マリ3 ①
「なにじっと見て。そこ、行きてぇの?」
ふと雑誌から顔をあげると、ルイが思いのほか至近距離にいた。
びっくりして目を見開く。ルイは気にした様子もなく、ソファの隣に座りこむと、するりと私の腰に腕を回した。
雑誌に夢中で全然気づかなかった。
それは新しくできた遊園地を紹介する記事で、最先端なアトラクションは雑誌を見ているだけでも楽しそうだ。
「行きたいんじゃないの?」
返事をしない私に、ルイがもう一度問いかけてくる。
「え、うん、まぁ。……ちょっと気になってて」
「なら、今度行く?」
「え!」
「なんだよ」
驚く私にルイがムッとした声を出す。慌てて取り繕うようにルイの腕をきゅっと掴んだ。
「だって、ルイ。人ごみとか苦手でしょ。できてすぐだし、多分混んでるよ」
「あー、まぁな。でも行きたいんだろ?」
「う、うん。行ってくれるの……?」
「おう。マリが何かに興味持つのって珍しいし、それに、俺らデートらしい事もそんなした事ないだろ。たまにはな」
「……ありがとう」
ぼーっとルイを見る。
相変わらず整ったその顔が、今は王子様みたいに見える。
好き。好き。好き。
気持ちが溢れそうで、ルイのたくましい腕をさらにきつく握った。
「今度の日曜、マリの誕生日だろ? その時行こうぜ」
「覚えてたの……?」
「お前、俺の事なんだと思ってんの」
ルイが呆れた顔で私の顔を覗き込んでくる。
だって。
ルイは仕事も忙しいし、特に誕生日の話題を出したこともないし。そんな事には興味もない人だと思ってた。
「お前は考えるとすぐに黙るねー。その今考えてる事をどうして口に出さないかな」
「ごめん」
「いいけど。とりあえず日曜だな」
「ありがとう」
隣にいるルイを縋るように見つめる。
好き。
伝わったのか、伝わっていないのか、ルイは私の視線に気付いて、顔を近づけてきた。
「ん……」
唇が重なって離れる。
至近距離で見つめ合って、ルイの手が私の頬を滑る。
「マリ」
吐息のような声で名前を呼ばれる。
私はそれに応えるように唇を近づけて、ルイのそれに押し付けた。深くなる口付け。
ルイの舌が入り込んできて、私の舌を絡め取っていく。
私も積極的に身を乗り出して、キスに応えた。
ルイの懐に潜り込むように、身体を密着させる。
「ルイ、………んぅ」
キスをしながら、ルイの手が私の胸の膨らみに触れた。
ブラのカップの上から的確に敏感な部分を指でいじられて、高い声が上がる。
「あっ、……ん」
「マリ。見せて」
「……うん」
耳たぶをかぷっと舐められたまま、甘い声を出される。
そんな風にされると羞恥心とか、抵抗しようとする気持ちは一瞬で消え失せて、ルイに従順なお人形みたいな気分になる。
ルイが望むことはなんでもしてあげたい。
気持ちよくなってほしいし、自分も一緒に気持ちよくなりたい。
Vネックのニットを脱いで、インナーも脱ぐ。
上半身はブラだけになった。
白い生地に花柄のレースをあしらったそれをルイはじっと見た。
もっと見て。
そんな気持ちを伝えるように、背筋を反らせてルイの前に胸を突き出した。
ルイが突き上げられた私の胸を見ている。
その熱い視線をじっと追いかけていると、ルイと目が合った。
あ。
燃えるような瞳。
ルイの唇が近づいてくる。
私は目を閉じてそれを受け入れながら、ブラごと胸を揉みしだくルイの少し乱暴な手付きに煽られた。
「マリ。すげぇエロい」
「……ん。このブラ好き?」
「うん。でも中見たい」
ルイを見る。
眉間をきゅっと寄せたその表情が色っぽくて大好き。外してと目で訴えると、ルイが低く唸った。
こういうときは大胆になれるのにな。
普段もこんな風にルイに甘えられたらいいのに。
反省しながら、ルイの首に両腕を回した。
――日曜日。
今日は私の誕生日だ。
目を覚ますと、ルイは私のお腹に腕を回してまだ眠っている。愛しい重みのある腕をゆっくり外して、するりとベッドから抜けた。
キッチンに入って、まずはお米を研ぐ。
炊飯器にセットして炊いている間におかずを数品用意した。ご飯が出来上がって、ルイを起こしに行く。
寝室に戻ってベッドの縁に腰掛ける。
ルイの柔らかい髪を撫でて、耳元に口を近づける。
「ルイ、起きて」
「ん……」
ルイは私が朝ご飯を作っている間に勝手に起きてくる事も割と多い。起きてこない時は、起こすのが決まりになっている。
最初は遠慮してなかなか起こせなかったんだけど、ルイができたてが食べたいから起こしてほしいと主張したことで、私の遠慮もほどけた。
「マリ……」
ルイは腕を私の肩に回して、ベッドに引きずり込んでくる。
腕の強さにそのままベッドに顔を近づけると、うっすら目を開けたルイにキスをされた。
「ん……」
「マリ、……おめでと」
「……ありがとう」
キスの後の言葉は私を笑顔にさせた。
ルイは私の表情を見て満足したのか、んーっと伸びをするとスタスタとベッドから起き上がった。一緒に朝ご飯を食べて、そろそろ出かける用意をしようかと腰を上げた時だった。
ルイの携帯が鳴り響く。
ルイは面倒くさそうに携帯を手に取り、液晶に表示された人の名前にさらに不機嫌になった。
私が首を傾げて見ていると、ルイが「部長」と一言私に説明して、電話を取った。
「おはようございます」
ルイがよそ向きの声を出す。
仕事モードのルイはしゃきってしててかっこいい。気だるさなんて見せないで爽やかに笑ってみせる。オフモードの気だるいルイも怖くて好きなんだけど。
「え? いや、それは高橋が責任を持ってやっているはずですが」
「は? 高橋が飛んだ? いやいや、え、でも今日は予定が合って」
「はい、……はい。分かりました。十三時ですね。とりあえず会社に行きますので、はい」
向こうの声は聴こえなかったけど、ルイの声だけで事情は十分に分かった。
電話を切った後、ルイが大きなため息を吐く。チラっとルイを見ると、ルイが眉間に皺を寄せて携帯を乱暴に放り投げた。
ルイの機嫌が悪い。それだけで私は部長の事が嫌いになる。
いや、訂正。元々ルイの部長の事は好きじゃない。
「マリ、悪い。仕事だ」
「うん」
「誕生日なのに悪いな」
「ううん。全然大丈夫。頑張って」
私がそう応えると、ルイは顔を上げて私を目で捉えた。その視線の意味はよく分からない。けど、嬉しそうではない。
「お前さ、たまにはわがまま言えねぇか?」
「……え?」
「いや、いい。違うな、悪い。今はどうせわがまま言われても無理だし、とりあえずなるべく早く帰るようにするけど仕事行くわ」
「う、うん。分かった」
ルイの言っている事がほとんど理解できなかったけど、仕事に行くという事は理解した。
ルイはまたもう一度私を何か言いたげな目で見つめて、それから着替えをするために寝室に入って行った。
ルイは高橋という後輩の代わりに、営業先に出向くらしく、その前に一度会社に寄るとかで、着替えを終えるとすぐに家を出て行った。
こんな風に土日に呼び出されるのも初めてじゃない。
何度もあることだから、別に驚いたりもしない。
折り目を付けた雑誌のページを開いて、ふぅとため息を吐いた。
行きたかったな。ルイと。
絶叫マシンは得意なんだろうか。高いところは大丈夫なんだろうか。
アトラクションの待ち時間、ルイは苦痛じゃないんだろうか。
遊園地に行って何に興味を示すんだろうか。
たくさん知りたい事があった。
会社のルイ。家のルイ。ファミレスでのルイ。
色んなルイを知ってきたけど、遊園地ではまた違う顔を見せてくれるかもしれないと、胸がときめいてい仕方なかった
仕事、だもんね。仕方ないよね。
しんとした家でルイの帰りをひたすら待った。
もしかしたら夕方くらいに帰ってきて、ディナーくらいは連れてってくれるかもしれないとか。
そんな淡い願いもあって。
だけど、夕方に入った一通のメッセージ。
ルイからで、飛びつくように携帯を見た。
『長引きそう。多分飲みになる。飯食べといて』
その連絡をしばらく見つめて、『気を付けてね』とだけ返事をした。晩ごはんを用意しようと開けていた冷蔵庫を閉めて、部屋を見渡す。
しんとした部屋がやけに寂しく感じられる。
部屋の隅に置いてある姿見に映った自分の精一杯おしゃれした姿が目に痛かった。
ルイがいつ帰ってきてもいいように、すぐに出かけられる準備をしていたことが恥ずかしく思えてきて、見ていられない。
逃げるように部屋を飛び出した。
あてもなくふらふらと歩き出したけど、駅前の繁華街に辿りついていた。
どうやら無意識に人の多い所に行きたかったらしい。
ため息を吐いて、こうなったら飲んで帰ろうと、適当なバーに足を踏み入れた。おしゃれなワインバーで、雰囲気のいいお店だった。
愛想のいい、だけど物静かなマスターは何もかもお見通しのような優しい瞳で私をカウンター席に案内した。
スパークリングワインと燻製チーズやローストビーフを頼んだ。
「今日はボトルワインが半額デーなんです」
後ろのボックス席に座る四人組にアルバイトっぽい店員さんが説明している。
そうなんだ。半額……。
ルイの帰りはきっと日付が変わってからだろう。
部長さんたちと飲みに行くとなかなか帰ってこないのは知っている。今日はとことん飲むか。
「白のボトルお願いしていいですか?」
マスターに頼むと、驚いた顔一つせずににっこり笑ってくれた。
一人でボトルワインを飲む客は珍しいだろうけど。
「甘口、辛口、フルーティーなの、どれがお好きですか?」
「うーん、飲みやすいのがいいです。フルーティーな」
「でしたら、このドイツワインがおすすめです」
「へぇードイツ。じゃぁ、それにします」
「かしこまりました」
年齢不詳のマスターの優雅な振る舞いにうっとりする。
多分年齢は三十五くらいなのだろうけど、洗練された落ち着きが年齢を分からなくさせている。
ボトルを頼んだサービスなのか、マスターが私のカウンターの前に立って話しかけてくれた。ボトルを頼んだと言っても、半額だからすこぶる安い。
「今日は飲みたいって気分だったんですか?」
「はい。私、今日誕生日なんです」
「え!?」
落ち着き払ったマスターが目を見開いて、相当驚いた顔をしている。それに苦笑する。
「すみません。本当は彼が一緒にいてくれるはずだったんですけど、急な仕事で会えなくなったんで。なんとなく飲もうかなって思って」
「それはそれは。仕方ない事ですけど寂しいですよね。お誕生日なら尚更」
「はい。寂しいです」
飲みやすい白ワインでぐいぐいいっちゃうからか、酔いが少しずつ回っていくのを感じる。マスターの優しい雰囲気に本音がポロリと出た。
そう。寂しかったんだ。
仕事なんだからわがままなんて言えるわけがない。
別に遊園地に行けなくたって良かった。
ただ、誕生日を覚えててくれたルイと一緒に過ごしたかっただけ。
「お姉さん綺麗だから、恋人も素敵な人なんでしょうね」
マスターの言葉にうっとり微笑む。否定はしなかった。
素敵な人なんです。
たくましい腕が好きで、私を仕方ないなぁって見る目が好きで、寝起きの柔らかい髪が好きで。
ルイに会いたい。でも、ルイはここじゃないどこか遠いところだ。
はぁとため息を吐く。
マスターが違うカウンターに呼ばれていなくなったのに気付いて顔をあげたのと同時だった。
「お姉さん、一人でボトル入れてんの? なんで!? 寂しい! 一緒に飲もうよ」
「え、やだ」
「やだだって。可愛い」
声の主を振り返ると、近くのテーブル席に座っていたスーツ姿の男が二人。
声を掛けてきた方じゃない。もう一人の男の人を見て、目を見開いた。
「……ルイ?」
「「ルイ?」」
私が恋人の名前を告げると、男性二人はおうむ返しをして首を傾げてきた。
「ルイに似てる」
背格好とか、スーツのジャケットを脱いで、腕まくりをしたシャツから覗く腕のたくましさとか、切れ長の冷たそうな目とか。ちょっとずつが似ている、気がするけど、酔いで視界がおぼつかないから本当はどうなのかよく分からない。
「お姉さん、すごい綺麗だね。顔赤くなってて可愛いし」
ルイに似た人が、ルイが到底言わない言葉を零す。
「ルイ?」
「だから、ルイじゃないよ」
こっちに向けられた苦笑が、またルイがするのによく似ていて、胸がきゅっとなる。
「お姉さん、とりあえずこっちのテーブルおいでよ」
その言葉にふらふらと引き寄せられるように、空いている席に座った。テーブルに向かい合わせ。
ルイ似の彼は真正面で見ると、ルイにはそれほど似ていなかった。やはり酔っているせいで、視界が変らしい。
「ルイってお姉さんの彼氏?」
「うん」
「へぇ。俺に似てんの?」
「似てなかったです」
「ははっ、なんだよそれー」
ほら、そんな風に大きな口を開けて、ルイは笑ったりしない。
「俺、ルイじゃなくて、シンね」
「うん」
もう一人の男性は私に最初に声を掛けてきた割に、私たちのやり取りをただ見ている。話には参加してこないらしく、ルイ似のシンは私の空になったグラスに白ワインを注いでくれた。
「ありがとうございまーす」
「はーい。どんどん飲みましょ」
「はーい」
言われるがままに飲んだ。
シンはルイには似ていなかったけど、悪い人じゃなく、シンが頼んだ赤のボトルワインもおすそ分けしてくれた。
「マリちゃん。一人で飲んでて、ルイに怒られないの?」
名前をマリだと教えた。
ルイにマリちゃんなんて呼ばれたことはない。
初めて名前を教えた時から、ルイは私の事をマリと呼ぶ。自分のものみたいに、自然に。
「怒らないよ」
だって、ルイは家にいない。
私が一人で飲みに行くことはそんなにないけど、ルイに報告したことは無い。ルイは自分が家にいない間、私が何をしているかなんて多分興味ない。
聞かれたこともない。
「へぇー、それってどうなの。寂しくない?」
「寂しいよ」
「だよね。心配されすぎても嫌だけどさ、多少言葉が欲しいよね」
「言葉……」
「うん。行かないでとか、寂しいよとか、まぁ色々?」
「シンは言葉欲しいの?」
「えー、いやだって、誰だってそうでしょ」
「ルイもかな?」
「ルイの事は分かんないけど」
シンがおかしそうに笑う。
マリちゃんはルイのことばっかだなって。
そうなんだ。私はルイの事で頭が常にいっぱいで、それ以外の自分だけの趣味も何も持ってない。
全てがルイの事だけで生きている私に、魅力なんてあるんだろうか。ルイはどう思っているんだろう。
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