僕にとっての君 三

「それで、宇多川君は何をやる気になったのかな?」


 写真を撮り終わり、それぞれが注文をした物を食べ終わった後、食後の一休みという雰囲気になると、坂上がそう言って僕の顔を覗き込んだ。


 その言葉を聞いて僕は昨日、途中で撮影現場を後にした理由をまだ坂上に話していない事に気が付いた。


 しまった、という気持ちが表情に出てしまっていたのか、「あっ、忘れてたって顔をしてる! 今日は宇多川君に会った時からいつ理由を言ってくれるかなって、ずっと待っていたんだからねー」と言うと、不満そうな表情を見せた。


「いや、ごめん! 言いたくない訳では無いんだ」


 僕が慌てた様に言うと坂上は、「そんなに怒っている訳では無いから、謝る必要は無いよ」と言って微笑むと、「それで、宇多川君は何を頑張ろうと思ったの?」と、言葉を続けた。


「……実は、僕、結構前に一度小説を書いた事があるんだ」


 インターネット上に自作の小説を投稿して顔も知らない人に読んでもらった経験がある僕だが、知り合いの中で僕が小説を書いていた事があるのを知っているのは雄大だけだ。


 そんな僕にとって小説を書いている事を直接他者に言う事は中々に緊張する行為だった。


 坂上は僕の言葉を聞くと、ポカンとした表情を浮かべた。


 そんな坂上の様子を見て、似合っていないとか、ぽく無いと思われてしまったのだろうか、と僕は不安な気持ちになった。


「……すごい」


「……坂上さん、なんて言ったの?」


 坂上が驚いた表情を浮かべながら呟いた一言が聞き取れなかった僕が聞き直すと、「宇多川君、小説を書けるなんてすごいよ!」と、大きな声を上げた。


「いや、そんな大した内容は書く事が出来ていないし……」


 想定外の坂上の反応に慌てた僕がそう言葉を返すと、坂上は勢い良く首を様に振った。


「いや、書けるだけでもすごいよ。私なんて文字を見るだけですぐ眠くなっちゃうもん」


「ドラマとかって台本があるよね」


 そんな状態なら台本の内容を覚えるのは一苦労だろうなのではないだろうか。


 そう思って僕が尋ねると、まるでそれに関しては大丈夫、と言わんばかりに坂上は自信ありげに口を開いた。


「台本の内容を覚える時には由香里さんに手伝って貰って台詞を読み上げながらやる様にしているの。お陰で眠くならないよ」


 さらっと言っているが、マネージャーというのは様々な形でサポートをしているのだな、と鈴村さんのすごさを感じていると、「そんな事より、私、宇多川君の書いた小説が読んでみたいな」と、興味津々といった様子だ。


「小説投稿サイトに前に書いた小説があるけど……」


 なんと無く恥ずかしくなりながら僕が言うと、「本当? 後で読もう」と、楽しそうに言った。


「大丈夫? さっき文字を見るだけで眠くなるって言っていたよね?」


 心配になった僕が尋ねると、坂上は、「大丈夫!」と言って、胸を張った。


「由香里さんに全部読み上げて貰うから!」


「絶対に止めてください」


 ついその場を想像してしまい、思わず敬語で即答した。


「えー、なんで? それなら眠くならないよ?」


 すぐに否定された事が嫌だったのか、坂上がそう言うと不満そうな表情を浮かべた。


「坂上さんはそれで良いだろうけど、それだと僕の精神が絶対に持たないよ」


 昔書いた作品とは言え、ある程度の自信はあるのだが、それとはまったくと言って良い程別問題で、自分の書いた文章を他人に読み上げられるのは想像するだけで、とてつもなく恥ずかしい気持ちになった。


「それなら、私と由香里さんで互いに台詞を言い合おう」


「……それだと余計に恥ずかしいよ」


 僕の不満そうな口調に坂上は、「ごめん、ごめん」と言って、両手を合わせた。


「でも、宇多川君の書いた小説だったら私、寝ないで読む事が出来るかも」


 突然の坂上の宣言に僕は半信半疑になりながら、「本当?」と少し揶揄う様に言うと、「本当だよ!」と、勢いの良い言葉が返ってきた。


「私は宇多川君の小説を読んで、こんな事を思っていたんだとか、こんな風に感じていたんだって事を知る事が出来て楽しいと思うんだ。だから、眠くならないと思うよ」


「……そんな風に言われると、読まれるのが恥ずかしくなってくるね」


 そう言って照れ臭そうな表情を浮かべる僕を見て、坂上は微笑むと、「今書いている小説も同じ小説投稿サイトで読む事が出来るの?」と、尋ねてきた。


「今書いている小説はまだ書き途中だから投稿をしていないんだ」


「そうなんだ…… 読んで見たかったな」


 僕が首を横に振りながら言うと、坂上は残念そうな表情で呟いた。


 完成した小説を坂上に読んで貰いたい。


 そういった気持ちを持っていた僕は、ずっと気になっていた事を聞く機会は今だ、と思うと、口を開いた。


「坂上さん、撮影って後どのくらいの期間で終わるの?」


「えっ、期間? そうだなぁ」


 突然話題が変わった事に少し戸惑った様子を見せた坂上だったが、そう言うと顎に手を当てて考え始めた。


「撮影は結構スケジュールが変わったりするから確実な事は言う事が出来ないけど、大体後一週間前後って感じかな」


「そうか、後一週間くらいか」


 残りは約一週間。


 誤字脱字の確認や文章の修正もしなければならず、どのくらいの時間が掛かるかは分からないが、今のペースなら一通り書き終える事は余裕で出来るだろう。


 坂上が目の前から居なくなってしまう。


 その恐怖は未だに僕の中に棲みついていたが、撮影が終わるまでに今書いている小説を完成させる。


 その事を目標にしよう。


 そう考えて僕は自分を奮い立たせた。


「宇多川君、どうかした?」


 その声にハッとして我に帰って坂上を見ると、坂上は不思議そうな表情で僕を見ていた。


「ごめん、少しボーッとしてた」


 僕はそう言うと坂上に向き直った。


「坂上さん、突然こんな事を言って驚かせてしまうかもしれないけど、撮影が終わるまでに今書いている小説を完成させるよ。それで、そうしたらそれを最初に読んでくれる?」


「えっ、良いの?」


 驚いた表情の坂上に僕は頷き返した。


「うん、勿論だよ。坂上さんのお陰で書こうと思う事が出来た話だから是非読んで欲しい」


「うん、勿論、読むよ!」


 坂上は勢い良くそう言うと、照れ臭そうに頬を掻いた。


「嬉しいけど、なんだか照れるね」


「坂上さんは僕の小説のモデルなのだからもっと胸を張って良いんだよ」


 そう言ってはにかむ坂上が可愛らしく思えた僕は笑みを浮かべた。


「そうか、モデルかぁ。……それなら、私が主演で映画化が目標だね!」


「書籍化もされてないのに無謀過ぎない?」


 まだ投稿サイトに一作品しか投稿をしておらず実績が何も無いのだ。


 そう思って僕が呆れた様に呟くと坂上は、「そんな事無いよ」と言って、首を横に振った。


「私がモデルなんだもん。絶対に人気が出るよ!」


「……書いているのは僕なんだけど」


「それでも大丈夫!」


 坂上はそう言うと自信ありげに胸を張った。


 根拠も何も無いのに坂上のその言葉にはなんだか説得力を感じた僕は笑い声を上げた。


「あっ、笑った! なんで笑うの〜」


 そう言って口を尖らせる坂上に僕は、「ごめん、ごめん」と言って、謝った。


「いや、流石、俳優だなって思って、それくらいの自信が無いと駄目だよね」


 そう言うと、坂上は満足そうに頷いた。


「そうだよ。ようやく私の凄さが分かった?」


「……坂上さんの凄さは初めから感じっぱなしだよ」


 僕が静かに言うと、坂上はキョトンとした顔をこちらに向けてきた。


「……今のは突っ込む所じゃないの?」


「本当の事だもん。突っ込みなんて出来ないよ」


 そう言って、僕と坂上は視線を合わせると、なんだか面白くなってきて二人で笑い声を上げたのだった。

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