ルカ

(……なんて熱さ。これでは、近づくこともままならないですね)


 何とか運んでくることができたが、研究所は予想以上に激しく燃え、その熱がアリーシャを近づけまいとする。しかし、怯むわけにはいかない。消火活動にあたっている者達は、全身を真っ黒にしながら炎と熱と戦っている。


「今から水を流すので、皆さんは離れていてください!」


 ぐっと奥歯を噛み締め、大量の水が入った魔力の膜を更に上へと浮かせた。今にもこちらへ飛びかかってきそうな炎。息をするたびに肺が焼けるのではないかと思ってしまうほどの熱。けれど、集中を途切れさせることなく、研究所の上まで浮かばせると、そこで止めた。

 できれば、この水が炎を呑み込んで消し去ってほしい。そう願いを込めて、勢いよく両手を下げた。

 パンッ、と割れるような音と共に魔力の膜が消え、中に入っていた大量の水が滝のように降り注ぐ。燃え盛る炎は、あっという間に水に呑まれた。すぐには消えず抵抗しているように見えるが、その姿は小さくなっていき、やがて見えなくなった。

 役目を終えた水は、この場にいた者達の足元を流れていく。残ったのは、細々とした煙のみ。


「やった! 火が消えたぞ!」


 その声を皮切りに大きな歓声が上がり、周りにいた者達がアリーシャの元へと集まった。


「アリーシャ様、ありがとうございます!」

「やはり、聖女様の生まれ変わりでは!?」


 街の者達だけではなく、兵士達もそこに混ざって盛り上がっている。どうすればいいのかと戸惑っていると、傍にノアがやってきた。


「本当にすごいな、アリーシャは。こんなに短時間で消火できるとは思わなかった。助かった、ありがとう」

「危険な状況下で、皆さんが率先して消火活動にあたってくれていたからできたことです。わたしの方こそ、ありがとうございました」


 頭を軽く下げてから、炎で全体的に黒くなってしまった研究所を見る。

 中は燃えてしまってはいるものの、建物の造りがしっかりしているためか、そこまで崩れてはいないようだ。が、この建物の所有者であるルカは無事だろうか。すると、中から男性が一人出てきた。先程の水をかぶったのだろう、全身が濡れている。


「げほっ! くそっ、どうなっている! 何だあの水は……げほっ!」


 男性が姿を見せると、騒がしかった声は途端に静かになった。ノアは眉間に皺を寄せ、目を細めて睨みつけている。

 そんな中、男性は濡れてしまった銀髪を乱暴にかき上げ、盛大に舌打ちをしてアリーシャ達を見た。その瞳は、ノアやレオと同じ赤い瞳。


「おい、何だ今のは! 頭上から大量の水が降ってきたせいでずぶ濡れだ!」


 第一声が、まさか怒声とは。

 驚きから言葉を失っていると、アリーシャを背で庇うようにしてノアが一歩前に出た。どのような表情を浮かべているかはわからないが、怒りが彼の背から伝わってくる。


「なんだ、その物言いは。お前の不始末を片付けてやったんだろう! ルカ!」


 銀髪の男性──ルカは眉間に皺を寄せ、鼻で笑った。

 肌がひりつくような、そんな空気が流れる。この場にいる者達も何かを感じ取ったようで、誰も一言も発さない。


「ふん、ノアか。あの腹黒女たらしはどうした。こういう騒ぎが好きな奴だ、必ず駆けつけるだろう?」

「ここにいないレオの話などどうでもいい。それよりも、先程の言葉は気に入らないな。今すぐ取り消せ。兵士達が、街の者達が……アリーシャが、お前のために動いてくれたというのに」

「……アリーシャ?」


 ルカはアリーシャの名に反応を示した。

 何故だろうか、嫌な予感がする。ノアの後ろから様子を窺っていると、ルカと目が合ってしまった。しまったと慌てて逸らすも、足音が近づき、壁となってくれているノアの身体の横からルカが顔を出す。

 このまま視線を逸らしていたいが、そうもいかない。ぎこちなく向けると、アリーシャを値踏みするかのようにルカが頭の天辺から足の先まで見ていた。


「ふーん……お前が魔女とやらか。いや、聖女か? どちらでもいいか。なんだ、見てくれは中の下か」


 聖女は美しかったらしいが、とルカは深い息を吐いた。

 モルガンと比べられるのは当然のこと。ただ、そうは言えど、初対面の人間に容姿でこき下ろされるとは思っていなかった。自分の容姿に自信があるわけではないが、胸の奥から沸々と何かが湧いてくる。これは怒りだろうか。されど、怒りという感情に慣れていないため、何と言えばいいのか、どうすればいいかわからない。

 いつもの誹謗中傷の一つだと思ってやり過ごすしかないか。ルカから視線を逸らそうとしたとき、ノアがわざとらしく溜息を吐いてアリーシャの肩を抱いた。


「アリーシャ、残念ながらルカは目も性格も腐っているんだ。綺麗なものを綺麗と言えない、くそったれでな」

「はははっ、兄であるボクにそんなことが言えるようになったとは。成長したなあ、ノア。おい、こっちへ来い。一発入れさせろ」

「その前に一発入れてやる」


 アリーシャから離れると、ノアはルカを見下ろすようにして立った。一触即発の状況に、皆が緊張な面持ちで二人を見守る。

 無表情でルカを見るノアの姿は、アリーシャですら見ていて怖くなるほどだ。とはいえ、怖がっている場合ではない。今にも殴り合いを始めそうな二人の間に入り「落ち着きましょう」と声をかけた。

 今は、兄弟喧嘩よりもしなければならないことがある。ルカは、姿を現してから今に至るまで、ここに集まってくれた者達に一言も声をかけていないのだ。間に入ったことで僅かに空気が変わった今がチャンスだと、アリーシャは周りにいた者達に頭を下げる。誰かが頭を下げれば、ルカも下げるだろうと考えたのだ。


「あの、皆さん。本当にありがとうございました。皆さんのご協力がなければ、被害はもっと広がっていたかもしれま」

「とりあえず礼は言う。だけどなあ、時間がかかりすぎだ。おかげで新薬の開発が台無し。ボクの頭に記録されているとはいえ、一からやり直しだ」


 考えが甘かった。

 礼は言ったものの、そのあとが問題だ。一言も二言も多い。それはないだろうと、頭を上げてルカを見れば、彼は表情を変えることなく、平然としていた。


「……っ、皆さん、必死で火を消そうと」

「ボクのことを何も知らないお前に何がわかるんだ? じゃあな、ボクは忙しい。城で研究を再開する」


 そう言われてしまうと、何も言い返せなかった。

 しんと静まり返る場。そんな中、じゃり、と音を立てながらルカは城へと向かって歩き出した。皆がその後ろ姿を見つめるも、最後までこちらを振り返ることはなかった。

 姿が見えなくなると、ノアが深く頭を下げた。


「すまない。我が兄ながら情けない。礼は後で必ずさせていただく。みな、本当にありがとう」


「いいんですよ、ノア様。ルカ様があのような方だというのは知っていますから」

「それに……ねぇ。我々は、ルカ様に助けられていますので」


 励ましの言葉に、ノアは小さく首を横に振った。


「それとこれとは話が別だ。礼儀を欠くことなど、あってはならない」


 しばらくして、この場にいた者達は解散となった。まだ火種があるかもしれないと、あとは兵士達に任せることになったのだ。

 街の者達は「他に燃え移らなくてよかった」と安堵の表情を浮かべながら戻っていったが、ノアだけは表情が硬い。何か声をかけようと彼の左腕に触れようとしたとき、前方から子どもの声でアリーシャの名が呼ばれた。声がした方向を向けば、幼さが残る少年が一人こちらへ向かって走ってきていた。


「どうしました?」


 慌てて駆け寄り、少年と視線を合わせるためにしゃがみ込むと、満面の笑顔で勢いよく抱きついてきた。支えきれず、地面に尻餅をつく。


「アリーシャ様、ありがとう! 僕の足、治ったの!」

「え?」

「ヒールストーンだ、アリーシャ」


 現在も数は調整中だが、必要としている者には優先して渡しているそうだ。

 ノアが少年を後ろから抱きかかえ、そっと地面に立たせる。そのあと、尻餅をついたままのアリーシャに手を差し出し、身体を起こすのを手伝ってくれた。


「直接お礼が言いたかったんだ。本当にありがとう!」

「あ……お役に立つことができて、よかったです」


 服についた砂を払い、少年と手を繋ぐ。少年はノアとも手を繋ぎ、傍から見ればまるで家族三人が歩いているようだ。そう思うと急に恥ずかしくなってきたが、若干ノアの表情がやわらかくなった気もする。子どもの力というのは偉大だ。

 大きな広場まで来ると、ここでいい、と別れることになった。手を振ると、少年は大きく手を振り返してくれた。


「ルカ様にもお礼を言っておいて! ルカ様のお薬のおかげで、そこまで痛くなかったって!」

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