第2話 心配と罪悪感

タバコとお酒の入ったレジ袋を、ソファの前の小さなテーブルの上に置いて、私はソファに座っている琴音ちゃんの横に座っていた。


「ほらほら、早く早く~」

「はいはい、もー、ほら。」


そう言いながら、琴音ちゃんは私のほっぺに、ご褒美のキスをしてくれた。


「えへへ、嬉しい。ありがと。」

「はぁ、別に......こんなの.........」


琴音ちゃんは何か悶々とした表情をしながら言った。


「ねぇ、今日って何も予定ないよね?」

「んーと、お部屋のお掃除......するぐらいかな。」

「ふーん、そっか。」


琴音ちゃんはいつものクールな顔色のまま、私の言葉に反応した。そこで私は、天井へ腕を伸ばして伸びをしながら、


「あーでもなぁ、たまには掃除、サボっちゃおうかなぁ~」


と、わざとらしく言った。すると、琴音ちゃんは、


「......それは私が、サボっちゃえば~って言うのを期待してるわけ?」


と、やれやれという感じで言った。


「ふふっ、よく分かってるじゃん。でも、迷ってるのはホント。せっかくの休みだからね。でも、お部屋を掃除したい気持ちもあるから、どうしようかな~って。」


私は琴音ちゃんから視線を外して、天井を眺めながら言った。

すると隣から、大きなため息が聞こえた。ドライヤーみたいなレベルの。


「はぁ......まったく、ホントにアンタ、バカなんじゃないの。アホ、間抜け、とんちんかん。」

「えー、ひどーい!なんでよー!」


私は茶化すようにして返事をした。それは、琴音ちゃんの言葉は、文字通りの意味ではないと分かっているから。

ただ、一つ、誤解があった。

それは、いわゆる認識の違いだ。

琴音ちゃんの表情は、いつもの、どこか飄々としているものではなかった。


琴音ちゃんは、真面目な眼差しで私を見つめた。


「琴音......ちゃん......?」


琴音ちゃんは、今よりもさらに私に近づいて、その華奢な両手で、私の顔を包んだ。私の両頬を、琴音ちゃんはピタッと手で挟んでいた。ひんやりとしている手とは裏腹に、私の顔は、心は、うっすらと熱を帯び始めていた。

しばしの静寂、無言でお互いを見つめ合う時間が流れる。私の視界は琴音ちゃんで満たされていた。その顔が、綺麗な顔が、大好きな顔が眼前に迫る。

ソファの上で膝立ちしている琴音ちゃんは、自然と私を見下ろす形になっていた。

私の頬には、琴音ちゃんの手から脈が伝わっていた。


「平日の間に、私が掃除しとくから。今日くらい休みないよ。バカ。」


その顔にあったのは、少しの怒りと、たくさんの心配と、そして、罪悪感のようだった。


「アンタが、私のことを思って色々気配りしてくれてるのは、もちろん分かってる。でも、だからと言って、私があれこれやると、色んな意味で悲惨なことになるから、だから、何にもやらない方がいいっていうのも分かってる。」


琴音ちゃんの顔は、いつか見た時の顔に似ていた。ああ、私は、やっぱりまた間違えちゃったみたいだ。


「だけど、別に。掃除くらいなら、大丈夫だから。だから.........頼りなさいよ、少しくらい。」


その顔には、不安の表情も含まれていた。私に自身の思いが、ちゃんと伝わっているのかが不安なのだろう。いや、きっとそれ以外にもあるのだろうけれど。


「うん、分かったよ、琴音ちゃん。ごめんね。」

「アンタが謝ることなんて一個もないから。」

「ふふ、ありがと。」


すると琴音ちゃんは、私の頬から両手を離して、縋るかのように私に抱きついた。琴音ちゃんの体温が伝わってくる。さらに琴音ちゃんは、私の首に顔を埋めた。どこかくすぐったいけれど、首にあたる吐息が、心地よかった。


「......私は、アンタの恋人なんだから。」


ポツリと、噛み締めるようにその言葉が、私の耳元で囁かれた。


「......うん。もっと、頼らせてもらうね。」


ただ、抱きしめ合う。お互い無言のまま。

琴音ちゃんの匂いがする。私の大好きな匂い。


「はぁ......アンタって、ホントに変わんないね。」

「ん、どうして?」

「アンタが一年目の時も、こんな感じだったじゃん。」

「あー、確かに。最初の時も同じこと言ってくれたもんね。」


今から二年と少し前、私が社会人一年目として会社に入った頃。そして、琴音ちゃんが、琴音先輩として、私に仕事を教えてくれていた頃。


「ふふ、ありがとうございます、琴音先輩。」


いつかの時のように、何度も放ったことのある、その言葉を紡ぐ。


「うるさい、うるさい。だまらっしゃい、心音ここねさん。」

「わ、心音さん呼び懐かしい......」

「は? 別に普段から言ってるでしょ?」

「えー、そんなに言ってくれなくない? アンタとか何とか、あー、でもまあ、心音って呼び捨てで呼んでくれてはいるのか......」


これまでのあらゆる琴音ちゃんとの記憶を思い返す。ああ、幸せな思い出がいっぱいだ。


「あ、でもあれだね、心音ちゃんって呼んでくれるときもあ、フガッ!」


私のほっぺはいつの間にか、琴音ちゃんの片手で掴まれていた。


「その口を閉じなさいアンタ。さもないと、普通に蹴るから。」


琴音ちゃんの表情は、さっきとは打って変わって、いつもの顔になっていた。少しホッとする。

それにしても、琴音ちゃんの蹴り......ああ、貧弱そうなイメージがある。というか、琴音ちゃんは、私よりも全然優しいから、たとえ蹴られたとしても、私にとっては、痛くもなんともないだろうなぁ、と思った。


「ふふ、ごめんごめん。さてと、それじゃあさ、明日も休みなわけだから、ずっとくっついてさ、一緒に居よ?」

「......当たり前でしょ、そんなの。」

「へぇ~、当たり前なんだ?」

「うるさい、バカ。ていっ」


可愛らしい擬音と共に、蹴りらしきものが放たれた。それは、ただ足でちょんちょんと、つついているようなものだった。

その様子があまりにも可愛かったから、思わず、「心音ちゃん呼びされるのは、今日の夜の楽しみにしておくね」と、いじりたくなったが、今言うのはやめておこうと思った。

それもまた、今夜のお楽しみにしておこうと思ったからだ。


(それにしても、ホントにカッコいいなぁ。)


会社員の時の琴音ちゃんも、今の琴音ちゃんも、どっちもカッコよくて、そしてかわいい。

そんなことを思いながら、私は琴音ちゃんの首に手を回して、ギュッと抱きしめるのだった。

お互いの体を認識して、手という部位で包み込んで、体と体を近づけて、ただじっと、その時間を、その空間を、この体を。

確かめるように、愛し合う。

二人だけの世界で。

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