堕落者の二人
神田(Kanda)
第1話 支配と愛情
暑い夏のお昼頃、目を覚ましたであろう私の恋人が、寝室からリビングへやって来た。
「ふわぁぁ.........おはよ。」
「あ、おはよう、
グレーのだぼっとしたパジャマを着た琴音ちゃんは、いつものように気だるげな表情を浮かべながらテーブルの椅子に座った。
「ねぇ、朝ごはん。」
「うん、分かった。ちょっと待ってて。」
「ういー。あ、顔洗ってくるー。」
私は、つい先程買い出しから帰ってきたばかりだったので、買ってきた洗剤とかの整理がまだ終わっていなかった。だが、その整理よりも琴音ちゃんのご飯が先だ。
私は、冷蔵庫を開けた。その中には朝作ったパスタの残りが入っていた。私は、それをレンジで温める。
チラリと琴音ちゃんの方へ視線を向ける。顔を洗ってきて、目が覚め始めたからなのか、腕を上に伸ばして、「ふぬぬぬ」と言っていた。
(ふふっ......かわいい。)
何てことを考えていると、電子レンジが鳴った。
✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳
「どう? 美味しい?」
「うん、うまい。さっすが~」
「ふふ、ありがと。」
無邪気に、そして美味しそうにパスタを食べる琴音ちゃんは、快晴の元に咲くひまわりのような元気さを持っていた。
「え、ちなみにさ。パスタ作ってくれてたのって、昨日、私がパスタ食べたいな~、ってぼやいてたから?」
テーブルを挟んで前に座って、もぐもぐとパスタを食べている琴音ちゃんは、ふと、私にそんな質問を投げかけた。
「うん、そうだよ。」
私は、ニコニコしながら答えた。
「へー、そうなんだ。はぁ......アンタ、ホントに、どんだけ私のこと好きなの?」
「ふふ、言葉で言い表せないくらいだよ?」
「ふーん、まあ、別にどうでもいいけど。」
琴音ちゃんは、そう言いながらパスタをすすっていた。私は、ただひたすら、美味しそうに食べている琴音ちゃんを見ていた。
✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳
「あ、ねえ。」
ご飯を食べ終えてソファに座っていた琴音ちゃんが、掃除している私に、そう声をかけた。
「んー? どうしたの?」
「タバコ買ってきてくんない? 無くなった。」
「あれ? もう無くなっちゃった?」
「うん、だから、早く。」
「えー、でもなぁ、掃除したりとか色々あるからなぁ~。」
私は、「ああ、疲れた、疲れた」というオーラを醸し出しながら、手に持っていた掃除機を近くに置いて、少し歩いて、琴音ちゃんの横に座った。
「ねえ、邪魔なんだけど。」
「わー、愛しの彼女にそんなこと言うなんて、ひどーい。」
「は? 私の口が悪いのは、別に今に始まったことじゃないでしょ。ていうか、早く買ってきてよ。」
琴音ちゃんは、私をソファから追い出そうと力を込める。か弱い力が、私の体に伝わってくる。ずっと家にいるから、筋力が衰えているんだろう。やっぱりたまには、一緒に運動してもらおう。
「うーん、でもなぁ、外暑いから出たくないんだよなー。」
チラッチラッと琴音ちゃんの方を見ながら、私はそう言った。すると、突然、先程まで私をどけようと込められていた力が無くなった。
琴音ちゃんは、いつの間にか、私の目前まで迫っていた。そうして、ニマニマとした表情で、琴音ちゃんは言った。
「あーあ、買ってきてくれたら、ご褒美にキスの一つや二つ」
「さて、それで? タバコの他に何か欲しいもの、ある?」
私はソファから立ち上がり、颯爽とバッグを取った。
「あは! アンタほんとに単純だよね。バカみたい。」
「えー、だって欲しいもん。ご褒美。」
「え、別にあげるとは言ってないけど?」
私は、手にもっていたバッグを床に落として、膝から崩れ落ちた。
「ウソウソ、冗談冗談。買ってきてくれたらあげるよ、私からのキス。」
「はーー、それなら良かった。それで? 他に欲しいものは? ある?」
「んー、じゃあ、お酒買ってきてくんない? いつもの。」
「ん、分かったよー。」
✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳
そうして、私は一通りの準備を終えて、玄関で靴を履いていた。
「さて、と。それじゃあ、行ってくるね。」
私のすぐ側には、お見送りで琴音ちゃんが来てくれていた。何だかんだ言って、こうして来てくれるのだから、やっぱり琴音ちゃんは優しい。
「ん、早くしてね。」
「はいはい、分かってるよー。」
そうして私は、ドアを開けようとして、ふと、思い出したかのように後ろへ振り返った。
「あ、ねえねえ、行ってきますのチューとかは?」
「は? バカなの? そんなもんあるわけないでしょ?」
「えー、ないのー?」
「ない、だから早く行ってきなよ。」
「え、じゃあじゃあ、せめてハグしてよ。」
「あーもう、ホントにめんどくさいなぁ。」
そう言いながら、琴音ちゃんはダルそうに私に抱きついた。面倒くさいと言いつつも、何だかんだ言って、いつも琴音ちゃんは、私の言うことを聞いてくれる。
「ん......」
私は思わず息を漏らした。
琴音ちゃんから、甘い匂いがする。
首からもいい匂いがする。
ああ、そうか。こんな暑い中、こんな、もこもこしたパジャマを着ているのだから、汗をかいて当然だろう。
琴音ちゃんからする匂いは、琴音ちゃんを構成するあらゆる成分の集合だった。
「はい、これでいいでしょ? ほら早く行ってき......」
「早く行ってきて」、琴音ちゃんがそう言って、私は名残惜しそうにしながら、「ご褒美楽しみにしてるからね」と言って、微笑を浮かべ、そうして玄関を開ける。そして、ダルそうにリビングへと帰っていく琴音ちゃんの背中を見ながら、ドアに鍵をかけて、タバコとお酒を買いにいく。
それが本来の事の顛末。
きっと、予想された未来。
私も、琴音ちゃんも、そうなることを予測していた。
これは、私も予想外だった。いや、だけどまあ、最近は仕事で忙しくてずっと疲れっぱなしだったし、最後にしたのも結構前だから、おかしくはないのかもしれない。
ただ、そんな思いに至ったのが、玄関でっていうのが変なのだけれど。
でも仕方がないだろう。
こんなにも美味しそうでいい匂いを出してる琴音ちゃんが悪いよ。
全部、ぜーんぶ、琴音ちゃんのせいなんだから。
私は、ハグをやめようと、距離をとった琴音ちゃんの服の首もとをギュッと掴んで、私の顔の方へと引っ張った。
「ちょっと...........何して......」
「ねえ、琴音ちゃん。」
私は、琴音ちゃんの耳元で、耳と口の距離がほとんどゼロといってもいいほどのわずかな距離で、言った。
「今日の夜、久しぶりに琴音ちゃんのこと、壊れるまでぐっちゃぐちゃにしてあげるから。」
琴音ちゃんの身体がビクンッと震えた。
「だから、いい子で待っててね。」
琴音ちゃんは顔を真っ赤にして、じっと私のことを見ていた。今、琴音ちゃんの頭の中は、心の中は、すべて私に支配されていた。
「それじゃあ、行ってきます。すぐ、帰ってくるからね。」
「う.........うん。行って......らっしゃい......。」
頬を紅に染めた琴音ちゃんは、この世に何よりもかわいくて、綺麗で、壊したくなる顔をしている。私は、満足しながら玄関の鍵を閉めて、歩を進めた。
(ああ、本当に......大好き。)
ドクンと高鳴る胸に手をあてて、私は琴音ちゃんのために、タバコとお酒を買いに向かうのだった。
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