魔法とは

 見た目はどっしりとした茶色のケーキだが、食べてみればしっとりとしていて、口の中にキャロットの甘みがほんのりと広がる。これは、キャロットプディングと呼ばれる菓子だそうだ。砂糖が手に入りにくい時代にできた菓子で、この辺りでは昔から親しまれているらしい。

 ここではアレンジを加えているのか、中にはクルミやオレンジが入っていた。クルミのカリカリとした食感がしっとりさをより引き立て、オレンジの爽やかな風味が鼻を抜けていく。


「初めて食べましたが、おいしいですね」

「よかった」


 ホッとしたように笑みを浮かべ、ノアはコーヒーが入ったカップを傾けて一口飲む。店に入ってから客の視線を釘付けにしていたため、一斉に騒がしくなった。

 理由は簡単。ノアの笑顔だ。

 モルガンの国へやってきたときも、兵士が驚いていた。王子としての貫禄を保つためなのか、その理由はわからないが、余程表情を変えてこなかったのだろう。

 アリーシャの前では、表情が豊かのように思える。笑顔だって珍しくない。──その笑顔に、こうして胸が高鳴り、締め付けられるわけだが。

 落ち着こうと、キャロットプディングをもう一口食べる。食感が楽しい。キャロットの甘味とオレンジの風味がおいしい。そう思って食べていたはずなのに、何もわからない。口の中が乾いてしまって、飲み込むのに時間がかかる。

 あの少女との会話で、気付いてしまった。

 ノアが好きなのだと。

 手にしていたフォークを静かに置き、紅茶が淹れられたカップを持つ。じんわりと伝わるぬくもりに、ほう、と息を吐き出した。


「身体は何ともないか?」

「え?」

「テディベアの件だ。魔法を使った覚えもないのだろう?」

「は……はい。何が起きたのか、わからなくて」


 カップに視線を落とすと、紅茶にぼんやりとアリーシャが映り、ゆらゆらと揺れていた。

 なんて顔をしているのだろう。困惑しているような、浮かれているような。こんな自分は、今まで見たことがない。

 こうして別の話をしていれば、気も紛れるはず。心も落ち着いてくるだろう。切り替えよう、この話に集中しよう、と自分に言い聞かせ、顔を上げる。


「あの子は、姿と言っていたな。リボンに自身の名が刺繍されていたらしいが、それも元通りになったと」

「そうですね。リボンは破けて、布が足りていなかったはずなのですが……」

「俺はその場で見ていたわけではないが、ようだな」


 ノアは再びコーヒーを口にする。

 言われてみれば、そうかもしれない。直ったというよりは、巻き戻ったという言葉の方がしっくりと来る。が、だからといって、そのような魔法は知らない。かけた覚えもない。

 ふと、マーリンのあの言葉が過ぎる。


「……魔法は、不思議を体現させるもの」

「それは、誰かの言葉か?」


 カップをソーサーに置くと、ノアが首を傾げる。


「はい。わたしがいた世界に、魔法をもたらしてくれた方が遺されたお言葉です」

「なるほど。その言葉に倣うなら、テディベアが元の姿を取り戻したのは、やはりアリーシャの魔法ということになるな」


 不思議を体現させただろう、と目を細め、口角を上げた。

 確かに、ノアの言うとおりだ。不思議を体現した。だが、どうやって。魔力は込めていたが、それだけだ。詠唱も唱えていない。気が付けばテディベアが浮いて、元の姿を取り戻していった。

 アリーシャは顔を俯ける。何もわからない。それでも、自分の魔法だと言ってしまっていいのか。ノアの言葉に、頷くことができない。すると、微かに笑う声が聞こえてきた。


「納得がいかないか?」

「……わたし自身が、起きたことを理解できていませんから」

「そうか。では、これまで使ってきた魔法と何が違うか、擦り合わせるのはどうだ? そうすれば、ヒントくらいは得られるんじゃないか?」


 その手があった。まったく思いつかなかったと顔を上げると、優しく微笑むノアと視線が交じる。


「アリーシャの傍には、必ず俺がいる。一人で考えようとしなくていいんだ」

「あ……」


 またしても、過去の自分が顔を出してしまった。


「もっと頼っていい。俺も頼ってほしいと思っている。魔法のことはわからないが、一緒に考えるくらいならできるから」

「……っ、はい。ありがとう、ございます」


 出会ってから一貫して、ノアは寄り添ってくれている。共に向き合ってくれる。そんな彼の傍が安らげる場所だと、先日気付いたところだというのに。

 すっかり冷めてしまった紅茶を飲むと、ソーサーの上に置く。

 どうやっても過去は消せないが、これ以上囚われないように強くなりたい。もう、一人ではない。傍に、ノアがいてくれるのだから。

 さて、とノアは腕を組み、口を開く。


「基本的なことを訊くが、魔法に必要なのは魔力と、呪文のようなものか?」

「呪文……詠唱のことですね。仰るとおり、その二つが必要なのですが……テディベアのときは、何も唱えていません」

「なるほど。ちなみに、その詠唱とは魔法ごとに決められているのか? それとも、個人で異なるのか?」

「詠唱は、使用者が異なったとしても同じです。わたし達が使っている魔法は、あの言葉を遺された方が……」


 そこで言葉を止めた。違和感を覚えたのだ。

 アリーシャの世界に存在する魔法、詠唱は、すべてマーリンから伝わったものとされている。これでは、まるで。


「……マーリン様の魔法だけが、不思議という定義に当てはまることになります」

「待て……マーリン?」

「あ、まだお名前は言っていませんでしたね。あのお言葉を遺された方なのですが、原初の魔法使いとも呼ばれていて」


 言葉を遮るように、爆発音が響き渡った。

 店の中にいるというのに、耳をつんざくほどの大きな音。爆風がここまで来たのだろうか。机がガタガタと揺れ、カップの中に入っていた飲み物も溢れてしまった。店内も「何が起きたんだ」と騒然としている。

 窓から外を見れば、黒い煙と炎が立ちのぼっているのが確認できた。どうやら火事のようだ。兵士や街の者達も、慌てた様子で火元へ向かっている。

 何かできることはないだろうか。そのとき、ガタ、と音が聞こえた。振り向けば、険しい表情をしたノアが椅子から立ち上がり、燃えている方向を睨みつけている。


「……あの方角、おそらくだが、燃えているのはルカの研究所だ。あいつ、何度目だと思っているんだ!」

「わ、わたし達も急いで向かいましょう!」


 店員に代金を支払い、二人は店の外に出た。

 外に出た瞬間、鼻につく焦げ臭いにおい。場所は少し離れているようにも見えるが、灰がここまで飛んできていた。

 何度か燃えているような言い方をしていたが、今は早く鎮火させなければ。ルカは薬の開発に携わっていると、ノアに教えてもらった。

 この火事で研究所にある薬が燃えてしまったら。病や毒に苦しんでいる人達が困り果てることになる。早く何とかしなければならない。そのためにも、大量の水が必要だ。


「……ノア、近くに川はありませんか? 一つ、考えがあって」

「川ならすぐ近くだ。行こう」


 二人は急いで川へと向かう。その間もルカの研究所は燃え続け、風に乗って灰が飛んで来る。このままでは、近くの民家などに燃え移ってしまうかもしれない。

 川に辿り着くと、たくさんの人が集まっていた。木製の桶に水を入れ、リレー方式で川の水を運んで消火活動にあたってくれているが、これでは間に合わない。


「ノア、あの方達に少し下がってもらうよう言っていただけますか?」

「わかった」


 ノアが言いに行ってくれている間に息を整えたいところだが、そんな時間はない。両手を前に出し、人が下がり始めたところで息を吸って、吐かずに力を込める。

 イメージするのは、魔力の膜。その膜の中に、川の水を溜められるだけ溜める。これはティンタジェルの村で、ノアや子ども達に見せたものだ。

 川の水は、魔力の膜の中に溜められていく。それはどんどん膨らんでいき、あまりの大きさにその場にいた者達は愕然としていた。

 何だこれは。こんなこともできるのか。そんな声が聞こえてくるが、アリーシャは心の中で否定する。

 こんなことしかできないのだと。

 両手を上げて水が入った魔力の膜を浮かせると、慎重にルカの研究所まで歩いていく。これほどの魔力の膜を作り、大量の水を運ぶのは初めてだ。歩くたびに、タプ、タプ、と音が聞こえ、揺れで破裂しないだろうかと心配になる。

 周りからは「頑張れ!」「頑張ってください!」とアリーシャを応援する声が聞こえた。その声に応えるためにも、集中を途切れさせることなく必死に運んだ。

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