第3話 衝動と後悔

この世界に生きている人の、きっと大半の人の中には、生の論理がある。言い換えれば、生きてる意味とか、生きる目的とか、生きる上での方針みたいな、そういうもの。

もしかしたら、具体的に言語化できない人もいるかもしれないけれど、ちゃんと存在はしている。

まあ、中にはきっと、そういうものが、元から存在していない人もいるとは思う。


.........では、私は? 琴音ちゃんは?


きっと、あるのだろう。

私にとっては、琴音ちゃんがそういう存在。

琴音ちゃんにとっては、私がそういう存在。

きっと、そうあるはずだ。


だが、私には......には、そのような存在があることは許されない。

誰が許さない?

もちろん自分だ。自分たちだ。


私たちの身体には、「生の論理」を破壊する運命呪いが刻み込まれている。それは、きっと生まれつきの性格みたいなものなんだろう。


どんな目標も、どんな大切なものも、いつか壊れるがある。

琴音ちゃんが、いつ死んでしまうかなんて、分からない。いつ壊れてしまうかなんて、分からない。この世界にいる限り、この体がある限り、いつ死んでしまってもおかしくない。

いつ、離ればなれになっても、おかしくない。

嫌だ。

嫌だ。

嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。

ずっと一緒にいたい。

たとえ、この世界が壊れても一緒にいたい。

この体が壊れても一緒にいたい。

そんな欲望が、そんな執着が、自身が作り上げた生の論理を破壊する。


どう頑張ったって、いつか、壊されてしまうかもしれない。

琴音ちゃんが、琴音ちゃんが、琴音ちゃんが。

理不尽に、不条理に、この世界に壊されてしまう。そんなが、存在する。

壊れてしまう。殺されてしまう。死んでしまう。犯されてしまう。嫌だ嫌だ。絶対に嫌だ。許さない。許さない。そんなことは許さない。


もう、こんな地獄に耐えられない。

不安に耐えることが出来ない。

正常な意識を保つことが出来ない。

いつか壊れるものに心を預け続けるなんてこと、出来ない。


もちろん、そんな可能性の話をしていたら、何も出来ない、それは全くもって正しいだろう。

だが、だからといって、それを考えずに生きるなどという行為は出来ない。

不安の支配から逃れることが出来ないくらい、愛しているから。大好きだから。

だから、だから、だから.........


いつか壊れてしまうくらいなら、そんな不安にこの体を犯され続けるのなら、さっさと壊してしまえばいい。壊れてしまえば不安は無くなる。

唯一の解。

論理的に正しい帰結。

不安から逃れるただ一つの方法。

この地獄から、生という牢獄、この拷問所から逃れるには、これしかないのだろう。


だが、出来ない。

そんなこと、出来ない。

したくない。

嫌だ。

どっちも嫌だ。

この不安に犯され続けるのも。

琴音ちゃんがいなくなるのも。


だから結局、私は、私たちは.........

ずっと、ずっと、中途半端なのだ。


✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳


「.........ん」


目を覚ます。カーテンの端っこから、光が漏れていた。昨日の夜は、いつものように.........いや、いつも以上に、色々とすごい夜になってしまった。多分、久しぶりだったからだと思う。時計を見ると、時刻は既に午前の10時だった。


私の横に寝ている琴音ちゃんに視線を向ける。すやすやと、無邪気な子供のように、それはもう、幸せそうに寝ていた。


(ふふっ、かわいい。)


私は布団をかけたまま、寝ている琴音ちゃんの元へと身を寄せた。すべすべの肌を滑るようにして触れて、琴音ちゃんに抱きついた。たったこれだけの動作だったけれど、私の体には痛みが走った。多分、筋肉痛と、その他諸々だと思うけれど。


そうして私は、琴音ちゃんの寝顔を見ながら、さらに体をくっつけた。琴音ちゃんの胸と、私の胸がくっついて、私の足と琴音ちゃんの足が絡み合って、私の顔のすぐ側に、琴音ちゃんの顔がある。私は、琴音ちゃんにキスをしようとしたけれど、それよりも先に、確認したいことを思い出して、寸前で顔を近づけるのを止めた。

そして、一度琴音ちゃんから離れて、私と琴音ちゃんの体にかかっていた毛布をどけた。


そこには、琴音ちゃんの体があった。

スタイルがよくて、綺麗で、すべすべな体。

そして............私にたくさん殴られて、アザがついてるお腹。

私は、そのお腹にそっと触れた。

まるで、その傷を見て悲しんでいる人のように。


(...............)


最初に琴音ちゃんに、こういうことをした時は、その日の朝に泣き崩れて、ボロボロになるまで謝ったけれど、今となってはもはや、涙が出ることはなかった。


(.........本当に、本当に......ろくでもない人間。)


好きな人を、大切な人を、大好きな人を、愛している人を、この世の誰よりも守りたいと願った人を、私は、殴りたくて殴りたくてしょうがない。壊したくてしょうがない。暴力を振るいたくてしょうがない。


(......いや、これだと不正確なのかな。)


私は、自身のお腹を見た。そこには、琴音ちゃんほどではないけれど、殴られたアザがあった。私も、琴音ちゃんにたくさん殴ってもらった。

私の衝動、それはきっと、病的な不安と、ただの欲求。ただ不安なだけではなくて、琴音ちゃんが、大切で大好きな人が、ボロボロになって壊れてしまうことに興奮してしまう、そんな衝動。

そして、そんな愚かな私を罰して欲しい、あるいは、壊れた私を見て、琴音ちゃんにつらい思いをして欲しい。そんな酷い考え。

きっと、そんな欲望が、そんな呪いが、この身体をただひたすらに支配して、抑えきれなくて、それで、それで、それで.........


でも、たとえどんな理由であっても、私は、ろくでもない人間なのだ。だから、そんな私のことを愛してくれる琴音ちゃんという存在は、本当に唯一無二の存在なのだ。

それはきっと、その他の意味でも。

私だけのもの。私だけの琴音ちゃん。


私は私の行いが、どうしようもない、堕落しきった愚かなものだと分かっている。そして、琴音ちゃんは、そんな堕落したものに惹かれて、自らの手で自らを堕として、その行為を楽しんでいる。そんな、ある意味私よりもどうしようもない人間であることも、ちゃんと理解している。

だからきっと、その点において、さっきまでの問答は、まったくの無意味なのだろう。

.........だけど、それでも。

この心のもやもやは、一生消えることのない呪いになるのだろう。私も、琴音ちゃんも。

だけどきっと、この呪いが、このどうしようもないほど愚かで堕落した衝動こそが、私と琴音ちゃんを繋ぐ、運命の赤い糸だったのだから。

だから、だから、だから。

私と琴音ちゃんは、駄目だと分かっていながら、後悔と苦しみの狭間で、永遠に堕ち続ける。


(.........って、朝から何を考えるんだか。)


はぁ......とため息をつく。

私は、もう一度、琴音ちゃんの方へと視線を向けた。

触れたい。触れたくてしょうがない。

どうして好きな人には、こんなにも触れたくなるのだろうか。いわゆる、科学的な根拠以外で。

まあ、それが意味を持てるのかは分からないけれど。


(ああ.........美味しそう。)


また、昨日の夜のように、琴音ちゃんの身体を、食べつくしたい。

そんなことを考えながら、私は先ほどのように、琴音ちゃんの体に密着した。そうして、今度はその頬にキスをして、唇にキスをして、そして、舌を琴音ちゃんの口の中へと入れる。

と、そこで、やっぱり、琴音ちゃんを起こしてしまうと悪いような気がして、キスをやめて、琴音ちゃんのすぐ横に自分の頭を置いた。

琴音ちゃんの横顔を見る。

うっすらと赤くなっている頬が、まるで照れているかのようで、かわいかった。


と、そこで、私はあることに気づいた。先ほどまでは、まだ寝起きで、意識が曖昧だったし、少しナイーブな気持ちになっていたから、だからきっと、気づかなかったのだろう。

私の体の表面に、違和感があった。胸の辺りや、顔の周りが特に。そう、それはまるでうっすらとノリが塗られたかのような。

まるで、誰かに舐められた後のような。


そうして私は、琴音ちゃんの耳元に近づいて、


「ねぇ、起きてるんでしょ? 琴音ちゃん。」


と言った。

しかし、琴音ちゃんから反応はなかった。


「琴音ちゃん、起きてくれないと、一緒にシャワー入ってあげないよ?」

「え、待って、それはいくらなんでも......って、あ.........」

「ふふっ、おはよう、琴音ちゃん。」

「あーもう、マジ最悪。まぁ、別にいいけど。」

「もー、起きてたなら、早く言ってよー」


琴音ちゃんは、ため息をついて、乱暴に自分の髪の毛をかきながら、寝たまま、私の方へと視線を向けた。その顔は、いつも通りの顔だった。


「......ねぇ、あのさ。」

「うん、なあに?」


琴音ちゃんは、私の頬に片手をのせて、優しい声音で、言った。


「私は、アンタの気持ち、ちゃんと分かってるから。」


その言葉が指し示す意味、それは、私と琴音ちゃんのこれまでの過去が、示してくれていた。

私の気持ち、私のどうしようもないもの。

私のこれは、私と同じ考え、同じ苦痛を知らなければ、分からないものだ。

そして、そんな人間は、きっともう、まともではないのだろう。そんなものを、琴音ちゃんは、くれている。それが、うわべだけの言葉ではないことを、私は、知っている。


「ありがとう。琴音ちゃん。」


わす言葉は、これで十分だった。

だって、私も琴音ちゃんも、同じところにいるのだから。同じ世界にいるのだから。


「ねぇ、心音ここね。」

「うん」

「大好き、愛してる。」

「ふふふ、私も、大好き、愛してるよ。」


そうして、甘い、甘い、キスをする。


「ねぇ、あのさ、その、寝起きであれかもしんないけど、一回だけでいいからさ。」

「したいの?」

「.......ダメ?」

「ふふっ、もちろんいいよ、琴音ちゃん。」


そうして、私は、ゆっくりと、琴音ちゃんに覆い被さるようにして、抱きついた。


私たちがおかしいのか、それとも世界がおかしいのか、それは分からないけれど。

ただ一つ言えるのは、私たちは、運命に服従して、ひれ伏して、呪われ続けるということ。

なんて素敵なことだろう。私たちは、運命という、きっとこの世の何よりも強いもので繋がれているのだから。この点において、私たちは永遠に一緒に居続けることができるのだ。


不安も、悲しみも、絶望も、消えない。

だけど、そういう運命だから。

そのようにしか、れないのだから。


だから、私たちは今日も明日も、ずっとずっと、ただひたすらに、愛し合う。

この身体の、赴くままに。

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