Part3

 そんな事が起こる前の日の、NRF事務棟4階・生活事務生活部屋。床や壁、家具などが高級感のある仕上がりとなっていたその部屋は、しかし今は正反対に、重苦しい雰囲気に包まれていた。

「……本当に? 本当に、もう決まっちゃったの?」

 玖が焦り混じりにそう問いかけたのは、直前の臥竜の発言が理由だった。

「うん。でも、朱鷺さんの指示だからしょうがないよ。それに……いつかは誰かがやらなきゃいけないことなんだ」

 リベリアーズ奇襲作戦に際した、内情把握の為の潜伏活動。その役割を、臥竜は先月朱鷺から命じられたのだった。

 そして、今が出発の日の朝だった。

「ごめん! もっと早く言おうと思ってたんだけど……中々、切り出しにくくって……ごめんね」

 臥竜は、俯く玖を申し訳なさそうにみやった。


 しばらく、沈黙があった。


 それを破ったのは、涙ながらに放たれた玖の発言だった。

「絶対……絶対帰ってくるよね?」

 玖と臥竜は、今年でNRFに所属して9年になる。2次面接の待合室での会話が初対面であったが、そこから3次4次と進んでいく内に絆は深まっていき、内定通知は臥竜の家で2人揃って見たほどだった。

 それほどまでに、2人は深い関係を築いていた。

 玖は、そんな臥竜が死のリスクに晒されてしまうのが怖かった。

「大丈夫。私は強いから」

 涙ながらに言葉を紡ぐ玖に、臥竜ははっきりとした言葉と共に手を差し出した。それでも、玖の不安は晴れることは無かった。玖は臥竜の肩を強く抱いた。離れたくない。行かないで。

 言葉は原型をとどめないほどに崩れてはいたが、確かに思いの籠った言葉たちだった。視界を涙でぐちゃぐちゃにしながら、玖は尚も臥竜への抱擁を解かない。ここで離したら行ってしまう、一生取り戻せなくなってしまう。そう思ってしまっていた。ただ、前者に関してはその通りだった。臥竜からしてみれば、あとはもう行くだけだったから。

「玖が私を信じてくれれば、大丈夫。その気持ちがある限り、私は絶対に生き延びてやるから」

 母親が幼児を宥めるみたいな、根拠も何もない言葉だった。でも、それぐらいしか臥竜に言える言葉は無かった。確実に生きて帰れる根拠なんざ無かったのだ。

 玖もその感情をなんとなく察したのか、はたまた自分の幼稚さに嫌気がさしたのか。どちらかは定かではないにしろ、一度臥竜から身を離した。

「……頑張ってね。待ってるから」

 玖は、ようやく送別の言葉を送れた。

「おうよ。任しときな」

 臥竜はそう言って玖の頭を撫でると、不安と決意を胸に抱き、部屋を後にするのだった。



 その後臥竜が向かったのは、生活部屋の隣の更衣室。中に入った臥竜は鍵をかけ、棚に置いてあるバッグを手に取る。その中にあったのは、普段の制服とは全く異なる服だった。

 わざとボロボロにされたパーカーと、似た感じのジーパン。更には、ウィッグネットとこれまたちょっと汚く加工された茶葉セミロングのウィッグが入っていた。

 臥竜は制服を脱いでそれらを身にまとっていき、数分後。臥竜は別人のようになっていた。フードを被りポケットに手を突っ込めば、正しく不良少女である。

 普段とは違う自身の容姿にちょっとした高揚感を覚えつつ、臥竜は更衣室を出た。その後に向かったのは、司令官室だった。

「お、サイズは合ってたみたいだね。よかったよかった……」

 司令官室に入った臥竜の姿を見て、朱鷺は安心したようにそう言う。あの衣装は、朱鷺の指示で用意されたものだった。

「それじゃ、これが身分証明書ね」

 朱鷺がそう言って臥竜に手渡したのは、一枚のカード。双葉愛美という存在しない学生の情報が記載されている、実在する高校の学生証だった。潜入作戦を遂行するにあたり、流石に臥竜本人の名前を使ってはバレてしまうし危険である。そのため、偽造した身分証明書を用いて、架空の不良高校生のフリをしてもらうという算段なのだった。

「これ、本当の高校名使っていいんですか? バレたら大変な事になるんじゃ……」

「その辺に関しては大丈夫。既にお偉いさんパワーでそこの校長を説得してあるから。万一電話されたりしても、双葉愛美が存在しないことは気づかれないさ」

 臥竜の心配を他所に、朱鷺は既に根回しを済ませていることを伝える。

「で、これが偽装タバコで……こっちが連絡用の無線機ね」

 朱鷺はそう言って、不良高校生らしさを出しつつも環境や臥竜自身の身体に悪影響を与えぬよう作られた偽装タバコなど、臥竜の為の品々を机上に陳列していく。

「おー……こんなに小さく出来るんですね」

 臥竜はその中の無線機を手に取って眺め、その小ささに感銘を受ける。今回の作戦では、夜に朱鷺と臥竜が毎日連絡を取り合い、逐一状況を報告するということになっていた。

 その際に、無線機を用いるのだった。

「で……本当にあの方法でやらなきゃなんですか」

「……僕だって色々考えたんだよ。でも、絶対バレないのはあれしかなかったんだ」

 ここで、リベリアーズの誘拐の手法について解説する。まず、リベリアーズの構成員がフラワーロードなどの地域の人間を巧みに誘い、リベリアーズの拠点前まで誘導する。そこで身分証明書を回収した後に気絶させ、地底下へと誘拐する、というのが基本的な流れだ。

 して、問題となるのは、気絶させた後に所持品を全て没収されてしまう、ということだ。

 戦闘事務である凪を派遣し誘拐の手法を調査させた時にその情報を知ってから、朱鷺は考えに考えていた。バレずに無線機を持ち込む方法を。医務室で暇そうにしていた桐香とも話し合い、数日間の長考の末に導き出したのは、こんな結論だった。

 臥竜自身の体内に隠す。

 無論、手術などで埋め込んだって取り出せなくなり本末転倒なため、取り出しが容易な箇所に隠しておくのだ。そして、幸いにも臥竜の身体は女性のもの。

「何も下半身じゃなくても……なんかこう、体内に取り付けるタイプの無線機とか開発出来ないんですか?」

「許せ。それが一番手っ取り早いし、安全なんだ」

 セクハラで訴えられそうな事案ではあったものの、臥竜自身もなんとなくそれしかないかと諦めている所はあったため、渋々その手法で承諾したのだった。

 臥竜は机に残ったタバコを学生証と一緒にポケットの中に入れ、改めて朱鷺の方を見る。

「じゃあ、いよいよ作戦開始だ。色々と辛い部分はあるかもしれないが、リベリアーズ壊滅のため、まずは臥竜の働きが大事になってくる。頑張ってくれ」

「……はい。何がなんでも生きて帰ってやりますよ」

 臥竜は確かにそう言うと、一度礼をして部屋を出た。

 玖に誓ったことを、決して裏切ってはならない。世界のため、人類のため。

 確かな覚悟をもって、歩みを進めるのだった。

 ちなみに、トイレで1人でやったとはいえ、入れるのは結構恥ずかしかった。

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