18・守ることの難しさを痛感しています
数日間の平穏を経たあと、アルディスが出立する日がやって来た。
ヘルゼクスさんが用意したのは、地上で使える通貨とごく一般的な旅装束の二点。極端に額が少ないとか、極端に粗悪品だとか、そういうこともなかった。
「でも、軽装だね。大丈夫?」
「これで十分だ。辺境では少し心許なく見られるかもしれないが、他の地域は比較的治安がいい。むしろ、やたらと武装している方が悪目立ちする」
「そうなんだ……」
アルディスに言われ、少し複雑な気持ちになる。
治安がいいっていうのは、それだけで民にとってはありがたいことだもの。そしてわたしたちがやろうとしていることは、確実にそれを荒れさせる。
これがいっそ、めちゃめちゃ治安が悪いっていうなら気も咎めないんだろうけど。
まあ、支配階級とそれ以外の落差が激しすぎるけども!
「じゃあ、えっと――行ってらっしゃい。気を付けて」
「ああ。貴女も」
「わたしは平気よ。ここにいるんだから」
「……そうか」
この数日で、わたしが微妙に周囲と馴染めていないのは、多分アルディスにも伝わってしまった。でも器的に安全なのは間違いないし、こうしてわたし自身を心配してくれる人が一人いるだけで元気が出る。
嘘ではなく笑って手を振ると、アルディスもほっとした顔をしてうなずき、地上へと旅立って行った。
「では、ヒルデガルド様は衣装の打ち合わせに入りましょう」
「はーい」
魔神の娘として、器として、公に民の前に姿を見せるのだ。それなりに気合いの入った服装をするべき、というのは分かる。
それは『こう在ってほしい』という期待の表れだから、重くはある。でも、わたしという存在を希望にすることに否はない。苦難に立ち向かう気力を奮い立たせるには、相応の希望が必要だもの。
……じ、実像がどう、というのは隠し通すとしてね。
生まれ方なんて、わたしが選んだわけじゃない。でも、わたしはこうしてお父様の娘として生まれてしまった。そしてその立場だから得られる恩恵を
だったらわたしは、得たものに相応しいものを返さなくては。
ま、彼らが一番に望むお父様化は絶対にしないので、それに並ぶものを頑張るわけだけど。いくら恩があったって、自分を丸ごと投げ売りはしないわよ。
魔族の皆が望んでいるのは、どこまで行ってもお父様。それなら、皆の前に出るときはいっそお父様っぽい演技をした方がいいのかしら。危険はないだろうから、本人に代わるまではしたくないけど。
そんなことを考えつつヘルゼクスさんに付いて城に戻り、改めて採寸開始。
いや、文句はないよ? ないけど……。ここに来てすぐ、服を作ってもらうときに採寸はしたし、変わってないとは思うんだけどな……。
それでも、いざデザインの話になるとやっぱり楽しかった。オーダーメイドの服とか――テンション上げるなっていう方が無理!
担当してくれたデザイナーさんとも盛り上がって、気付けば半日が過ぎてた。楽しい時間って本当にあっという間に過ぎる。
あー、でも、久しぶりに重くない話ができて楽しかったー。もしかして、服飾にお金かけてきた王妃様とか後宮の女性たちって、こんな感じの心理だったのかなー。
しかし必要以上の贅沢はよろしくない。ハマらないよう注意しよう。
今日の予定はもうないので、気分の切り替えがてら庭を散歩してから部屋に戻ることにする。
――戻ったら、今日から一人なんだよね。
アルディスがいたのはたった数日なのに、すでに彼の存在に慣れてしまっている自分が恐ろしい。寂しささえ感じている。
まあ、硬い床で寝るよりも、アルディスにとってはのびのび一人旅の方が楽かもしれないけどさ。
……彼は、戻ってくるだろうか。
来なくてもいい、と思う。多分、家族で田舎に引っ越しして、ひっそり暮らした方が幸せだと思うし。
少し……少しだけ寂しいけど。わたしがわたしとして話せる、数少ない人だから。
でも友達になることさえ難しい今の状況、交わらない方がいいに決まってる。
ああ、いけない。暗くなるな! もしどうなったとしても、一人の命を護れたことに変わりはない。もうそれで十分じゃないか! そしてわたしにはやることがある!
首を振り、気合いを入れ直す。
しかしてそんな感じで物思いに
だ、誰かと会えれば大丈夫でしょ。誰か、通りがかりの人いないかなー……。
「ちょっと……ヘル。それ、正気か?」
「なにを驚く? 当然の処置だろう」
通りがかりの人はいなかったけど、知り合いのいる所にわたしが通りがかることができたようだ。
この声は、ヘルゼクスさんとエスティアだ。しかし微妙に……物騒な話をしている気配がする。声、掛けにくいな。
「ヒルダ、怒るんじゃない?」
え。わたし?
「主の
うん、ヘルゼクスさんが言ってくれる人なのは知ってる。でも、彼の場合本当に魔族のためが第一だ。
わたしが怒るかもしれないって、一体、何をしたの。
そこまでするつもりではなかったけど、話の内容をきっちり知りたくなって、わたしはできる限り息を潜めた。物陰に隠れて耳を澄ます。
「お前は何も思わなかったのか。人間などを懐に入れることに」
アルディスのことだ!
え、でも、アルディスはもうヴァルフオールにはいない。すでに何か……しているの?
「えー、別に。たかが人間だよ? ヒルダが欲しいならあげればいいじゃない」
「平時なら、そうだ」
それでも声が思いっきり苦いです。ヘルゼクスさん。
「しかし今は戦時だ。そして我らは余裕のない状態にある。もしあの男がヒルデガルド様の寵を失わずに側に張りついていてみろ。いずれ我らが主の心臓に到達したとき、奴は牙を剥くかもしれない」
「ええ……? 人間だよー? ボクやヘルやヒルダが出し抜かれて後れを取るとか? あり得ないっしょー」
「ヒルデガルド様の寵が深ければ、分からない。その場から引き離される策を取られるかもしれないだろう」
「ヘルに気付かれずに? ヒルダそんなに賢いかなあ」
さり気にエスティアの評価が悲しい。本心なだけで悪気がないのは分かるけども、それは刺さるやつだよ! いや、盗み聞きしてるわたしがそもそも悪いのか。
「そんなに心配なら、頑張ってヘルが寵愛されればいいじゃん」
「それができればとっくにしている」
するの!?
「何度か近付こうとしてみたが、ヒルデガルド様は俺が一定以上の距離感を詰めると退く。おそらく、俺が好みから外れているんだろう」
うん。苦手なタイプではあります、諸々。
あー、でも、言われたらちょっと思い浮かぶかも。思わせぶりなのとかって、そういう意図だったのか。道理で。
そんな関係性なかったから、どうしてだろうって思ってた。
「あの人間への寵愛ぶりを見るに、あれが好みの顔なんだろう」
「そんなに違うー?」
結構違うよ、エスティア。さては君、人の顔を覚えるの苦手なタイプと見た。代わりに臭いで覚えてそうではあるけれど。
「いっそ、お前が男であればよかったのか。もしくは俺に獣の耳が付いていればあるいは……?」
エスティアの耳と尻尾に夢中になったのは、彼らが言い合いをしていた最中だったのに。よく把握してるな。おそるべし。
でも無理です。とても気軽に触れません。むしろ生殺しでは。ついでに言うと、それとこれはまったくの別問題です。
「キモ」
「お前には聞いていない!」
一考して、やっぱりないなと思ったのか、ヘルゼクスさんの否定の声は強かった。
「でもさあ、今ヒルダが可愛がってるなら尚更、帰ってこなかったら探そうとするんじゃない」
「探したが見つからなかった、と答えれば済むだろう」
帰ってこなかったら、探すつもりはなかったよ。
……というかつまり、帰ってこられないように――誤魔化さずに言うなら殺そうとしてるって話だよね、これ。
そりゃあ、わたしの目の前でだってためらわなかったヘルゼクスさんだ。考えなかったわけじゃないよ? でもわたしも注意してたとはいえ、アルディスは数日間の危機を自力で乗り越えてきた。
私たち魔族はあんまり派手に動けない身だし、アルディスが逃げに徹したら何とかなると思う。
というか、地上で活動することそのものが危ないんだから、余計な仕事はやめさせないと!
「前のときみたいに騒ぎになっちゃったら? ボク達が捕まえて、なのに無事に生きてる人間を見つけたら、
「放っておけばいい。あれが我々に対して不利益になるような情報を煌使にもたらすことはできないし、どれだけ騒ぎになろうが、誰かが伝えない限り、ヒルデガルド様が情報を得る手段はない。まだ親しい者もいないようだしな」
……まったくもって、その通りだ。
「魔力の匂いをさせた、元
敵意を剥きだしたヘルゼクスさんの言葉で、全容が分かった。
彼はアルディスを煌使なり人間なりに殺させようとしている。
ヘルゼクスさんが用意した荷物の中に、きっと魔力を発するものが混ざってる。煌使なり人間なりに気付かせるために。
わたしたちが攫った人間が、傷を癒し、何事もなく外に出てきたらどう判断する? ――繋がったと、協力関係を疑うには十分だろう。
もし煌使たちに捕まったら、アルディスは殺される。一度は逆らった身だから、きっとその方法も
追いかけないと。
でも、どうやって探せばいい? ……分からない。ああその前に、部屋に戻らなきゃ。支度は必要だもの。その間に名案が浮かぶかもしれないし。
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