僕にとっての君 ニ

 そうして、トンネルを抜けて少し歩くと、僕は、「ここだよ」と言って、階段を指差した。


 坂上は僕の言葉を聞いて見上げると、「山の中にあるの?」と、驚いた様に呟いた。


「そうだよ。階段が少し急だから気を付けてね」


 僕の言葉に坂上は、「了解、ちょっとした山登りだね」と言って頷くと、階段を上り始めた。


 上り始める前は体力的に余裕だと思っていたのだが、夏休み中のだらけた生活の影響か、上り切る頃には、僕は疲労困憊ひろうこんぱいと言った状態だった。


「『階段が少し急だから気を付けてね』って、余裕そうに言ったのは誰だったかな」


 その呆れた様な物言いを聞いて隣を見ると、坂上がまったく疲れた様子を見せずにそこに立っていた。


「……坂上さん、なんで、そんなに、元気そうなの?」


 僕が呼吸を整えながら尋ねると、坂上は平然な表情を崩さずに口を開いた。


「まぁ、俳優は体力勝負って所もあるから、それなりに身体は鍛えているよ」


 坂上はそう言うと、目を細めた。


「それより、宇多川君、夏休みだからって少しだらけ過ぎじゃない? 体力の無いイケメンはモテないよ?」


「僕はイケメンでは無いし、そもそもそんな説は初めて聞いたよ」


 僕の言葉に坂上は首を傾げると、「えっ、そう? 由香里さんとそんな話をした事があるけどなぁ」と、呟いた。


 昨日会った時は、いかにも仕事人間というイメージがあったので、意外とそういう話をするのだな、と思いつつも、早く椅子に座りたかった僕は、「まぁ、とにかく店に入ろうか」と、提案をした。


「宇多川君、本当に体力が限界そうだもんね」


 坂上はそう言って、苦笑いをすると、僕と並んで奥に進んだ。


 店と言っても、ここは扉や窓がある訳では無い。


 受付や席は全て野外にあって、受付でメニューを頼んでから、席で料理が出来上がるのを待つというシステムになっている。


「テラス席があるとかではなくて、全部の席が外にあるんだね」


「そうだよ。だから、どこの席からでも見晴らしが良いんだ」


 そんな話をしながら、受付に行くと、僕は夏野菜のカレー、坂上はベーコンと野菜焼きをそれぞれ注文した。


 座る席は自由に選んで良いとの事だったので、僕と坂上は折角だからという事で、見晴らしが一番良さそうな高い場所にある席にした。


「わぁ、すごい綺麗! 今日は晴れていて良かったね」


 席に着くと、景色を見た坂上がそう言って声を上げた。


 この店は山の上にあるので、邪魔する建物が一つもなく、街並みを一望する事が出来た。


 しばらく坂上と景色を眺めながら話をしていると、店員さんが僕達が注文をした物を運んできてくれた。


 僕と坂上はお礼を言ってそれぞれ受け取った。


 そして、僕と坂上は両手を合わせると、「いただきます」と言った。


 僕は階段を上ってお腹が空いていたので、早速カレーを食べようとしてスプーンを手に取った。


「あっ、思い出した! 宇多川君、ちょっと待って」


「坂上さん、どうしたの?」


 慌てた様な坂上の物言いに、僕は動きを止めると坂上の方を見ながらそう尋ねた。


 そう言って、坂上はスマートフォンを取り出すと、それを掲げ始めた。


 何をしているのだろう、と不思議に思いながら坂上のスマートフォンに視線を向けると、カメラアプリが起動していた。


 SNS用に食事風景の写真を撮るつもりなのだろうか。


 そう思った僕が坂上に視線を戻すと、目の前にフォークに刺されたベーコンが差し出されていた。


「坂上さん、突然どうしたの?」


 これではいよいよ意味が分からない。


 そう感じて尋ねると、坂上は、「これがお題なの」と、呟いた。


「……このまま写真を撮るの?」


「『食べさせ合うシーンもあるから、やってみたらどうだ?』って言われたから、宇多川とやってみよう、と思って」


 平然と言う坂上とは反対に、その『食べさせ合う』という言葉に僕は動揺した。


 食べさせ合うというのは、つまり間接キスをするという事だ。


 坂上に動揺している様子は見られないし、僕が意識し過ぎているだけなのだろうか。


 そんな事を考えていると、「宇多川君、どうかしたの?」と、質問が飛んできた。


 平然としている坂上に間接キスの話をするのは、自分がなんだか意識し過ぎている気がして恥ずかしく思った僕は、「……写真も撮ってこいって言われたの?」と別の質問をしながら、坂上の掲げたスマートフォンに視線を向けた。


 僕の問いに坂上は笑みを浮かべると、静かに首を横に振った。


「ううん、監督は流石にそこまではしなくて良いとは言っていたけど、思い出としてどうかなって思って」


『思い出』という言葉を聞いて、僕は坂上との関係が期限付きという事を改めて感じた。


 坂上はここで暮らしている訳では無い。


 当たり前の事だが坂上にも坂上の生活がある。


 今撮っている撮影が終わったらこの土地から去ってしまうことだろう。


 その事を実感した時、僕は寂しいや悲しいでは無く、怖い、という感情がすぐに顔を覗かせた事に驚いた。


 しかし、その理由には心当たりがあった。


 僕は坂上の演技を間近で見たお陰で再び自分を表現したい、小説を書きたい、という気持ちに火を付けられた。


 言ってしまえば、坂上の存在は今、僕が小説を書きたいという気持ちの原動力なのだ。


 その存在である坂上が僕から離れていった時に、僕は自分を表現したい、小説を書きたいという熱を保ってられるのだろうか、と不安に感じた。


 これ程までに他人の存在を大きく感じた事が無かった僕はこの感情をどう扱ったら良いかがよく分からなかった。


 しかし、そんな中でも分かった事がある。


 坂上は僕にたくさんの物をプレゼントしてくれた。


 それに対して、僕は坂上に何も与える事が出来ていない。


 坂上にとって僕はどの様な存在なのだろうか。


 そう思うと、写真という形で坂上の中の思い出の一部にならないと坂上に忘れられてしまうのではないか、と思った。


「良いよ」


 そんな焦りが出てきたからだろうか。


 気が付けば僕はそう呟いていた。


「……本当? じゃあ、あーん」


 坂上はそう言うと、ベーコンを僕の口元に向けた。


 僕は口を開いてベーコンを迎い入れると、その瞬間にシャッターが切られた。


「宇多川君、美味しい?」


 微笑みながら聞いてきた坂上に僕は、「すごい、美味しいよ」と笑みを見せてそう答えると、どうか今日の出来事が坂上の良い思い出となりますように。


 そんな事を願いながら僕は口の中のベーコンを噛み締めたのだった。

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