第3話 美術室の美少女
色々と怪しげな噂が飛び交う
「神酒くん!」
円が声をかけると、神酒は驚いてビクリと身体を震わせた。
「あー、ビックリした。円さんか」
「そんなにビックリしないでよ。神酒くんも移動?」
「あ、うん。次は選択授業の美術だから」
「そうなんだ、一緒に行こうよ」
「う、うん、良いけど」
すると、野次馬な摩利は目を細めてニヤニヤしていた。
「ほうほう、円ったらいつの間に彼氏作ったの?」
「か、かか、彼氏なんかじゃないよ!」
顔を真っ赤にした神酒が両手を振って否定する。
「何、バカなこと言ってるのよ、摩利。彼は榊神酒くん。同じマンションに住んでて、妹さんが弟に勉強教えてくれてるだけだよ」
「ほうほう、将を射んと欲すればまず馬を射よ、てところかな?」
空手部に所属するショートカットの親友は、硬派かと思いきや、意外とこういう腫れた惚れたが好きな人種である。
「べ、別にそんなつもりは!えっ・・・と?」
「あー、私は円の親友の八月朔日摩利だよー」
「八月朔日さん。根も葉もないことは言わないでよ。円さんも困ってる」
「ほー、下の名前呼びですか?これはいよいよ・・・」
円はスケッチブックで摩利の頭を叩いた。
「いい加減にして!弟がいて、ややこしいから下の名前で呼び合ってるだけよ」
円がツッコむと、摩利はペロッと舌を出した。
「ちょっとした冗談だってば。ごめんね、榊くん」
摩利は片手を上げて詫びを入れる。
「あ、うん。別に良いけど」
話がついて、三人で美術室に向かう。
「そういえば、二人とも知ってる?美術室の七不思議」
「何よ、摩利。そういうの興味なかったんじゃないの?」
「いや、昨日、仁美ちゃんから聞いてね」
「仁美は本当に好きだなー。で、どんな話なの?」
そう尋ねる円の目には、窓の外に立つ女生徒の姿が視えている。ちなみにここは三階だ。円は普通の人に見えないものが視える体質である。過去、七不思議に絡んで怖い思いをしたことがあるので、あまりそういう話はしたくないのだが。
「何かねー、作者不詳の美少女の絵があるんだけど、その子の問いかけに応えると、絵の世界に引きずり込まれるんだって」
「ふーん、ありがちだね」
あまり関わりたくない円は淡白な反応だが、神酒が食いついた。
「でも、そんな絵、美術室にあったかな?」
「そう!私もそう思ってたんだけど、その絵が飾られてるのが準備室らしいよ。あまりにも行方不明者が増えたから、準備室に置いて布で覆ってるらしいって」
(ウソ臭い)
円は白けて半眼になるが、神酒は興味があるらしい。
「へー。そんな絵があるなら一度見てみたいね」
「でしょ?美術の先生に頼んで見せてもらおうか?」
「先生にそんな話したら、怒られそうだけどね」
あまり強く否定してもますます面白がるのが摩利だ。円はそれ以上は口を挟まず、美術室に向かった。
美術室に到着すると、先生が壁に絵画を飾っていた。今まで見たことのない絵だった。淡い色でワンピースの少女が描かれた絵だ。
「せ、先生!その絵は!?」
摩利が質問すると、人の良さそうな美術の先生は笑顔を浮かべた。
「昨日、準備室の中に布を被せられて、ホコリを被っているのを見つけたんだ。良い絵だろう?」
確かにパッと見には可愛い女の子が描かれた絵だが、円は何故か背筋がゾッとしてしまった。
「円、頼む必要なかったね」
摩利は楽しそうに言うが、円は笑うことが出来なかった。
授業中も何だか飾られた絵から、不穏な気配を感じとり、円は彫像のクロッキーに専念出来なかった。そんな時、舌足らずな幼い声が聞こえた気がした。
『私を見て』
円は顔を上げ、声のした方を見た。それはさっき飾られた絵だった。そのすぐ横に神酒がいた。彼にも聞こえたのか、キョロキョロしている。
『私、綺麗?』
「え?うーん・・・」
(神酒くん、答えたらダメ!)
神酒も絵が語りかけてきたとは思ってないだろう。でも、反射的に答えてしまう。
「綺麗というより、可愛いかな?」
『嬉しい・・・』
次の瞬間には神酒の姿が消えていた。円は思わず立ち上がった。
「どうしたの?えっと、平良さん」
先生に問われて円は答えに窮する。
「せ、先生!榊くんがいなくなったんですが」
「うん?ああ、空いてる椅子があるね。トイレじゃないのかな?」
教師はそれ以上、深く考えずに生徒たちの絵を見て回る。隣に座った摩利が顔を寄せてきた。
「円!榊くんがいなくなってるわよ!」
「うん、問いかけに答えたから。ほら、あの絵を良く見て!」
円が指差す先には、可愛い少女と手を繋いでる少年の姿が増えていた。
授業が終わると昼休みなので、生徒たちは教室を出ていった。
「信じらんない。こんなことってあるの?この男の子って榊くんだよね?」
摩利が指差す少年の絵は髪型や顔が、神酒だということを明かしている。
『ねえ、私可愛い?』
またもや声が聞こえた。
「え!?今の円?」
「違うよ!答えちゃダメだよ!」
「いや、流石にこんな状況になったら、答えたりしないよ」
摩利は薄気味悪そうに絵から離れた。
「これはもう、とわさんに頼むしかないなー」
「とわさんって、この間私を助けてくれた人?」
「うん、
「現代の陰陽師って言ってたよね」
以前、摩利が
「こんな不思議現象でも対応してくれんの?」
「分かんないけど、他に頼れる人はいないし」
「まあねー。取りあえず放課後になるまで待つしかないか」
円は榊の荷物を持って美術室を後にした。
そして、放課後。円はさっさと机の上を片付けて、カバンを肩に掛けた。
「円、悪いんだけど、私は部活があるから」
摩利は片手を上げて頭を下げる。
「うん、分かってる。どのみち私たちだけじゃ、どうしようもないからね」
「ゴメン、それじゃ!」
摩利が急ぎ足で教室から出てゆき、円も下駄箱に向かった。
円が下駄箱に到着すると、ツインテールのチビッ子が走ってきた。幼なじみの仁美だった。
「円ちゃん、帰るの?」
「ああ、仁美。あんた、美術室の七不思議を摩利に教えたでしょ?」
「あー、この間オカ研で話が出たから、八月朔日先輩に話したけど、それがどうかしたの?」
「神酒くんが捕らわれちゃったのよ」
正直、仁美も内心では信じてないと思ったが、
「えっ!?噂の絵が本当にあったの?」
驚きながらもその目は好奇心で輝いていた。
「ええ、今、美術室の壁に貼られてるわ」
「私、見てくる!円ちゃん、それじゃあね!」
またもや全力疾走する仁美。
「女の子の問いに答えたらダメだよ!」
「分かってるー!」
仁美の後ろ姿を見送って、円は通学路の途中の商店街を目指して走った。
商店街の半分は閉店した店ばかりのシャッター街になっている。円はたかなし雑貨店を探していたが、こんな時いつも見つけられる店が見当たらなかった。
「そんなー。とわさん、どうしたんだろう?」
しばらく、ウロウロしていた円だったが、店が見付けられず、肩を落として自宅マンションに帰った。
玄関を開けると、見慣れた靴があった。円は部屋にカバンを置くとリビングに向かった。そこには弟の環と、榊神酒の妹、美甘(みかも)が教科書とノートを出して宿題を片付けている。
「いらっしゃい、美甘ちゃん」
「あ、お帰りなさい、円お姉ちゃん」
「お帰り、お姉ちゃん」
円はどう説明すれば良いか分からず、取りあえず姑息な手段を取らざるを得なかった。
「美甘ちゃん、今夜もウチに泊まらない?」
「え、良いんですか?」
「うん。いつも環がお世話になってるからね」
「ありがとうございます!それじゃあ、お兄ちゃんに許可を貰ってきます」
手早く荷物を仕舞うと、美甘はランドセルを背負った。
「あ、あー、それがね。神酒くんも友達の家に泊まるって言ってたよ」
「そうなんですか?じゃあ、お泊まりセットだけ取りに行きます」
美甘が部屋を出てゆくと、円は深くため息をついた。
「どうかしたの、お姉ちゃん?」
環が訝しげに問うてきた。
「ん?んーん、別に何もないわよ。さ、環も机の上を片付けて」
「はーい」
円も自室に入り制服を脱いで部屋着に着替えた。
(どうしよう?誤魔化せるのは精々、今夜一杯だよ)
部屋の窓の外に人影が視える。ちなみにここは八階だ。円は両手をかざして呪文を唱える。
「大いなる光よ、悪しきモノを照らしたまえ」
円の両手から光のエネルギーが流れて、窓の外の人影がいなくなった。
「幽霊とかなら対処出来るけど、妖魔がらみの案件は、とわさんでないと、どうしようもないからなー」
部屋を出るとちょうど美甘が玄関の扉を開いたところだった。
「円お姉ちゃん、お世話になります」
ぺこりと頭を下げる美甘に申し訳なくて、思わず抱き締めてしまった。
「ま、円お姉ちゃん、どうかしたんですか?」
「んーん、別に何でもないよ。夕食までゲームしようか?」
「はい!」
その夜はほんの少しの罪悪感を抱きながらのパジャマパーティーになった。
翌朝、目を覚ますと美甘が隣でぐっすり寝ていた。その頭を優しく撫でる。
(絶対に何とかするからね!)
心に誓った円は美甘を起こしにかかる。母と環、美甘と一緒に朝食を摂っていると、テレビからここ最近、行方不明者が多いと報道されていた。その内の何割が妖魔の仕業なのだろう?円はリモコンを手にして番組を変えた。
カバンを肩にかけると、環と美甘を連れてエレベーターに乗り込む。いつもなら三階で乗り込んでくる仁美がいなかった。円は嫌な予感がした。
(仁美はドジっ子だからなー。まさかとは思うけど)
通学路の商店街に着いたが、やはり、たかなし雑貨店は見つからない。
(うーん、今日の放課後に見つかれば良いんだけど)
途中で摩利と合流するが、いつものメンツが一人欠けてることに気付いた摩利は、他の二人に聞かれないようにして円に耳打ちした。
「榊くんは助けられなかったの?それに、仁美ちゃんもいないけど」
「それが、昨日はたかなし雑貨店が見つからなくて。仁美はまたやらかしてるっぽい」
「えー!?それって不味くない?」
「美甘ちゃんの面倒は見られるけど、流石に二日続いたら、お母さんが怪しむわね」
「どうすんの?」
「とりあえず、今日の放課後にまたお店を探すよ」
それくらいしか思い付かない円は、唇を噛んであせる気持ちを押さえつけた。
学校では当たり前だが普通に授業がある。やきもきしながらも円は放課後が来るのを待った。
ようやくホームルームが終わり終業となった。円は下駄箱に向かおうとしたが、気になって美術室に行くことにした。
「あれ?円、どこに行くの?」
「ちょっと気になるから、美術室まで付き合ってくれない?」
「良いけど、一体どうしたの?」
「今日は一日、仁美の姿を見てないのよ」
「今朝もいなかったよね。ええ!?それってまさか!」
「考えたくないけど、あの子はドジっ子だからね。巻き込まれてる可能性が高いわ」
二人して美術室に入って例の絵を見る。円は深いため息を漏らした。
「この絵、一人増えてない?」
ツインテールの女の子が謎の少女と手を繋いでいた。
「まったく、仁美ってば!あれほど注意しろと言ったのに」
『ねえ、一緒に遊ぼうよ』
またもや、絵の中から声が聞こえた。
「これは手に負えない!摩利、部活は?」
「今日はお休みだよ」
「よし、商店街まで付き合って!」
「ガッテン!」
二人は美術室を飛び出すと、下駄箱に向かって駆けた。靴を履き替えて、商店街に向けて走る。やはり空手部の摩利には勝てず、円は息を切らしながら後を追った。
商店街に着いて、そこからは歩いて移動した。円はもう疲れきって言葉も発っせない。
「しっかりしてよ円。それで、お店はあるの?」
摩利に促されて、円は両手を膝について、シャッター街をぐるりと視る。すると、昨日はなかった看板が見つかった。
「あった!行くよ、摩利!」
「え、私には見えないんだけど?」
円は摩利の手を握った。すると、摩利が目を擦ってマジマジと店を眺めた。
「円と手を繋いだら私にも見えるようになったよ!」
「うん、じゃあ行くよ!」
円は店の扉を押し開けた。ドアチャイムが鳴り、いつもの雑然とした店内に足を踏み入れた。
「いらっしゃーい!おや、今日は友達連れかい?」
ポニーテールに派手なポンチョを着こんだ小鳥遊永遠が出迎えてくれる。
「こんにちはー!」
「うん、こんちゃ。君は確か八月朔日摩利ちゃんだったね」
「先日はお世話になりました!」
のどかに会話している二人の間に円は割り込む。
「と、とわさん!実は学校で・・・」
「おーっと、待った!先ずは心を落ち着けて。今コーヒーを入れるから、二人とも座りなよ」
摩利は早速カウンターの椅子に座った。仕方ないので円も隣に腰を下ろす。やがて、香ばしいコーヒーが出されて二人は口をつけた。
「あ、美味しいですね」
「うん、でしょ?ウチのコーヒーは常連がいるほど評判が良いんだよ」
円も心が落ち着いてきた。
(でも、常連って。いつもあるか分からない店なのに?)
「とわさん、昨日はどうして店が見つからなかったんですか?」
「んん?昨日か。昨日はちょっと他のお客さんの対応をしてたからね。昨日も来てたの?」
「はい!緊急な案件があったから探してたんですけど、見つからなくて苦労しました」
「そっかー。ゴメンねー。この店は必要としてる人の所に繋がっちゃうからね。別件を片付けてたんだよ」
「そうなんですね。どうしようかと途方に暮れてたんです」
「それはゴメンね。さ、今日はどんな事件を持ってきたのか、話してくれる?」
円は昨日の出来事をかいつまんで話して聞かせた。
「ふむ。謎の美少女の絵画ね」
とわは、顎に手を置いて考え込む。
「恐らくはその絵を描いた人物が、かなり想いを込めて描いたのだろうね。そして、久しぶりに日の目を見たことで、妖魔になったんだろう」
「そんなことがあるんですか?」
「うん。それに教室には沢山の生徒がいたんだろ?生命エネルギーを吸い放題だ。そして、目覚めた妖魔は君たちの友達を自分の世界に引きずり込んだ」
「どうしたら良いんですか!?」
「ふむ。先ずは君たちにこれをあげよう」
そう言ってとわは、円と摩利に紫の石を渡した。
「紫水晶(アメジスト)ですか?」
「うん。霊的に強力な石だ。それを持ってるだけで、多少の霊障を避けることが出来る」
「これでどうすれば良いんですか?」
円は紫水晶を覗き込んで尋ねた。
「悪いけど、もう一度美術室まで行ってくれないかな?くれぐれも用心してね」
「それは構わないんですが、とわさんはどうするんですか?」
「部外者は学校に入れないからね。その石を持っていてくれたら、あたしは直ぐに駆けつけられる」
「良く分からないけど、分かりました」
「この時間なら学校の中も人が少ないだろう。さ、行ってらっしゃい」
とわに見送られて、円たちは再び学校に向かう。
「一体どういうことだろうね?円、分かる?」
「それがさっぱり。でもとわさんは今までの実績があるから」
二度目の登校を果たして二人は美術室に向かう。何となく猫足差し足になるのは仕方ないことだった。美術室に到着すると、何だか良くない気配が漂って来た。円は顔をしかめたが、摩利は平気な様子で絵を眺めている。
「よし、お二人さん。案内ご苦労様」
とわの声が聞こえたと思ったら、円の影の中から派手なポンチョを着た人物が、するりと抜け出した。
「わあっ!」
出し抜けの登場に円は尻餅をついた。
「と、とわさん!」
「影移動だよ。目印はさっきの紫水晶だ。それさえあればどれだけ遠くにいても、駆けつけられる」
言いながらとわは、問題の絵画に向き合った。
「なるほど、長い時間をかけて妖魔と化したみたいだね」
隅から隅まで眺めると、とわは護符を取り出し、絵画に貼り付けた。そして、呪文を唱え始めた。
「急急如律令(きゅうきゅうじょりつりょう)!」
人差し指と中指で作った手刀を振り下ろす。すると、絵画の世界がブワッと広がり、三人は神酒と仁美と手を繋いだ美少女と対峙した。とわが再び手刀を振ると、榊と仁美がどさりと地面に倒れた。
「さ、円ちゃん、摩利ちゃん!二人を保護して!」
「は、はい!」
円は仁美、摩利は神酒のところに駆け寄る。
「・・・なんで」
絵の少女が俯いて口を開く。
「なんで、邪魔するのよ!楽しく遊んでただけなのに!」
少女の顔が醜く歪む。圧倒的な憎悪の念が押し寄せて来て、円は思わず顔を伏せた。
「君はもう死んでるんだよ。生きている人を巻き込んじゃいけない」
「やだ、やだ、やだ!邪魔するならこうしてやる!」
少女の右手が巨大化して振り下ろされる。鋭い鉤爪が伸びている。とわは飛び上がって攻撃をかわした。
「可哀想だけど、君はあの世に行かなきゃならない。このまま怨霊となり、妖魔と化して存在してはダメだ」
「殺してやる!」
少女の身体が巨大化してゆく。そして今度は両手でとわを捕らえようとする。とわは緑の石を少女の足元に投げつけた。すると、太い植物の蔓が伸びて少女の身体を拘束してゆく。
「わあーっ!離せ!離せ!」
地を蹴って飛び上がったとわの手には刀が握られていた。
「調伏(ちょうぶく)!」
日本刀が少女の首を跳ねた。すると、展開していた世界がみるみる収縮してゆく。その刹那、円の頭の中に少女の記憶が流れ込んできた。
少女は生まれつき身体が弱く、避暑地で療養していた。来る日も来る日も診察と投薬。そして点滴の毎日だった。
そんなある日、上体を起こして窓の外を眺めていると、一人の青年が通りがかった。こんな田舎に若い人もいるんだと思っていると、青年は少女に気付き、ニッコリと微笑んだ。それが出会いだった。
青年は画家だった。絵を描くために療養所の近くの庵に世話になっているという。
「そうだ。君の絵を描かせてくれないかな?人物画も描いてみたいと思ってたんだ」
「え、でも私、美人でもないのに・・・」
「そんなことあるもんか。君は綺麗で可愛いよ」
初めてそんなことを言われて少女は顔を真っ赤に染めた。
「お、その顔良いね!いただき!」
スケッチブックに鉛筆を走らせる青年に、少女は赤くなりながら抗議する。
「も、もう!意地悪!」
「ははは、ゴメンゴメン。庵に戻ったら、油絵でちゃんと仕上げるから、見てもらえるかい?」
「う、うん!楽しみにしてる」
少女ははにかんだ笑みを浮かべた。こうして、少女はしばらくの間、絵のモデルを勤めた。しかし、少女は青年の絵が完成する前に体調が急変し、帰らぬ人となった。
青年は誰もいない病室を悲しげに見つめ、世話になっている庵に戻った。そして、絵を完成させた。椅子に座って仕上げた絵を眺めていた青年は、隣に立つ少女に語り描けた。
「君は迷っていちゃいけない。天国に行かないと」
「私、どこにも行かないわ。ずっとあなたの側にいたいの」
「じゃあ、絵の中に入ると良い。そうすればいつまでも一緒にいられる」
「分かったわ。ずっと側にいてね」
「ああ、ずっと一緒にいるよ」
少女は絵の方に歩み寄って姿を消した。そして、絵の中ではにかんだ笑みを浮かべていた。
その後、自分のアトリエに戻った青年だったが、少女の絵を飾った翌日、事故に巻き込まれて命を落とした。それ以来、少女はずっと青年を待ち続けた。そして長い年月の間に少女の心は変質し、絵を買い取った者たちを自分の世界に引き込んだ。所有者が変わる度に同じことが起こり、やがて絵は忌まわしいものとして、布を被せられ日の目を見なくなった。
だが、少女の心は今でも青年を求め続けていた。そして・・・。円たちと邂逅した。円は倒れている少女の身体を抱き締め、徐々に塵となって消えてゆくのを悲しげに見つめた。
円は涙を流して仁美の身体を抱えていた。少女の記憶を見てしまった円は切なくて堪らなかった。
「とわさん、あの子は成仏出来たんですね?」
日本刀を鞘に納めるとわは、深く頷いた。
「ほら、妖魔を倒したら落ちてる魔水晶がないだろ?あの子は人間として、ようやくあの世に行けたんだ」
「良かった・・・」
三人はいつの間にか美術室に戻っていた。仁美と神酒はまだ目を覚まさない。
「その二人は心配ない。気を失っているだけだ。さて、魔水晶が手に入らなかった私はタダ働きになってしまった」
とわは手を広げて、おどけた様子で困り顔になっている。
「対価が必要なら、また案件を持ってきます!今日のところは借りで良いですか?」
円は真剣な顔で訴えた。
「うん。常連の円ちゃんの顔を立てて、今日のところは一つ、貸しで良いよ」
ニッコリと微笑んだとわは、円の影の上に移動した。
「それじゃあ、またのお越しをお待ちしているよ」
その姿がすーっと影の中に沈んでゆき、美術室に残ってるのは円と摩利、そして、気を失っている神酒と仁美だけだった。
「何だか凄い経験をしちゃった!学校の七不思議が一つ解決しちゃったよ!」
摩利は興奮して捲し立てた。
「うん。じゃあ二人を起こして家に帰ろうか?」
円と摩利は、仁美と神酒を介抱した。
神酒はともかく、仁美は一晩失踪していたので、家族を言いくるめるのに苦労した。取りあえず円と摩利でパジャマパーティーをしていたことにして、平謝りすることでようやく納得してもらえた。
「円さん、ゴメン!美甘がお世話になっちゃって」
神酒はしきりに円に謝ってくる。
「良いのよ。相手は怪異なんだし、困った時はお互い様だよ」
三階からエレベーターに乗り、取りあえず八階まで上がった。円は神酒を連れて自宅に帰った。
「あ、お兄ちゃん、円お姉ちゃん、お帰りなさい」
美甘は今日も環と一緒に宿題を片付けていた。
「美甘!」
神酒は駆け寄ると美甘を背後から抱き締めた。
「わっ!どうしたの、お兄ちゃん?」
美甘が戸惑いの声を上げる。
「どうもしないよ。ただ抱き締めたかっただけだ」
「もう、恥ずかしいから早く離れてよ!」
美甘に邪険に振りほどかれても、神酒は顔を押さえて、うんうんと頷いていた。
「お兄ちゃん、悪いものでも食べたの?」
美甘が訝しげに顔を覗き込むが、神酒は立ち上がって背中を向けた。
「なんでもない。夕食の買い物に行ってくる」
「あ、うん。行ってらっしゃい」
美甘は首を捻りながら兄の後ろ姿を見送った。
「美甘ちゃん。今日はお兄ちゃんに優しくしてあげてね」
円も神酒を目で見送ると、美甘にそうお願いする。
「?、はい。円お姉ちゃんがそういうなら」
美甘の頭の上にハテナマークが飛び交ってるが、怖い目に会った兄に優しくしてあげて欲しかった。
数日が経ち、事件の記憶が薄れてきた頃、三階でエレベーターに乗り込んで来た仁美の頭から、微かな煙が立ち上っていた。
「ひ、仁美。昨日何かあったの?」
顔がひきつりそうになる円が問うと、
「あー、昨日はオカルト研究会の活動で近くの廃墟を見て来たんだけど、それがどうかしたの、円ちゃん?」
罪のない絵顔を浮かべる仁美を見て、心の中でため息をつく円。
(とわさん。早速借りを返すことになりそうです)
マンションを出た円は、商店街の中にあるかもしれない、たかなし雑貨店を目指して歩きだした。
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