、どうしてこのお店を?」
すると、とわが大声で笑った。
「はっはー、別におかしくはないよ、円ちゃん。このお店は視てしまった人なら、誰にでも視えるんだよ。円ちゃんみたいな特別な体質でなくてもね」
「円お姉ちゃん、その人が霊能者の人ですか?」
「え、ああまあ、そうだね」
正確には夢想士なのだが、説明が面倒だ。
「お姉さん、お願いです!親友を助けてください!」
美甘はカウンターに乗り出すようにして、必死に訴えた。
「まあ、まずは大人しく座りなよ。詳細は円ちゃんから聞いてるから」
とわは流石に小学生にはコーヒーを出さず、ホットミルクをカウンターに置いた。
「世の中には本当に危険なこともあるんだよ。七不思議なんて迷信だと思い込んで下手に関わると、今回みたいな困った事態になる。これからは危ないことには近づかないことだね」
「・・・はい、反省してます」
美甘はシュンとしている。
「まあ、お説教はそれくらいで良いじゃないですか。それで、美甘ちゃんの親友を助けることが出来るんですか?」
円が口を挟むと、とわは腕を組んで息を吐く。
「鏡の中に自分の結界を作ってる。これはどう考えても上級妖魔の仕業だね」
「上級・・・妖魔ってなんですか?」
結局、美甘が聞いたので説明することになる。
「妖魔ってのはね、人の空想と負の感情によって生み出される化け物だよ」
円の説明に美甘が首を捻る。
「幽霊とは違うんですか?」
「幽霊は基本的に無害だ。最も、負の感情エネルギーの影響を受け続けると妖魔化することはあるけどね」
とわはより詳しい説明をする。学校の七不思議も、無害なものが有害になったものがあるかもしれない。
「さて、美甘ちゃんといったかな?まずはこのブレスレットを着けておいて。もしもの時に君を守ってくれる」
パワーストーンのブレスレットを、美甘は右手首に装着する。
「そして、これを必ず持っていくこと」
とわは次に
「この石は何のために?」
「小学校に部外者が入ることは出来ないだろう?その石を持っていたら、あたしはどこにでも入り込める。GPSみたいなものかな?」
「ふーん」
美甘は紫水晶をまじまじと眺めていた。
「それじゃあ、とわさん。後はよろしくお願いします」
円は席から下りて頭を下げた。美甘も慌てて頭を下げる。
「まあ、そんなに畏まらなくて良いよ。あたしの仕事だからね」
とわは手を振って円たちを見送った。扉が閉まり振り向くと、たかなし雑貨店は消えていた。
「えっ!?円お姉ちゃん!お店が消えました!」
「たかなし雑貨店は必要な時に現れるけど、いつもそこにあるわけじゃないんだよ」
「うーん、不思議ですね。でも、これなら雲母を助けられそう!」
「お友達は雲母ちゃんっていうの?」
随分とファンシーな名前だ。
「はい、あたしの親友です!」
「そっか、でも大丈夫。とわさんに任せれば上手く行くよ」
円は美甘と手を繋いでマンションに帰宅した。
翌日、マンションのエレベーターが開くと先客がいた。美甘と兄の
「おはよう、円さん。昨夜はまた妹がお邪魔して。迷惑かけなかったかな?」
「お兄ちゃん、あたしは優等生だよ!」
自分で言うところが美甘らしい。そして、三階に着くと幼なじみの仁美が乗り込んできた。
「おはよー、みんなー!」
「おはよう。無駄に元気だね、仁美」
「むー、そんな言い方ないでしょ、円ちゃん!」
「だって事実でしょう?」
例によってかしましく騒いで歩いていると、小学生たちと別れる場所に辿り着いた。
「それじゃ、美甘ちゃん。ちゃんと昨夜の計画通りやるんだよ」
「はい、円お姉ちゃん!行ってきます!」
美甘と環の背中を見送っていると、美甘の兄である神酒が訝しげに聞いてきた。
「円さん、計画って?美甘のやつ何か迷惑かけてない?」
「ああ、全然大丈夫だよ!ちょっとした乙女の秘密だから」
円は冗談めかして話をはぐらかす。普通の人はなるべく関わらないほうが良い。商店街の入り口で摩利と合流して、四人は学校に向かった。
美甘は午前中の授業が終わると階段の踊り場にやって来た。
(円お姉ちゃんと、とわさんはここで待つように言ってたけど・・・)
美甘が大きな鏡を眺めていると、影の中からいきなり、とわが姿を現した。
「わあっ!」
美甘はビックリして尻餅をついた。
「おっと、驚かしてしまったかな?」
ポニーテールに派手なポンチョを着た美女は小鳥遊永遠だった。
「と、とわさん!一体どうやって!?」
「ただの影移動だよ。昨夜渡した紫水晶は美甘ちゃんのいる場所を知らせる探知機みたいなものなんだ。それにしても・・・」
とわは鏡に手を当てて、少し眉間にしわが寄った。
「これは相当厄介な代物だな」
そう言うと鏡に呪符を貼り付けた。
「さ、美甘ちゃん。鏡を出して」
「あ、はい!」
美甘は用意していた手鏡を取り出し、大きな鏡を背にして合わせ鏡を行った。
すると、大鏡が暗く淀んで長い手が伸びてきた。
「急急如律令(きゅうきゅうじょりつりょう)!」
とわが呪文を唱えると美甘は鏡に吸い込まれた。
そこは奇妙な植物が生い茂り、奇妙な動物がいる、奇妙な世界だった。
「と、とわさん!ここは!?」
いつの間にか日本刀を握っていたとわに問いかける。
「鏡の中の世界だよ。さて、美甘ちゃんのお友達を探しに行こう」
「は、はい!」
美甘は先を歩くとわのポンチョを握って、鏡の世界を歩いてゆく。すると、サッカーボールくらいの爬虫類みたいな蜘蛛が、カサカサと近づいてくる。
「ひっ!」
「よっと」
怯える美甘の前に出たとわは。日本刀で次々に切り裂いてゆく。
「中級妖魔も沢山湧いてるな。急ぐよ、美甘ちゃん!」
「は、はい!」
二人は急ぎ足で鏡の世界を探索する。
「ほら、円ちゃん。これが例の鏡だよ」
昼休みに、部室棟に行こうと駄々をこねる仁美に、根負けした円は結局来てしまった。
「どう見ても普通の鏡だけどね」
すると、仁美は折り畳みの鏡を取り出した。
「ちょっと!何してるのよ、仁美!」
「危ない真似は止めたほうが良い」
円の声に誰かの声が重なった。階段の上に立つのは逆立てた髪の男子生徒だった。どうやら一年生らしい。
「
仁美が驚きの声を上げた。
「仁美、知り合いなの?」
「うん、同じクラスの
「えっと、四月一日くん?危ない真似ってどういうこと?」
円が問うと、整った顔立ちの少年が口を開く。
「そのままの意味ですよ。七不思議と軽く捉えていると、危険な目に会いますよ、先輩」
四月一日光は階段をゆっくり降りてくる。
「ん?この波動は・・・」
円の前に立つ四月一日は、目を細めて円の左手首を見つめた。
「そうか、あの女と繋がっているんですね、先輩」
四月一日は口角を上げる。何だか挑発的だなと円が考えていると、
「あ、おい!雲類鷲!何をしてる!」
仁美は合わせ鏡をしていた。すると踊り場の壁に設置された大鏡からぬうっと手が伸びた。仁美の首根っこを掴む。
「わあっ!」
「仁美!」
「雲類鷲!」
円と四月一日は、それぞれ両手を握って踏ん張るが、とんでもない力で無理やり鏡の中に引きずりこまれた。
「わあ、何?ここどこ!?」
「鏡の中に決まってるだろう、このドジっ子め!」
四月一日はじろっと仁美を睨みつけた。しかし、ため息をつくと、空中から棒を取り出した。錫杖とかいう、修行僧が持つ杖だ。
「!?、四月一日くん、君ってひょっとして
「それを知ってるってことは、やはり先輩はあの女と知り合いなんですね?」
四月一日は鋭い視線を送ってくるが、円も負けずに睨み返す。
「あの人は私や友達の危機を救ってくれた恩人だよ。あの女呼ばわりは感心しないわね」
「ああ。じゃあ、あのポンチョって呼びましょうか?」
どちらにせよ無礼な物言いに変わりない。
「まあ、単純に言えば、商売敵なんですよ。せっかく妖魔の情報を得ても、いつもあのポンチョに横取りされる。まったく、腹立たしい!」
(そういえば、とわさんが夢想士は結構いるって言ってたな。お隣の鳴神市なんて、夢想士を養成する学校もあると言ってたし)
「ふうん。まあ、それはそれとして。私たちはここからどうやったら戻れるの?」
「ここは上級妖魔の結界の中です。その妖魔を倒せば出られるでしょう」
そこで四月一日は仁美を睨んだ。
「雲類鷲!俺が夢想士ってことは秘密にしろよ。最も信じる人間なんて多分いないだろうけどな」
「も、勿論秘密にするよ。でも夢想士とか妖魔って何?オカ研で議題にしてもいいかな?」
「するな!人の話を聞いてるのか!?」
円はとりあえずホッとした。とわさんと同じ夢想士なら、妖魔を退治してくれるだろう。
「二人ともそれくらいにして、妖魔を探しにいかない?」
「むー、そうですね。上級妖魔を倒さないとこの結界からは出られません」
四月一日は錫杖を持って歩きだした。円と仁美もその後を追う。しかし、見たこともない植物が生えており、見たことがない生き物らしきモノが動いている。そして空から、巨大なカラスのようなモノがまっすぐ突っ込んでくる。
「四月一日くん!」
「おっと、雷撃!」
錫杖の先から稲妻が迸り、カラスは焼け焦げて落下した。
「凄ーい!四月一日くん、超強い!」「ふ、ふん!夢想士ならこれくらい、どうってことない!」
四月一日は嬉しいような恥ずかしいような、微妙な表情を浮かべていた。
「うん?」
とわは突然足を止めた。何やら辺りを見渡している。
「とわさん、どうかしたんですか?」
「どうやら別経路で侵入した者がいるみたいだね。獲物を横取り・・・もとい、美甘ちゃんのお友達を助けるために、少し急ぐよ!」
「は、はい!」
小型の恐竜みたいな妖魔を一太刀で仕留めるとわ。そして、その場に落ちている水晶の球のような物を拾っている。
「それは何ですか?」
美甘の素直な疑問にとわは、ニンマリと笑って答える。
「これは魔水晶といってね。妖魔を倒したら手に入るアイテムのようなものかな?結構、高額で売れるんだよ」
美甘は思わす半眼になって見つめてしまう。
「あー、勘違いしないでよ!美甘ちゃんの友達はちゃんと探してる。でも、こうして地道に稼がないと、無料で妖魔退治なんか出来ないよ。一応、命がけだからね」
美甘はそれを聞くと何も言えない。こんな危険な仕事に見合う対価など払えないからだ。
「あたしのお願いも無料でやってもらえるんですか?」
「そうだよ。夢想士が無料で退治の依頼を受けるのも、妖魔が落とす魔水晶が目当てだからね。でなきゃ最低でも十万円はもらうところだよ」
それを聞いて美甘はこれ以上追求しないことにした。無料でやってくれるならこんな有り難いことはない。
「ところで、雲母は大丈夫なんでしょうか?」
「引き込まれたのが昨日だから、まだ大丈夫だよ。妖魔は人間の生命エネルギーを糧にしてるけど、一晩で吸い付くすことはないよ」
それを聞いてとりあえず安心したが、この世界は異様に広い。まだ雲母を見つけられていないし、寄ってくる妖魔を倒しながらの移動なので時間がかかっている。
「およ?美甘ちゃん、取りあえず安心して良いよ。どうやらここにお友達がいるはずだ」
とわが見上げているのは、純和風のお城だった。この鏡の世界の主が住んでるのだろうか?
「あー!とわさん!美甘ちゃん!」
不意に名前で呼ばれて驚いたが、声のした方向を見ると、円と仁美、そして知らない男の人がいた。
「小鳥遊永遠!また手柄を横取りする気か!」
四月一日が錫杖を突きつけて怒鳴る。
「おや、少年。まさか円ちゃんたちとやって来るとは驚きだよ」
とわはいつも通りの調子だが、四月一日は目の敵にしているようだ。
「四月一日くん、落ち着いて!私の知り合いの友達が鏡の中に引きずり込まれたから、とわさんに依頼して探してもらってるのよ!」
「うん、まあその通りだ。少年、君と張り合ってる暇はない。早く救出しないと、命の危険度が上がってゆくからな」
「ちっ、分かった。被害者の救済が第一だからな」
取りあえず喧嘩にならなくて良かった。一行は城に向けて歩き始めたが、城の扉が開くと魑魅魍魎が大量に飛び出した。
「仁美ちゃんだったね?君もこのブレスレットを着けておいてくれるかな?」
「へっ?あ、はい!」
仁美がブレスレットを装着するのを確認して、とわは四月一日に話しかけた。
「早い者勝ちだよ、少年!」
「ちっ、言われなくても分かってる!」
押し寄せる化け物たちを、二人の夢想士が片付けてゆく。とわは刀で次々と斬り倒し、四月一日は稲妻を撒き散らして焼き殺してゆく。
あっという間に大量の妖魔が姿を消した。そして、とわと四月一日は地面に転がる魔水晶の取り合いでいがみ合っていた。
「少年、これはあたしが倒したやつだ」
「違う!あんたのはそっちの小さいのだ!」
それを見ている三人は半眼になっていた。
「とわさん。早く雲母ちゃんを助けに行きましょう」
円は思わず棒読みになってしまった。
「はっ!?そうだったな!よし、そういうわけで残りは少年に譲ろう」
「何だと!?今さら格好つけるな!」
とわを先頭に城の中に入ると、壁にずらりと、引きずり込まれた人間が磔にされていた。
「あっ!雲母!」
美甘は親友を見つけ出し駆け寄った。
すると、地響きがして、御簾の向こうから飛び出した妖魔が、地面に着地した。頭に白い角を二本生やした鬼だった。
「我が城を荒らすとは、貴様ら覚悟は出来ているのだろうな!」
大音声で身体がビリビリ震える。これが上級妖魔か。
「とわさん!喋りましたよ!?」
「ああ、上級妖魔になると知恵ある魔物になるんだ。取りあえず、君たちには結界のブレスレットを渡してあるから、他の妖魔に襲われることはない。大人しく見物しててくれ!」
とわはそう言うと、鬼に向けて一歩踏み出した。それに対抗する者が一人。
「何、格好つけてんだ、ポンチョ!あれは俺の獲物だ!」
「少年、他に助ける人間が増えた。ここは速やかに妖魔を倒して、この結界から脱出しないといけない。今だけ手を組もう」
「・・・仕方ねーな。じゃあ前衛は俺が勤めるぜ!」
体長二メートルは越える鬼が咆哮を上げて襲いかかってくる。
「食らえ、雷撃!」
四月一日の錫杖の先から稲妻が発射された。マトモに食らった鬼は感電している。
「ぐわああー!」
その隙に懐に飛び込んだとわは、日本刀を振るって鬼の首を跳ねた。その首に四月一日はダメ押しの雷撃を食らわせる。鬼の身体がホロホロと崩れてゆく。
「少年!壁に磔になってる人たちを
「命令するな!今やってる!」
まるで地震のように地面がグラグラと揺れている。円たちも立っていられなくなった。城の外に眼を転じると、あらゆるモノが崩れ始めていた。
「とわさん!鏡の世界が崩れ始めました!」
「ああ!全員救出した!みんな集まるんだ!脱出するよ!」
四月一日が錫杖で床に大きな丸を作っている。とわが呪符をばら蒔くと、丸印に沿ってずらりと直立して並んだ。
「急急如律令!」
呪文を唱えると足元から光が生じて、全員がすっぽりと覆われた。
気がつくと、前に来たことがある廃工場の中だった。地面には十人くらいの人が倒れている。鏡の中に吸い込まれた人たちのようだ。
「ふむ、無事に帰って来られたね」
「当たり前だ!ウチは夢想士の名家だぞ!」
とわと四月一日がいがみ合ってるが、取りあえず放置だ。
「美甘ちゃん、目を覚まして!美甘ちゃん!」
「はっ!?」
上半身を起こした美甘は隣に転がっている小学生にすがり付いた。
「雲母!無事で良かった!起きて、雲母!」
「うーん、あ、あれ?ここはどこ?美甘、私どうしてたの?」
美甘がすがり付いて、すすり泣いた。
それを見て安心した円は、仁美を起こすことにした。
囚われていた人たちは何が何だか分からないまま、それぞれの帰るべき場所に帰って行った。
四月一日は散々毒を吐いて、さっさと姿を消した。
「やれやれ、若いねー。さ、我々も帰ろうか」
「雲母、どうしたら良いですか?ご両親が心配して、捜索願いを出してるんですけど」
美甘が困ってとわに問いかける。
「んー。仕方ない、出張するか。雲母ちゃんのご両親の記憶をちょっと弄らせてもらうよ」
「大丈夫なんですか、それ?」
円はそこはかとなく不安だ。
「大丈夫だよ。夢想士は公的には存在しない存在だ。だから目撃者がいたら記憶を消す必要があるんだ。心配しなくても雲母ちゃんが行方不明になってからの記憶だけ消去するから安心していいよ。さ、美甘ちゃん、雲母ちゃん。行こうか」
雲母は不安げに美甘と話し合ってるが、とりあえず大人しくついてゆく。
「さて、後は仁美にお小言を言って終わりか」
「えっ!?円ちゃん!私何もしてないよ!」
「何言ってんの!合わせ鏡したでしょうが!」
「あ、あれは・・・ちょっとした知的好奇心で・・・」
「却下」
円は仁美の頭に拳骨を落とした。
「おっはよー!みんなー!」
待ち合わせ場所で、摩利が手を振っていた。
「およ?仁美ちゃん、円の拳骨を食らったね?」
「な、なんで分かるんですか、八月朔日先輩!」
「身長が少しだけ伸びてる」
「えっ!?」
仁美は慌てて頭頂部に手をやるが、摩利のにやけ顔を見て、かまを掛けられたことに気付く。
「ほ、八月朔日先輩!」
二人は円を中心にしておいかけっこをする。
「はいはい、二人ともそこまで。遅刻するわよ」
「うーー!」
「はっはっは、ゴメン仁美ちゃん、ほんの冗談だよ」
そうして、かしましく通学路を歩いていると、昨日の少年、四月一日に出会った。
「お、おはよー!四月一日くん!」
「あ、おはようございます、先輩」
昨日の毒気たっぷりの態度は鳴りを潜め、ごく普通の高校生に見えた。
すると、視界の端でスケルトンな妖魔を捉えた。
(あらら、朝っぱらから)
「先輩方、先に行ってください。俺はちょっと寄るところがあるので」
などと言って四月一日は離れていく。
(そこまでして魔水晶ってのが欲しいのかな?)
所詮は住む世界が少しずれた人たちだ。とわさんも四月一日も。円はため息をついて、学校を目指した。視える体質だが、そっちの世界に深く関わろうとは思わない。円は己れの立ち位置を改めて意識して、日常の世界に向けて足を運ぶのだった。
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