第3話
商店街を出て線路沿いの薄暗い小道を歩いた。すぐ横の線路をを電車が大きな音を立てて通りはじめたので、通過しようとする。とっさに耳を塞いだ。最寄りの駅には特急が止まらないので、勢いがすごい。特にこの道は騒音がすごいので、あまり歩きたくはない。
電車をやり過ごしてから酒屋の角を左に曲がると、俺の住む寺田家アパートが見えてきた。見るからに古臭い昭和三十年代の二階建てのアパートで、入り口に「寺田アパート」と書かれている。だ。シミのが目立つ外壁は補修もされず放置されたままだ。雨が降ると天井から雨漏りがするのも納得のボロさだ。
ふとその背後を見上げてみる。
最近になってアパートのすぐ後ろに、でっかいレンガ造りのマンションが建っている建設された。超一流ホテルもどきの高級感を放っているんので、うちのアパートが一層みすぼらしく見えてしまう。アパートは一階と二階にそれぞれ三部屋ずつある造りになっていて、二階の一番右の明かりのついた部屋がうちの家我が家だ。角部屋なのに薄暗いからいつも明かりをつけている。
アパートの玄関を入ると階段を駆け上り、家のドアを勢いよく開けた。
玄関を入ってすぐ右側にある台所で料理をしていた母さんがこちらを振り向いて僕を見た。
さっき買ったニベアのハンドクリームが入っている紙袋を突き出した。
「母さん、誕生日だろ?」
「覚えててくれたん?」
母さんが嬉しそうな顔をする。で、冷蔵庫の横の布巾を手に取って手を拭き、いそいそと紙袋を受け取った。
「今日で四五歳だろっけ?」
「もう四五ね……」
母さんが困ったような顔でため息混じりに呟く。
薬局で買った包みを見せた。
「開けてみなよ」
早くプレゼントを開けて欲しかった俺は母さんに袋を開けるように催促した。
母さんが冷蔵庫の横の布巾を手に取り、手を拭く。受け取った母さんは包みをゆっくりと開いて手を中に入れてれた。中から白い箱が出てくるを取り出した。
「ありがとう」
母さんの目尻にカラスの足跡のようなシワがくっきり現れた。
夕飯の準備が一段落ついた頃、母さんが居間に入ってきた。母さんの方を向くと、その手にはさっきのハンドクリームの箱があるしっかりと 握られていた。
テーブル母さんは二人用のこじんまりとしたテーブルの上に箱を置くいて座った。そして、
最近買った中古の二人用の小さなテーブルだ。脚が壊れたちゃぶ台の代わりに買ったものだ。多少の傷はあるものの、中古にしてはなかなかきれいだ。
母さんが座り、箱からハンドクリームの容器を出してキャップをねじり開けた。
早速クリームを使ってくれるようだ。母さんが少量のクリームを手に取ると手の平にクリームを伸ばし、丹念に指先に塗りこんでいるみはじめた。そういえばその様子をまじまじと見て、ふといつも指を丸めているような気がするした。手のシワも間違いなく増えている。
なんとなく見ない方がいい気がしてテレビの方を向いた。しかし、番組を見るよりも先に違和感を覚えた。違和感の元を探してみると、
テレビの横のにある水槽で飼っているを見ると、金魚の数が増えていた。俺の飼っていた二匹の白い金魚と一緒に、黒と赤の金魚が泳いでいる。
「水槽の金魚どうしたんだいの?」
「金魚すくいで取ったの。弥奈田神社で」
「そういえば昔よく弥奈田神社の夜店に行ったっけ」
弥奈田神社は母さんに昔よく連れて行ってもらっていた神社だった。あの頃は出店で売られているものが、ご馳走のように思えて焼きそばや牛串をせがんだものだ。もう親とお祭りに行く年ではないから一緒に行くことはなくなったが、昨年の夏祭りは彼女と一緒に行ったのをよく覚えている。
「そういえば昔よく弥奈田神社の夜店に行ったっけ」
「今日お祭りだったのでしょ」
「人多かった?」
「うん。歩くのも大変だったよ。そうだ、たいやき買ってきたんだ」
テーブルの上に袋に入ったたいやきが置いてあるった。不思議なことにたい焼きの袋を見た瞬間に言いようのない違和感を覚えた。
水槽の中で目玉がせり出た赤の金魚と黒の金魚が、夫婦のように仲良く泳いでいる姿。違和感を覚えたも、俺にとってふ不自然な光景だった。
「よく二匹も取れたね」
「…………私が取ったのは赤いやつだけよ」
母さんは嘘はつかない。俺も嘘だけはつくなと厳しく育てられてきた。
大体こういう歯切れの悪い返事をするときは何か言い出しにくいことがあるに違いない。
俺は興味本位で
「黒いのは?」と追及してみた。
母さんは何か言いたげな様子で、黙って手にクリームを塗ってり続けている。
「あのさ、雄太…………」
「何?」
「ああ…………、やっぱいいわ」
少し間をおいて、母さんが言葉を飲み込み、両手を合わせて親指を隠した。母さんが何か困ったことがあって、言い出せない時に見せる癖だ。久しぶりに見た。いつもの俺だったら以上追及しない。が、何故か今日は聞いてもいい聞かなきゃいけないような気がした。
「何? 話してよ」
「ううん、今度にする」
母さんがクリームの容器のキャップをいつもよりもしっかりと閉めた。言いたいことを容器に閉まったみたいだ。
「話してよ。気になるじゃん」
言いかけて途中で止めてるの残尿感を残すのは勘弁してほしい。そこまで言っておいてだんまりはずるいと思う。
「あのね、金魚すくいで黒い金魚取ってくれた人、横山さんっていうの」
突拍子もない母さんの話に俺の頭は少し混乱した、
横山といって思い当たるのは高校のC組の横山武彦くらいだ。
母さんと関係があるとは思えない。他に横山と言われても全まったく思いつかなかった。
「…………私ね、横山さんと結婚したいの」
胸にズシンと得体の知れない重りがのしかかったような気がした。しかし、よく考えたら母さんだって1人の女だ。俺に彼女がいるわけだから、好きな人がいたって不思議じゃないが、動揺は隠せそうもなかった。
「…………マジ? 母さんそういう人いたの?」
ちょっとおどけるくらいが精一杯だった。引きつった声をしていたんじゃないだろうか。 考えたら母さんだって1人の女だ。、好きな人がいたって不思議じゃない。もしかして職場の人だろうか?
「その人、…………雄太のお父さんなんだよ」
驚いたときにカナヅチで殴られたような衝撃が走るというが、
今確かにお父さんって言った。本当だったようだ。心臓の音が早くなったのを感じた。「いつか話してあげる」と言っていた日が今日だっただけだと思うが、実際に話をされると思いのほか俺は心の準備ができていなかったようだ。
「お父さん? お父さんって言ったよね?」
俺は本当は聞きたいことがもっとあったはずなのに。いきなりの告白で頭が真っ白になって聞き返すことしかできなかった、
「うん。、雄太のお父さんよ」
青天の霹靂とはこのような状態を言うのだろう。驚きのあまり驚きのあまり体が硬直してしまったようだで、呼吸をするのも忘れてただただ母さんを見続けることしかできなかった。これまで父親のことを聞いても、母さんは父親のことを話したがらなかった。し、無理に父親のことを聞こうとすると、母さんはどこか辛そうだった。母さんの気持ちを察して、父親のことは敢えて聞かないようにしてきた。なのに気持ちを踏みにじられたような気がした。
「ねえ、いいかな?」
「……いきなり聞かれても分かんないよ」
「ちょっと待ってて」
母さんが棚の引き出しを開けて何かを探しだ出した。
「何探してるの?」
「写真見せたげようと思って、横山さんの。確かこの辺りに置いたんだけど」
母さんが何を勘違いしたのか横山さんの話を振ってくる。
なんと言われようと今は横山さんとやらの話を聞く気にはならなかった。
「いいよいいよ、今度で」
ぶっきらぼうに言い放つ。が、母さんは
「雄太に似て目が切れ長でね。鼻筋が通ったとこもそっくりなの」と話を止める気配はないようだ。
俺の目と鼻筋がくすぐったくなってきた。
母さん、が目を蛍光灯のように輝かせている輝かせている姿から、横山さんのことが本当に好きなんだと察した。母さんが結婚したいと聞かされて最初は驚きのあまり何も考えられなかった。だが、ずっと母さんと二人きりだったのが、結婚すれば急に家族が一人増えることになるということか。……ようやく事の重大さが飲み込めてきた。
水槽で赤と黒の金魚だけがすいすいと気持ちよさげに泳いでいた。
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